日本庭園こぼれ話

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日本庭園の中の「祈りの場」

2018-12-15 | 日本庭園

これまでにも、折りに触れ、書いてきましたが、日本庭園の特色を語るキーワードの1つに、「祈りの場」があります。

その中で、特に顕著なのが、『浄土式庭園』と『大石武学流庭園』そして、他に類を見ない構成を持つ『月の桂の庭』です。

『浄土式庭園』は、平安時代後半に盛んに造られた庭園様式。

当時信仰された仏教の浄土思想に基づき、浄土曼荼羅に描かれた極楽世界の構図を、庭園の中に再現する形でつくられたものです。

(上:浄瑠璃寺庭園。池の対岸に阿弥陀堂)

「浄土」というのは、悟りを開いた仏陀や菩薩の住むところ。特に阿弥陀の西方極楽浄土を指すと言われています。

現存する浄土式庭園は少ないのですが、当時の姿を遺すものとして「平等院庭園」(京都)、「浄瑠璃寺庭園」(京都)、「円成寺庭園」(奈良)、「毛越寺庭園」(岩手)、「称名寺庭園」(神奈川)などが挙げられます。(復元を含む)

 

 

(上:称名寺庭園)

構成の基本は、中央に大池を横たえ、対岸に阿弥陀如来を安置した阿弥陀堂を配するというもの。

(上:無量光院復元CGより)

 

 

 

 

 

 

 

(上: 毛越寺遺跡図より)

(上:毛越寺庭園。造園技法の粋が集大成されている)

ただ、浄瑠璃寺では、寺域の西側に阿弥陀堂、東側に薬師如来を祀った三重塔を配した珍しい構成が見られます。

 

 

 

 

 

 

 

(上:浄瑠璃寺。木立の中に三重塔)

これは、薬師仏は、現実の苦悩を救い、目標の西方浄土に送り出してくれる仏。阿弥陀仏は、理想郷である浄土に迎えてくれる仏という考えに基づいたもので、この寺では、まず、東の薬師仏に苦悩の救済を願い、そこで振り返り、池越しに阿弥陀仏に来迎を願うのが礼拝の形とあります。

 

『大石武学流庭園』は、江戸時代末期から明治かけて、津軽地方に開花した独自の造庭技法。代表的な庭園として「清藤氏庭園」「盛美園」「瑞楽園」が挙げられます。

(上:瑞楽園)

技法の特色としては、豪快な石組、借景に土地の名山・岩木山を取り込む、礼拝や清浄を重んじるとあります。

(上:盛美園)

石組の中でも目を引くのが、巨大な礼拝石。

(上:揚亀園。礼拝石の多くは、このように池の畔にある)

礼拝石、すなわち、そこに立って拝むための石です。しかも寺院の庭ではないところにあるというのが、非常に珍しいと言えます。

( 上:鳴海氏庭園)

 

『月の桂の庭』は、上記の庭園とは異なり、「~式」「~流」という様式ではなく、唯一無二の庭園様式です。山口県防府市にあります。

庭は、桂家四代目当主の運平忠晴が、正徳2年(1712)に作庭したと伝わる、書院に面した石庭です。

逆L字型の敷地に、点在するユニークな石組で構成された庭は、意味的にも、意匠的にも、実に凝っています。

特に注目されるのは、築地塀の角、景色の要となる場所にある、台石の上に載っかったL字型の石。「兎石(とし)」と呼ばれ、「兎子懐胎(としかいたい)」を象徴しているそうです。

これは「兎は中秋の月に向かって口を開き、月光を呑み込むことにより懐妊する」という故事に基づくもので、毎年この庭では、旧暦の11月23日の夜半、この兎石の上に月がかかるのを待って、月待ち行事を行っているということでした。

(上:これから満ちていく月を象徴している兎石)

鉤の手に曲がった敷地の東庭は上記の兎子懐胎の庭、南庭は神仙境を象徴した石組から成り、「一庭二景の枯山水」と呼ばれるこの庭は、非常に宗教的色彩の濃い庭です。

 

このように、庭園が祈りの場としての性格を持つというのは、世界の様々な庭園の中でも珍しいのではないでしょうか?

 * 個々の庭園の詳細については、ブログの過去のページをご参照ください。

* 「月の桂の庭」は、現在は年に2日のみの公開だそうです。詳しくは、防府市観      光協会などの公式HPをご参照ください。

 


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