日本庭園こぼれ話

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龍安寺庭園の謎・・・京都市(改編)

2021-11-21 | 日本庭園

数ある日本庭園の中でも、最高峰の枯山水として、世界的にも名高い龍安寺石庭。しかし、「本当に名庭なのだろうか?」というテーマの論評も、他の庭園に比べて断トツに多いのです。

確かに私も、昔、修学旅行で最初に石庭と対面した時は、思っていたより小さくて、地味なその「名庭」に、ふーん?といった印象しかなかったように思います。

ご存じのように、石庭は白砂と、わずか15個の、それほど大きくもなく、特徴もないような石が組み合わさって、据えられているだけです。その配置の妙をどのようにとらえるか。庭園に関する公の記録がないので、龍安寺庭園は謎でいっぱいです。

(1)庭ができたのはいつか?

作庭時期は、室町時代(15世紀半ば)、寺の建立と同時につくられたというのが通説です。しかし、一方、江戸時代初期(17世紀初め)説もあります。なぜなら、石組が非常に洗練されていて、特に、その配置に透視法が用いられていることが挙げられます。透視法は16世紀に伝来して使われるようになったものです。

また、関白秀吉が龍安寺に観桜のためにやって来た時の記録に、石庭の記述が全くないことから、作庭年代はその後だろうという説もあります。

(2)誰がつくったのか?

作庭者についても、諸説紛々。龍安寺を創建した管領・細川勝元、その子の政元、足利義政に仕えた相阿弥、さらに、茶人・金森宗和や小堀遠州の名もあり、また近年浮上してきたのが、妙心寺霊雲院庭園を作庭した禅僧・子建作庭説だそうです。石の後面に刻まれているという「小太郎」「清(彦?)二郎」の名も、謎を深めるばかり。

 

 

(3)庭は何を表現しているのか?

大海に浮かぶ島々か?中国の故事にある「虎の子渡し」の場面か?、陰陽二元論に基づいた意匠か?それとも後世の人々が無理矢理こじつけているだけで、実は全く意味のないデザインなのか?

 

多くの説がある中で、私が一番気に入っているのは、龍安寺入口にある「鏡容池に棲む鯉が、龍門瀑を昇って転じた龍を表す」というものです。龍安寺垣の菱文様は、鱗(うろこ)を思わせ、その垣は下の池から、石庭のある上段まで、時にはうねりながら続いています。

 

 

(下: 鏡容池)

 抽象的な構成であるが故に、無限の想像力をかき立てる庭園です。


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