太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

人生はやり直せるか

2022-11-27 08:25:21 | 日記
 昨日で全22回の市民講座の聴講が終了した。何よりも今年も皆勤で終えられた無事を喜んでいる。それにしても高齢者の学習意欲には驚かされる。皆さんそれなりのキャリアを積んだあとの学修である。「学修」は、一定の課程にしたがって知識や技術を学んで修得する(身につける)ことを意味する。学習はやらされている感が強く、学修は自主的と言える。しかしこの先身につけた知識を生かす機会は限られているだろう。それでも新しいことを学ぼうという意欲は消えて無くなりはしない。不思議といえば不思議である。今メタバースが注目されている。Wikiによるとメタバースとはインターネット上に存在する仮想的な空間であり、そこでは「アバター」と呼ばれるキャラクターが自分自身の分身となり自由に行動することが可能である。簡単に言えばネット上のサーバーに構築する,三次元グラフィックの仮想空間(社会)で動き回るのである。
 身近な例ではネット上のモデルハウスを訪問しアバターである自分自身が室内を自由に動き回り設備などの部屋の様子を見ることができる。こっちの部屋はどうだと扉を開けてみるとトイレだったりする。もっと人間が進化すると自分の脳内にメタバースを構築し、あたかも色んなことを経験したような気分になるのではないだろうか。そこでは早送りも可能で物心がつくと自分の一生を早送りで見てしまうこともできる。しかもそれは殆ど自分の意のままに構築された一生である。100倍速なら100年は1年で終わる。SFの世界ではこうなると言えるのだが人生を早送りで見るかスローモーションでみるか、どちらが幸せだろう。
 巻き戻しもある。あの楽しかった時をもう一度脳内メタバースで経験することも可能である。かって大先生に、戻れるとしたら何歳に戻りたいですかと聞いたら、今の知恵を持って二十歳に戻れるなら良いがねと言われたように思う。よく考えると単に二十歳に戻っても同じ轍を踏んで同じことを繰り返すだけで人生のやり直しにはならない。やり直すからには比較すべき人生がなければならない。2回人生を歩むのも結構しんどい。結局今ある人生は一度は経験しないけないなら今の人生をよりましな方へ向ける努力をするしかない。齢がいっても学習し何かを身につけたいと思うのは自然のことなのかも知れない。もう今回で市民講座はいいかと思っていたところに来年のカリキュラムが配布された。ちょっと面白そうである。興味が尽きないなら続けても良さそうだ。ますます何かに生かす機会は狭まってはくるが。やり直しの人生が無いなら少しでも明るい方へ。


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