日本庭園こぼれ話

日本の歴史的庭園、街道、町並み。思いつくままに
Random Talks about Japanese Gardens

片倉城跡公園・夏の花景色(2021/7/29)・・・東京都八王子市

2021-07-30 | 四季の花話

(上: キツネノカミソリの群落)

片倉城跡公園の「奥の沢」と呼ばれる谷間では、早春の「カタクリ」、春の「ヤマブキソウ」に続いて、夏には「キツネノカミソリ」の群落が、訪れる人の目を楽しませてくれます。

そこに至る小径の脇に咲く「コバギボウシ」や「ヒヨドリバナ」や、名前を知らない山野草を眺めながら・・・・

(上:コバギボウシ)

(上:ヒヨドリバナ)

 

 

 

 

 

 

 

 

奥の沢に到着!

「キツネノカミソリ」と「ウバユリ」の共演でした。

 

(上: キツネノカミソリ)

(下: ウバユリ)

キツネノカミソリという名前の由来は、「葉がカミソリのように細長い形をしている」ところから来ているとか。しかしなぜ「キツネ」なのかは諸説あり、その1つが、キツネが出そうな場所に咲くからという説です。

一方、ウバユリの名前の由来は、花を咲かせる時期になると、葉がほとんど落ちてしまうので、「葉(歯)が無い」ということで、老女にたとえた名前がついたそうです。ちなみに漢字では「姥百合」と書くとか。

10日前に来た時は、下の写真のように、ほんのひとかたまりのキツネノカミソリと、ヤマユリがちらほら咲いていたのですが・・・

すっかり様変わりして、キツネノカミソリとウバユリに埋め尽くされた奥の沢になっていました。


山岳信仰・羽黒山と名勝・玉川寺庭園・・・山形県鶴岡市(改編)

2021-07-18 | 古道

鶴岡の市内散策の後、鶴岡駅からバスで羽黒山に向かいました。

鶴岡の西方に聳える羽黒山は、月山、湯殿山とともに、出羽三山と呼ばれ、今から約1400年前の推古元年(593)、崇峻天皇の皇子である蜂子皇子が、3本足の霊鳥に導かれ、羽黒山に登拝し、山頂に祠を創建したのが始まりとされる、山岳信仰・修験の霊場です。

山頂までバスでも行けますが、足に自信のある方は、霊山の雰囲気を満喫するために、麓の「随神門」で降りて、歩いて登るのがお勧め。頂上まで延々と続く石段は、2,446段。途中、3ヶ所の急坂があり、かなりきつい道程ではありますが・・・。

(上: 杉の老樹の並木の中を2,446段の石段が続く羽黒山の荘厳)

随神門をくぐって、最初は下り。やがて清流に架かった赤い神橋を渡れば、いよいよ登り坂の始まり。すぐに一の坂。その手前の杉の木立ちの中に、まるで杉の精霊のように、古色を帯びて佇む五重塔は、平安時代(920年代)、平将門の創建と伝わるもの。国宝です。

五重塔近くに、天を突くがごとく聳える巨大な杉は、樹齢1000年と言われる「爺杉」。私の故郷に聳える巨杉「婆杉」とオーバーラップするのでした。

(上: 呼応するかのように並び立つ「爺杉」と五重塔)

樹齢300~500年という杉の老樹が立ち並ぶ中を、はるかに延びる石段。見上げれば、ほとんど垂直かとも思える急坂。苔むして滑りやすいところもあるので慎重に。二の坂を登り切ったところには茶屋があります。そして最後の三の坂を登れば、まもなく山頂。約60分の道のりでした。

山頂には、月山・羽黒山・湯殿山の三神を合祭した社殿があります。月山と湯殿山は、冬期には積雪のため参拝できないことから、ここに三神を祀るようになったと伝わっています。

(上: 羽黒山山頂の三神合祭殿。茅葺き屋根の巨大さが圧倒的)

神仏習合の名残を伝える権現造りの社殿は、見た瞬間、ほーっと声が出るくらいスケールの大きな建物で、特に東北随一という茅葺き屋根の大きさには圧倒されます。なにしろその厚みは、2.1メートルといいますから・・・。

帰り道に出会った山伏の行列の中には、外国人もちらほら。修験道の国際化を実感しました。

 

そして、羽黒山まで来たら、ぜひとも立ち寄りたいのが、山裾にある玉川寺(ぎょくせんじ)。庭園が名勝に指定されています。交通の便があまり良くないのですが、麓からタクシーで5分くらい。バスなら「大鳥居」下車、徒歩15分くらいです。

寺伝によれば、玉川寺は鎌倉時代(1251)に、朝鮮百済国から渡来した了然法明禅師によって開山された曹洞宗の古刹。現在の規模は決して大きくありませんが、山門からすでに、そこだけが別世界のような、幽玄の雰囲気を漂わせ、その由緒の確かさを物語っているかのようです。

庭園は池泉回遊式蓬莱庭園と呼ばれる様式。本堂とそれに連なる書院・茶室の前に広がっています。横長の池の対岸の築山は、背後の裏山に続き、開山堂に通じる石段が、木間隠れにちらちら見えます。

池前の飛石の中に据えられた巨大な礼拝石。向こう岸には、それと対峙する立石。池には、3つの島があり、それぞれが目立たないけれど風情のある橋で連結され、滝石組や護岸の石組などで形成された複雑な汀線が、景を豊かにしています。

池の中に点々と配された夜泊石(よどまりいし)は、蓬莱思想を象徴するもので、理想郷である蓬莱山へ向かうための船の一団が、夜、船溜りに停泊している姿を表現しているそうです。

手入れもよく行き届き、ピーンと張りつめたような静寂境に、心が洗われるようです。室町時代にあった庭園を、江戸時代初期に、羽黒山の別当だった天宥が改修したといわれています。

玉川寺を出たら、遙か彼方に見える赤い大鳥居を目指して歩けば、鶴岡駅へのバス停まで迷う心配はありません。見渡す限りの庄内平野と、頭上の広い空が心地良い、一日の終わりでした。

 * アクセス・拝観などは、最新の情報をご確認ください

 

 

 


鶴岡市内散策(3)=洋風建築を訪ねる・・・山形県鶴岡市(改編)

2021-07-15 | 歴史を語る町並み

藤沢周平ゆかりの場所や建物が点在する鶴岡市は、江戸時代の雰囲気に包まれた町というイメージで、実際、その通りなのですが、訪ねてみると、意外にも明治から大正にかけての洋風建築も多く、城下町にモダンな彩りを添えていることに驚かされました。

上の写真は、大正時代に建てられた「大宝館(大寶館)」。オランダバロック風の窓と、ルネッサンス風のドームを持つ擬洋風建築というものだそうです。

また「酒井氏庭園」のある致道博物館には、明治の擬洋風建築「旧西田川郡役所」と「旧鶴岡警察署庁舎」(下の写真)が移築されています。

しかし中でも、もっとも目を引くのは、内川のほとりにある「鶴岡カトリック教会天主堂」(下の写真)です。

明治36年に建てられた教会で、明治ロマネスク洋式建築の傑作と言われています。その姿の美しさもさることながら、ここには世界的にも珍しい「黒マリア」の像が安置されています。日本ではこの教会でしか見られないそうです。

そうそう、鶴岡公園のお濠端を歩いていたら、若い方はご存じないかもしれませんが、「雪の降る町を」のメロディーが耳に入ってきました。不思議に思いながら少し行くと、雪の結晶をイメージしたオブジェがあり、その前に立つと、♪雪の降る町を・・・と、メロディーが流れる仕掛けでした。

鶴岡は、この曲の故郷でもあったのです。昭和27年3月、作曲家・中田喜直氏が、この地を訪れた時に見た雪景色と、月の光の中から舞い落ちてくる雪の思い出を曲にしたと言われています。曲に合わせて「雪の降る町を、雪の降る町を、想い出だけが通りすぎてゆく・・・」と口ずさみ、なつかしさがこみ上げてきた散策の終わりでした。

 

・・・鶴岡市内散策、終わり・・・

 


鶴岡市内散策(2)=名勝・酒井氏庭園・・・山形県鶴岡市(改編)

2021-07-09 | 日本庭園

前回でもご紹介しましたが、鶴岡公園のお濠に面した致道博物館のある場所は、江戸時代は鶴ヶ岡城三の丸にあたり、当時は庄内藩の御用屋敷があったということ。

現在は古建築が移築され、資料館として公開されていますが、その一画に、名勝庭園「酒井氏庭園」があります。(下の写真)

藩主御隠殿(ごいんでん)の北に位置するこの庭園は、東北地方では珍しい、典型的な書院庭園ということ。中央に池を穿ち、対岸の築山の左手に豪快な滝石を組み、その周りに峡谷の景を創り出し、また水辺は荒磯風の石組で修景しています。

さらに、右手の見事な亀頭石を立てた出島。その奥の入江の奥深い景が見どころです。 

本来は、秀峰・鳥海山を借景に取り入れていたとありますが、背後の樹木が育ち過ぎて見えなくなっているのが残念。

作庭年代は不詳ながら、江戸時代初期に遡ることができるというもので、昭和四十六年の大改修で、当時の姿を取り戻したそうです。

 

* 滝石組は、残念ながら、写真では不明瞭でした。


鶴岡市内散策(1)=藤沢周平の海坂藩・・・山形県鶴岡市(改編)

2021-07-04 | 歴史を語る町並み

藤沢周平の小説が大好きで、山形県鶴岡市を訪ねました。

「山形県西部、庄内平野と呼ばれる生まれた土地に行くたびに、私はいくぶん気はずかしい気持ちで、やはりここが一番いい、と思う。山があり、川があり、一望の平野の広がり・・・」

時代小説の名手・藤沢周平が、随筆集『ふるさとへ廻る六部は』の冒頭に、こう記した庄内地方。中心都市の一つ鶴岡市は、江戸時代、庄内藩酒井家十四万石の城下町として栄え、その名残を今に伝える町ですが、そこはまた、藤沢周平の小説中にしばしば登場する、北国の小藩「海坂(うなさか)藩」のモデルとして知られています。

鶴岡駅の観光案内所で、藤沢作品ゆかりの地が記された市街地観光マップをもらいました。『凶刃・用心棒日月抄』の「般若寺」として、あるいは、『蝉しぐれ』には「龍興寺」として登場する「龍覚寺」を見て、内川のほとりに出ます。

 

(上: 龍覚寺)

街の中心を斜めに走るこの川は、藤沢作品の中では「五間川」と呼ばれている川。川岸の案内板には、『秘太刀馬の骨』の一節が書かれています。

「・・・五間川はちょうどそこでゆるやかに東に向きを変えているのだが、曲がり切ったところに南から北にかかる千鳥橋の北袂には、橋下の船着き場を照らす常夜燈がある・・・」

(上: 「五間川」の描写と重なる内川の眺め)

今、目の前にある内川を眺めれば、そこから川は大きく蛇行し、まさに描写通りの姿を見せています。この川はまた、『蝉しぐれ』の中でも、物語の要所要所に登場する象徴的な川。眺めれば、虚構と現実が交錯する内川の流れです。

そこから少し歩くと、「風間家旧宅・丙申堂」。風間家は庄内藩の御用商人で、後に鶴岡一の豪商となったということで、明治時代に住居兼店舗として建てられた丙申堂は、往時の豪商の家の様子を伝えるもの。また映画「蝉しぐれ」のロケ地としても知られ、内部見学もできます。 

街の南西にある鶴岡公園は、庄内藩主酒井氏の居城「鶴ヶ岡城」跡で、お濠端は、『花のあと』の重要なシーンが展開する場所。ここで、主人公が見る桜は、その後の物語を暗示するかのように、「豪奢で、豪奢がきわまってむしろはかなげにも見える眺め」でした。

(上: お濠端の桜並木には『花のあと』の一節を記した案内板がある)

鶴岡公園の西のお濠に面してある致道博物館には、古建築が何棟か移築されていますが、その一つ「田麦俣の民家」も映画「蝉しぐれ」の舞台となったそうです

 

(上: 「田麦俣の民家」は、この地域独特の構造を持つ兜造りの多層民家)

 

鶴岡公園の南側に見える豪壮な瓦屋根の連なりは、庄内藩校「致道館」です。文化2年(1805)、庄内藩中興の名君と評された九代藩主・酒井忠徳により創立された藩校で、広大な敷地には、聖廟、廟門、講堂、御入間などが現存し、藩校建築の様子を今に伝えています。

 

 

(上: 致道館は、東北地方に現存する唯一の藩校建築物)

「庭をへだてた向こうの棟から、少年たちの素読の声が聞こえてくる。・・・かすかなその声をのぞいて、建物は静まりかえっている。建物の屋根のうしろに、薄もも色に染まった雲が浮かんでいる。」(『義民が駆ける』より)

訪ねれば、随所で、小説の主人公と心を通わせることができそうな街です。また、2010年には、鶴岡公園内に「藤沢周平記念館」もオープンしたということで、ファンには見逃せないスポットになるでしょう。

* 最新の情報ではありません。お訪ねになる際は、最新の情報をご確認ください。