太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

悲しい七夕

2020-07-07 08:05:02 | 思い出話

今日は七夕である。九州地方では連日の豪雨で洪水や崖崩れで多くの被災者が出ている。今なお何万人もの人が避難をしており七夕は辛くて悲しい日になったに違いない。誰もが通る道とはいえ両親を比較的早く病気で亡くしてしまい、7月7日は母親の命日である。七夕は織姫と彦星などのロマンチックな話ではなく悲しい記念日となってしまった。命日を忘れないという意味では良いかも知れないが自分の子供たちが七夕で楽しんでいる時もどこか溶け込めないものがあった。

今では母親の年齢を20歳も過ぎ、こちらの方が遥かに年上になってしまったが思い出の中の母親は何時まで経っても随分年上である。人生で最も楽しい時代を戦争で過し、空襲で焼け出されて、結婚してからは旦那で苦労をし、やっと子供たちが結婚や就職をしたと思った矢先病気で亡くなってしまった。人生前半の苦労が報われる後半の入り口だった。戦争を挟んで生きて来た多くの人が大なり小なり苦労はしただろうが人一倍の苦労を知っているだけに楽しい時代などあったのだろうかと今でも思う。

それでも入院してから見舞いに来る兄弟達を見ていると随分可愛がられ慕われていたことがよく分った。農家の6人兄弟の次女で取柄と言えばひょうきんなところぐらいで勉強も兄弟の中での出来は良くなかったようだ。しかしまるで末っ子のような可愛がられ方は気が小さくて素直で幼稚なところがあったからかも知れない。それとも一人だけ高等小学校を出ると直ぐに田舎を飛び出し都会で看護師として苦労をしていたのを兄弟達は知っておりベッドに横たわる姿が不憫と思ったのかも知れない。その兄姉弟妹達が皆寿命まで生き、立派な家を建て海外旅行などそれなりに豊かになって行く姿を見るにつけ一層可哀そうでならなかった。戦中戦後を生きた人達に似たような苦労話は沢山あるだろうが、もう少し生きてさえいればと思う日々は続いている。もしあの世というものがあるなら手を引いて東京見物もつれて行き、TVドラマで外人の顔は皆同じに見えると言っていた母親を海外にも連れても行ける。しかしこちらが母親の歳を20年も過ぎてしまったのであの世では親子の年齢関係が逆転している。こちらが手を引かれないためにもヨボヨボに弱って死ぬ訳には行かない。場合によってはあの世でも元気で働いて両親の面倒をみなければならないかも知れない。母親の命日には、あの世で親孝行するためには元気で死ななければ、決して病気などで死ぬわけには行かないと何時も想う。

一度目の手術をし退院して少し回復し出歩けるようになったある日母親が小さな仏壇を買って来た。神道であった父親に遠慮してのことか、小さい頃仏壇はここに死んだ人が入っていると教えられていたからかそれは突然であった。病名のことは本人には伏せておいたし体重も増えてきたので周りもこのまま再発しなければ知らずに過ぎると思っていた頃である。今考えると看護師をしていたから当然自分の病気は知っていたのだろう。出来る間に自分のことは自分で済まそうと思ったのかも知れない。再発し亡くなったのはそれから1年くらい経った頃である。今日はその小さな仏壇に居るであろう年下の母親に、喜ぶかどうか分からないが線香の一つもあげるつもりだ。



コメントを投稿