坂本の里坊の並ぶ道の突き当たり、鬱蒼とした木立ちの中に日吉大社があります。
(上: 西本宮の朱塗りの楼門=重文)
大社の伝えによれば、神代の昔から比叡山に鎮座する地主神を祀った日吉大社は、全国に3,800余社の分霊社がある総本宮。『古事記』の神代巻に登場する、日本で最も古い神社だそうです。
神域は40万平方メートルと言われ、その広大な巨木の森の中に、108社という多くの神々が祀られているとのこと。
国宝、重要文化財の建造物も多く、東本宮と西本宮、2つの本殿がともに国宝。その他、社殿17棟と神輿7基が重要文化財に指定されています。
(上: 東本宮本殿=国宝)
また、境内を流れる大宮川の清流に架けられた3つの石橋は、豊臣秀吉の寄進と伝わり、それらも重要文化財。大勢の参拝客のざわめきさえも吸収してしまうような、清澄な空気が境内を満たしています。
上の写真は重要文化財の石橋の1つですが、橋もさることながら、川床に敷かれた舗石が素晴らしい。
日吉大社の近くには、比叡山行きのケーブルカーの駅があり、比叡山上延暦寺駅まで、2,025メートルを11分で結んでいます。この距離は、ケーブルカーとしては日本一長いそうで、車窓に迫ってくる琵琶湖が雄大。
日吉大社の裏手から西教寺に続く小径は、琵琶湖が遠くに光る、「山の辺の道」と名付けられた、丘の上ののどかな道。(奈良の他にも「山の辺の道」があるんですね)
途中には、比叡山の僧たちが論議を行ったという八講堂跡があり、その名も「千体地蔵」という、おびただしい数の石仏が並んでいます。10分ほど歩くと、西教寺。
西教寺は、聖徳太子により創建されたという古刹で、以来、衰退と隆盛を繰り返しながら、室町時代に再興され、不断念仏の道場となります。その後、信長の叡山焼き討ちで災禍をこうむりますが、復興に尽力したのが、その直後に築城された坂本城に、城主となってやって来た明智光秀だったとか。諸行無常の歴史を秘めたその寺は、今、山の懐の静寂の中にあります。
(上: 豪壮な建築美の中にも、軽やかさを感じる本堂)
丈六の阿弥陀如来像を安置する本堂は、総欅入母屋造りの豪壮な江戸時代の建築。その隣にある柿葺き(こけらぶき)の客殿は、豊臣秀吉の伏見城の旧殿を移築したということで、狩野派の襖絵や障壁画など、少々、色褪せているものの、往時の豪華さが伝わってきます。どちらの建物も重要文化財です。
客殿には、これもまた小堀遠州作と伝わる庭園がありますが、たとえそうであったとしても、その後に、いろいろ手が加わっているのではないでしょうか。
(上: 客殿庭園)
境内には、明智光秀とその一族の墓もあり、光秀の非業の人生を偲ばせる、何かもの悲しい雰囲気もある西教寺です。
ーー終わりーー
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