太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

ODAに纏わる話

2020-10-21 07:36:45 | 思い出話
 首相が初めての外遊でインドネシアに500憶円の円借款(有償資金協力)をコミットした。気前が良い様に思われるがODAはどの国にどれくらいという援助枠が毎年予算化しているから訪問のタイミングに合わせた土産代わりのようなものだ。一応借款(ローン)だから返済義務がありプレゼントとは言い難いがそれでも低利融資なので一応プレゼントである。ある時期開発途上国に太陽電池案件形成のために商社マンと一緒に何か国か回ったことがある。当時は国内に殆ど市場はなく電力網が未整備な途上国が有望と考えられていた。その頃は未だ太陽電池も高価でODAでも無償援助案件が狙いだった。殆どの大手商社の人達と付き合いがあった。中でも印象に残っているのは三菱商事の方で年は向こうが3,4歳上だった。色々な事を教えて貰ったがとてもユニークな人で、途上国では食べるものに困ると言ったら、一流の商社マンはサルクン(猿の燻製)ワニブツ(鰐のぶつ切り)は当たり前ですよとか、商社マンで大事なことは嘘を言ってはならない、でも都合の悪い事は言わないなどと真顔で言う。その頃は商社がODAで賄賂や談合で世間を賑わしていたが、まだ可愛いもんですよ、私が担当して港の整備案件をやったのですが何年も経たない内に港が砂で埋まり使えなくなってしまった。あの時はヒヤリとしましたがこちらに落ち度はなかった。もし落ち度があれば私は今頃何処かの国の駐在に飛ばされていましたよ。商社マンが突然居なくなるのはほとぼりが冷めるまで海外勤務になるのが通例ですからとか、イスラマバードで雨が降って街中が水浸しで車が大渋滞になった時、帰って次は下水道案件を勧めようとか何時も冷静沈着だった。ある日部長を連れて来て、この人が次のいや次の次の社長ですと紹介されたが本当に社長になった。意外に社内では変わり者だが好かれていたのかも知れない。随分この人には親切にされたように思うが多分彼の職場の先輩に私自身が可愛がられていたからかも知れない。
 その先輩は伝説の商社マンでアフリカで大活躍していた人だ。小柄だったが学生時代は柔道でも有名だったとのこと。太陽電池の無償案件第一号はこの人が仕掛けたようなものである。一言でいうと何事にも動じないがヤンチャ坊主のようなところがあった。その人は何故かわが社のカリスマ経営者に可愛がられていた。この第1号案件では相手側の要職に札付きの悪が居て難癖をつけてビッドボンドだったかパフォーマンスボンドを掠め取られてしまった。確か当時の金で5000万円だったと思う。カリスマはアイツ(商社マン)が仕掛けた案件だが払ってやれ勉強代と思えば良いと言われた。その人はリタイア後は大好きなアフリカに移住してしまい現地で交通事故で無くなった。日本の新聞にも大きく載った、真に伝説の炎熱商人だった。亡くなる1年くらい前だったろうか、先生(私のことをこう呼んでいた)アフリカに来て焼き鳥屋をしないか、ケラケラという鳥がタダで獲れるし儲かるよと国際電話をしてきた。何処まで本気なのかサッパリ分からなかった。これ以外にも各商社に多くの知り合いがいた。当時は大手商社と雖も個々人が独立した店のようなもので横とか縦の繋がりは殆どなく個人の才覚がものを言っていた。One for AllはあってもAll for Oneは無かった。それでも皆一流大卒のエリートばかりだった。親しかった商社マンも何十人か居たがもう皆年が行き亡くなった方もいるだろう。本当にお世話になり勉強をさせて貰った人ばかりだった。今私の一連の馬鹿なブログを見たらどう思うだろう。多分彼らの記憶にある私とは全く違い、例え目に触れる機会があっても同一人物とは誰も思わないだろう。


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