日本庭園こぼれ話

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Random Talks about Japanese Gardens

近江商人のふるさと・五個荘---滋賀県(再編)

2020-03-29 | 歴史を語る町並み

琵琶湖の東岸、いわゆる湖東平野は、近江商人のふるさと。天秤棒を担いで各地を行商する中から、江戸、明治、大正、昭和前半にかけて、日本を代表する豪商が数多く輩出されました。

しかし商売を全国規模に発展させた後も、近江商人たちは、本宅を出身地に据えていたため、この地方には、その屋敷が今も少なからず残され、風情ある町並み形成に一役買っています。

今回ご紹介するのは、その一つ、「五個荘(ごかしょう)町」です。東海道本線・琵琶湖線の能登川駅からバスに乗り10分ほどで、町の「生き活き館」前に到着。農村環境改善センターと観光案内所を兼務しているような建物で、マップなど観光パンフレットを入手できます。

「生き活き館」から歩いて4~5分、重要伝統的建造物群保存地区に指定された「金堂地区」に軒を連ねるのは、白壁土蔵造りに舟板を張りめぐらせた特徴的な家並み。足元の水路には、丸々と太った鯉が群れをなして泳いでいます。(下の写真)

下の写真は、弘誓寺(ぐぜいじ)の門前。歴史的町並みのメインストリートです。

この通りの少し先にあるのが、「近江商人屋敷・外村(とのむら)宇兵衛邸」。呉服類の販売を中心に、東京、横浜、京都、福井などに支店を有し、明治時代には、全国長者番付に名を連ねたという、典型的な五個荘商人の家屋のたたずまいを今に伝えています。

(上: 金堂地区では、近江商人屋敷が軒を並べる)

入口を入ると、すぐ脇に、外の流れから水を引き込んだ一画があります。「川戸」と呼ばれるもので、洗い場として使われていたのでしょうか。水路の活用が窺われる興味深いものです。

(上: 外の水路から屋敷内に水を引き込んだ「川戸」)

外村宇兵衛邸は、最盛期には10数棟もあったという往年の姿は、今は見ることはできませんが、それでも建物の梁の見事さや、天井の高さ、間取りなどから、かつての姿は十分に偲ばれます。

それはどっしりと重厚で、しかし意外に質素。その暮らしぶりには、勤勉と倹約に励む近江商人の姿が映し出されているのでしょう。

その隣は、外村繁邸。宇兵衛家の分家で、屋敷の構えや造りは、そっくりです。当主の外村繁は、弟に家業を託し、文学の道に進んだという経歴の持ち主で、ここは文学館も兼ねています。

庭もまた質素倹約を家訓とした近江商人に通じるたたずまいです。

 

(上: 質素な暮らしぶりが窺える外村繁邸庭園)

庭先にはちょっと風変わりな狸の置物が置かれています。それは、この家が建てられた100年以上前から、家と蔵を守ってきた「守護狸」。下の写真は、そのレプリカで、お土産物として売られていたものです。

大きくくり抜かれた2つの目は「変わりゆく社会情勢を見通せる人になれ」という教訓をこめたもの。またタヌキは「他を抜く」にも通じるとか。

近江商人たちは、商人としての心がけを家訓とし、語り継いできました。たとえば代表的な家訓に「三方よし」というのがあります。つまり「売り手よし、買い手よし、世間よし」の三方に良いことで、ここで説かれているのは、売買の当事者だけでなく、地域社会への貢献も大事にせよという理念。現代の経営者も、大いに見習って欲しいものです。

両「外村邸」の裏手には、「あきんど大正館・中江準五郎邸」があります。

ここは、明治後半に呉服商として発足し、昭和前半には、朝鮮・中国大陸で百貨店20余店を経営し、「百貨店王」と称された「三中井(みなかい)一族」の本宅で、近代近江商人屋敷の典型として整備、公開されています。

(上: 中江準五郎邸の屋敷と庭)

採光の良い座敷から望まれる庭園も明るく、大ぶりな庭石、飛石、石燈籠などから、大陸的な大らかさを感じるのは、そうした背景によるものでしょうか。

(上: 大ぶりな石が庭に大らかさを創出している)

ここでは「小幡でこ」の愛称で親しまれている土人形「小幡人形」が、たくさん展示されています。享保年間に初代安兵衛が、京都の伏見人形をまねて作ったのが始まりと言われ、原色の鮮やかな色彩が特徴です。

金堂地区から少し足をのばすと、「近江商人博物館」があり、そこから10分ほど行ったところにあるのが、「歴史民俗資料館旧・藤井彦四郎邸」で、五個荘の近江商人屋敷の中では、最も広大な敷地を有しています。

(上: 客殿の方から池泉回遊式庭園を眺める) 

藤井彦四郎は「スキー毛糸」の創始者。洋風の門構えなど、他の近江商人屋敷とは異なる外観を見せています。この屋敷は、彦四郎が昭和7年に、生家を移築し、新たに客殿と洋館を増築したもの。

特に洋館は、彦四郎が洋行中に訪れたスイスの山小屋に感銘を受けて造ったということで、当時としては、斬新な意匠だったことでしょう。

宮家など貴賓客の応接に使われた客殿は、広大な池泉回遊式庭園に面しています。起伏のある敷地の中央に池を配し、池に注ぎ込む流れや、点在する石組、石橋、石灯籠などが景をつくり、植栽は松が中心で、池の周囲を囲む見事な松林が印象的。

(上: 植栽の松が華やかさを盛り上げている)

どの近江商人屋敷の庭も、整備し直されているので、どの程度旧態を維持しているのか分かりませんが、例えば、両外村邸の庭が平庭で、いわば露地風の、暮らしの中の庭といった印象を受けるのに対し、この庭園には、大名庭園のような華やかさがあります。これは時代の流れによるものでしょうか。

# 交通、拝観等、詳しくは東近江市観光協会など、公式HPをご参照くだ      さい