先日、NHKの「ブラタモリ」という番組で、八王子市が紹介されました。その中で、下の写真の石段の途中からの眺めも登場したのですが、ここは、八王子市にある歴史の道「絹の道」の、一方の起点です。
(上: 住宅街のはずれにある石段を上った高台が、「絹の道」のはじまり)
その道は、横浜が開港した江戸末期から、鉄道が発達するまでの明治時代中期にかけて、当時の主要輸出品であった生糸が運ばれ、周辺地域の生糸商人の繁栄を今に伝える道です。
しかし、番組のテーマ『八王子はなぜでかい?』とは、関係がなかったので、そこで終わってしまいました。
ちょっと残念だったので、その道の続きを、ここでご紹介したいと思います。
八王子と横浜を結んだその街道は、現在は、大部分が開発によって失われてしまいましたが、そのうちの八王子に残る約1.5キロの道が、「絹の道」と呼ばれ、当時の面影を残す歴史の道に指定され、散策コースとして親しまれています。
それは片倉台という住宅地のはずれの丘の上から唐突に始まります。
(上: 高台からの眺め)
(上: 道は尾根づたいに続く)
少し歩くと、旧道了堂の跡地を整備した大塚山公園。
しかし、公園といっても、あまり人気(ひとけ)はなく、さらに、ここは、ずいぶん前のことですが、殺人事件の犠牲者が、ここに埋められているのが発見されたということで、一時期、「心霊スポット」として有名になったところでもあり、そのせいか、昼間でも、一人だとちょっと不気味。
(下: 生糸商人の衰退とともに廃寺となった道了堂跡)
公園を過ぎると、小径は竹林や木立の間を抜けて行き、「絹の道」コース中のハイライトです。晴れの日は木洩れ日が美しく、風が木立を抜ける葉擦れの音にも風情を感じます。
(上: 雑木林の中を行く、「絹の道」のハイライト)
(下: 「絹の道」といえば、この光景)
そして、時々訪れていたその道を、トロイアの遺跡の発掘で知られる、ハインリッヒ・シュリーマンも通ったことがあると、ある時、友人から知らされ、びっくり。
その頃、シュリーマンは、国際的な大商人として巨万の富を築き、世界旅行をしていて、その途中、中国および幕末の日本を訪れたということです。シュリーマンが日本にやって来たのは、1865年6月1日。約1ヶ月間の滞在中に見聞した、当時の江戸の街や日本社会、文化、人々の様子などが、『シュリーマン旅行記 清国・日本』(講談社学術文庫)に詳しく描かれています。
その中に、次の一文があります。
「横浜滞在中、あちらこちらに遠出をしたが、特に興味深かったものに、絹の生産地である大きな手工芸の町八王子へイギリス人と6人連れ立って行った旅がある」
その時に通ったのが「絹の道でした。旅行記にある「田園はいたるところさわやかな風景が広がっていた。高い丘の頂からの眺めはよりいっそう素晴らしいものだった・・・」というあたりが、今見る「絹の道」からの景色でしょうか?
(上: シュリーマンも、ここから眺めた?)
今まで見てきた何気ない風景が、こうした土地の記憶を知ると、ちょっと特別なものに見えるから不思議です。
ちなみに、シュリーマンがトロイアの遺跡の発掘に成功したのは、この旅の6年後のことだそうです。
「絹の道」の終点には、「絹の道資料館」があります。生糸商人の屋敷をイメージした入母屋造りの外観を持ち、絹の道の繁栄を物語る資料の数々が展示されています。入館料は無料で、休憩所もあります。
(上: 絹の道資料館入口)
(上: 当時の資料が展示された「絹の道資料館」。しかし、残念ながら、シュリーマンの記録はありませんでした)
以上、なかなか心地よい散歩コースなのですが、私が辿った順路は、道の起点が分かりにくいのが難点です。JR横浜線片倉駅から徒歩10分くらいですが、起点に至る道筋には道標がありません。
従って、初めての方には、ここでご紹介したのとは逆の、「絹の道資料館」からの出発が、分かりやすいと思います。ただ、散策コースとしては、片倉台側からの方が、私は好きですが・・・。
* 「絹の道資料館」アクセス: JR・京王線、橋本駅から多摩美術大学経由「南大沢駅」行き、または京王線、南大沢駅から多摩美術大学経由「橋本駅」行きで、バス停「絹の道入り口」下車、徒歩10分