太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

こんなもの無かった時代

2020-10-22 07:25:35 | 思い出話
 今の若い人達は携帯電話がない時代など耐えられないだろう。今中年の方はパソコンが無かったら仕事は出来ないだろう。高齢者の方の必須アイテムはなんだろう。団塊世代より上の方々は多分今普及している便利なものは何も無かった時代を経験している筈だ。今は当然のように誰でも持っている、どこの家にもあるという物が無かった時代はついこの前のことだ。TVのバラエティ番組で無人島生活を経験する番組があるが、我々子供時代はあれとあまり変わらない生活をしていたから特に凄いとも思わない。
 時代を特徴づける文明の利器の代表的なものはインターネット、パソコンとスマホだろう。会社では図面を描くCADも無かった。これが無かったら生活できないと思う人も大勢いる筈だ。しかし高齢世代は無くても生きて行ける。無い時代を経験しているから、有れば便利だが無いと生きて行けないと言う程でもない。逆に有って困ったことがある。仕事柄途上国の僻地に行くことが多かったがある種の解放感を感じていた。その国の首都までは何とか連絡はつくが僻地に出掛けると音信普通になることは屡々(しばしば)であった。当該国内で連絡が取れない。ましてや日本の本社からなど物凄く複雑なルートで何時間も掛けないと連絡はとれない。当然日本国内との双方向のやりとりなど無理である。余程の緊急事態でないと連絡などあり得ない。
 その頃感じていたのは家を一歩出るとちょっと自由に、空港を発つとさらに自由に、首都を出て地方に向かう時は完全に開放された気分になっていた。もう事故に遭おうが病気になろうが助けなど直ぐには来ないという諦めがあった。幸いにもそういう事態に遭遇しなかったので今思う地ある種束縛から逃れた解放感すら感じていた。最初の頃は何日に出掛けて何処に行って何時帰ると日程表を残して出掛けた。その内に出掛ける数日前に何処の国に行くとしか言わなくなった。連絡も取れない、直ぐに駆けつけることも出来ない所に行くのに却って心配を掛けてしまう。慣れとは恐ろしいものでそれが普通になった。社宅から現在の自宅に引っ越しをするときはインドに出張行っており出張に出る家と帰る家が違っていた。おかげで大して長い出張ではなかったが引っ越しの苦労をしなかったというラッキーもあった。しかしインターネット(メール)と携帯電話が普及し始めるとそうは行かなくなった。途上国でも携帯の普及は速かった。有線という古い設備を置き換える必要が無いのでいきなり携帯の普及である。それからは会社の方から実に下らないメールや電話が来るようになった。来月の予定はどうしましょうとか、ちょっとした揉め事などまるで隣にいるかのように連絡が入るようになった。会社に居るのとほぼ変わらない状態である。自由など何処にもなく、会社からリードをつけられ束縛されているようなものである。便利ではあるが不自由でもあった。製図台とT定規、墨入れは烏口、最後にボタッとインクが漏れるが会社に入るとドラフターにロットリングペンになり、それがCADとプリンターであっという間に図面は描ける。驚くだろうが学生時代は計算尺や手回し計算機を使いこなしていた。社会に出ると関数電卓まで普及し始めた。もっと遡ると巡回でやってくる夢中になった紙芝居屋はTVに置き換わった。コンビニが無かった頃?ロバのパン屋がやってきた。もうちょと遡ると見たことはないが焼け野原である。今でも本当にこれが必要かと考えてしまうことは度々ある。それは物に限らない、行動しかりである。今でなくても、明日でも構わないか、GoToに興味が湧かないのはそういうことかも知れない。あると便利だが無くても困らない。後生大事なことなどそうそう無い。


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