太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

東京

2021-04-17 07:55:08 | 思い出話
 マイ・ペースの歌で「東京」というタイトルのものがある。なかなかいい曲だと思うが歌詞の一節に『・・・電車は走る遠い道を あぁ今すぐにでも 戻りたいんだ 君の住む町 花の東京 東京へはもう何度も 行きましたね 君の住む美し都 東京へはもう何度も 行きましたね 君が咲く花の都』。小池知事がコロナ感染拡大で『東京には来ないで』と言っている。かっては地方民から『東京からは来るな』と言われた。汚染源と見られたのである。その頃大阪と兵庫の知事は互いに往来を控えろと罵りあいをやっていた。今は大阪は東京を超えて感染者数日本一である。本籍が兵庫で学生時代を大阪で過し、マン防候補の奈良で社会人になり、最後は東京に勤めた身としてはどの地も思い入れがある。敢えて何処が好きかと問われれば東京である。最初感動したのは山手線と環状線の大きさの違いである。大阪が21.7km、東京が34.5km東京が1.5倍である。しかも沿線の何処も街並みが広がり途切れることがない。何と東京は大きい街かと。次がビジネス街である。丸の内は街全体が清潔でビルも美しい。大阪は淀屋橋・中の島エリアだろうか。かなり限られた狭い地域でありやはり規模が違う。繁華街では難波界隈と新宿だろうか。大阪はちょっと露地を外れると何かが起こりそうな緊張感がある。これらは住んでいた時代が違うこともあり単純比較はできないが個人的思い出がそれぞれの地域にある。もし同時に過ごしていたらコロナで身動きが取れない。
 東京から僅か1時間の所に住んでいいるがもう東京には行けない。行けないのではなく行く用事が無いのだ。今思うのは懐かしいのは生まれたところでも住んでいた所でもない、東京だ。華やかでちょっと冷たい、それでいて情報の宝庫で愛すべきやせ我慢の人達が居た東京。丸の内を歩いているだけで一流サラリーマンになったような気分になれた東京、当たり前のように背景に議事堂があり、泊ったことなどない帝国ホテルの前から日比谷公園を抜ける。仕事もある意味手応えがあり多くの人と知り合い、憧れて東京にでたわけではないがちょっとTVドラマのような時代であった。
 ホテルと言えば知り合いがあるホテルチェーンの社長になった。直後コロナに見舞われた。特にホテル業で育ったわけではなく系列の子会社に天下りというコースだ。元はメーカーの営業マンだったが同じ客商売とはいえ180度違う世界で随分苦労したと思う。ホテルはビジネスホテルではなく観光客が主体だったからコロナに直撃されただろう。本人の責任ではないが業績はとんでもなく低迷し、今でも続いているだろう。折角サラリーマン最後で社長となり、やがて円満リタイアとなる恵まれたコースだったのに何と不運なことか。偶にメールが来ていたが気の毒でこちらから連絡をとるのは躊躇していた。彼が営業マンだった頃一緒に海外の色んなところに出掛けた。性格も良く知っており兎に角辛坊強い、耐えることが才能とも言える男だった。コロナだからといって親会社は業績悪化を許すようなところではない。毎日何とか工夫せよと厳しく責められたと思う。あの忍耐強さが簡単に凹むとは思えないがそれにしても最後の最後可哀そうでもある。社長になってから予期せぬ出来事で塗炭の苦しみに見舞われた。このような不運はコロナ禍世の中至る所にあるのだろう。


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