「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

HDD化作業を通じて見えてきたこと3題

2012年08月20日 15時36分20秒 | スポーツ

外に出ると暑いので、外出の用件がなければ極力HDD化作業に集中しています。

今はまだJリーグ開幕前後、つまり1990年代はじめの試合・番組が中心ですが、作業していると、いろいろなことが見えてきます。3題取り上げてみます。

(1)奥寺康彦さんが、1992年の段階で、すでに日本代表の試合運びについて、いわゆる勝ち切る試合の終わらせ方を再三指摘していたのが、印象に残ります。

1992年8月、ユベントスが来日してくれて、日本代表と2戦試合しました。第1戦は2-1でリードしながらロスタイムに同点にされて、勝てた試合をフイにしてしまいました。解説していた奥寺康彦さんは「いつもいつも、最後の最後にチャンスをものにできない試合をしている」と指摘していました。この年は1月にバルセロナ五輪サッカーアジア最終予選の韓国戦で引き分けでも出場権獲得という試合のロスタイム寸前のところで失点して敗れ出場権を逃していましたので、ここぞという大事な試合の勝ち切り方について指摘したのだと思います。

このあと10~11月のアジアカップで優勝したり、翌年のワールドカップアジア一次予選を着々と勝ち続けたことで、最後の詰めを意識して勝ち切るサッカーについての共通意識、共通戦術が不足してしまったのだと思います。

すでに、この当時、試合開始からの5分間とか終了間際の5分間といった、危険な時間帯については選手ならずとも知っている時代でしたが、では、その危険な時間帯をどう乗り切るのか、勝っている試合、あるいは負けていない試合を、どう、そのまま終わらせるのかについて、代表チームでは、明確な意識と戦術はとられていなかったようです。

つまり、まだ「危ない時間帯だから気をつけろ」で終わりといった時代だったと言えます。それは映像を見ているとよくわかります。いまなら、とにかく相手にボールを渡さない意識、それに必要なサポートといった動きが当たり前ですが、当時の試合を見ていると、前線のサイドでマイボールになっても、誰もサポートに行かないので、その選手は誰もいないゴール前にクロスをあげてしまったり、入る見込みのないシュートを打って相手ボールにしてしまうといったことが普通に見られます。

このあたりが、いわば経験ということなのでしょう。まだワールドカップに行くには甘すぎるということでしょう。奥寺さんは欧州のシビアな戦いで揉まれてきましたから、その辺が歯がゆくてしょうがなかったのだと思います。オフト監督ですら、その詰めの部分について意識が高かったとは言えないと思います。Wikipediaの「ドーハの悲劇」という項目には、そのような評価が書かれています。

まぁ、オフト監督だけではなく、何か方法がなかったものかと思いますが、すでに、いろいろな総括がなされた今となっては、ここまでにしておくべきだと思います。

(2)サッカー番組におけるさんま、木梨、川平兄弟の存在について感じました。

1992年1月、日本テレビ系列で「さんまの史上最大のバラエティ だからサッカーは面白い」という番組が1時間30分枠で放送されています。もっとも制作は静岡第一テレビなので、全国くまなく放送されたかどうかわかりませんが、関東で1時間30分枠のサッカーをテーマにしたバラエティ番組が放送されたのは、おそらく、これが最初ではないかと思います。

出演者がラモス、カズ、武田ですから読売クラブのアピール番組でもあるのですが、当時の日本代表の中核でしたから、文句のないところでもあります。

さんまさんは、すでにトヨタカップ中継にも必ずゲスト出演しており、また日本リーグのポスターにも起用されるなど自他共に認めるサッカー好きですが、このような形でサッカーだけのバラエティ番組を作れるようになったのは、やはりさんまさんの存在あればこそでしょう。さんまさんは、最近でこそ、はしゃぐ年てもなくなったようですが、現在に至るまでサッカー番組を楽しいものにしてくれた大功労者です。

楽しくしてくれたもう一人の功労者は、とんねるずの木梨さんでしょう。うまいぐあいに、帝京高校野球部出身のタカさんと、同高サッカー部出身の木梨さんですから、この二つを軸にしたスポーツバラエティ番組を作るには打ってつけであり、今なお対決ものの番組を続けているバイタリティには頭が下がります。

野球好きの大物芸能人は昔から途切れることなく多く、現在もSMAPの中居正広さんなどがいます。それにひきかえサッカー好きの大物芸能人の系譜には少し不安が残ります。スパサカから巣立った加藤浩次さんが「スッキリ」の司会に抜擢され、大物への階段を上りつつありますが、彼はスッキリではサッカー好きという色をあまり出さないようにしている感じです。まだスパサカをやっているので控えているのかも知れませんが、もしスパサカを卒業したら、どうぞ遠慮なくサッカー好きを前面に出してください。

最初にあげたさんまさんの番組でもう一つ目を引くというか、耳に残るのがジョン・カビラさんのナレーションです。おそらく、これでサッカー番組のナレーションならジョン・カビラさんという評価も定着したのではないかと思います。

以来、ジョン・カビラさんは、いつの頃からか主な舞台をフジテレビに移し、20年にわたってサッカー番組を盛り上げる役割を果たしてこられました。まるで感謝状の文句みたいですが、まさにそうだと思います。サッカー文化において、ジョン・カビラさんを得たことは幸福だったと思います。いまや彼は、そのトークの歯切れのよさ、元気のよさで一般の情報番組の司会にも起用されています。

このジョン・カビラさんの弟、川平慈英さんの存在もサッカー界にとっては大きいです。このブログでも紹介しましたが、彼が1991年にWOWOWスーパーサッカー・イタリアリーグセリエAのナビゲーター&実況役として登場した時は、実況だけは、やはり、あまりに無謀なキャスティングで、わずか何回かで降りましたけれど、読売クラブユースでやっていたサッカー選手で、しかも役者さんもやっているという筋の良さがあって、久米宏さんのニュースステーションで使ってもらい、いい感じでサッカーを盛り上げてくれました。

結構、私たちは、この二人にサッカーを盛り上げてもらったな、という感じをもっています。

例えばプロ野球を考えてみてください。プロ野球放送がもっとも楽しかった頃、それは、みのもんたさんの「プロ野球好プレー珍プレー」番組でのナレーションを聞けた頃ではないかと思います。そういう意味では、川平兄弟がサッカー番組からいずれ離れていくことになった時、彼らに代わる名ナレーター、盛り上げ役が現われて欲しいものです。

(3)NHKの山本浩アナは、日本代表の大事な試合放送が多かっただけに、夢を逃した試合担当という印象も深かったです。

サッカー日本代表の試合放送は、1990年代前半までは、ほとんどがNHKでしたから、NHKの実況担当アナウンサーは多くの方がいらっしゃいました。その中で山本浩さんは、当時、中堅クラスのアナウンサーだったのでしょう。幾つかの日本代表の試合を担当されたわけですが、それがワールドカップ出場権がかかった、妙に大事な試合で、いずれも夢を逃した試合担当という印象が残っています。

1985年秋の国立、韓国戦、これはご自身も著書「メキシコの青い空ー実況席のサッカー20年」でも詳しく述べておられますが、メキシコワールドカップアジア最終予選、日本VS韓国の初戦、日本ノホーム、国立競技場で行われた試合がそうでした。

1989年6月、イタリアワールドカップアジア一次予選の最終戦、ピョンヤンで行なわれた北朝鮮との試合がそうでした。

そして、いわゆるドーハの悲劇、1993年10月のアメリカワールドカップアジア最終予選、最終戦のイラク戦、3大会続けて大事な試合の実況を担当すること自体、サッカー実況アナウンサーとして冥利に尽きるわけですが、それが全部、夢を叶えられない結果となった放送であった点、当サッカー文化フォーラムとしては、ぜひ山本浩さんにご登場いただき、ご本人の感想をお聞きしようと思います。

その逆、いわば、ことごとく勝ち戦を担当したとして名物になったアナウンサーもいます。1997年当時のフジテレビは、サッカー中継において不敗神話を自任しており、それを実況していたのが長坂哲夫アナということのようです。そして、いわゆるジョホールバルの歓喜を彼が担当して、いわば夢を叶えた実況が完結したわけです。

長坂アナは、残念なことに2009年、南アフリカワールドカップの前哨戦であるコンフェデレーションズカップ中継のため南アフリカ滞在中に起こした不祥事のため、アナウンサー職を追われてしまったようです。

まぁ、山本アナが担当する試合が多かった時代、日本代表がまだまだアジアの壁を破れない苦闘の時代であり、その苦闘の上に成長した時期に担当できたのがフジテレビであり長坂アナということでしょう。

これからも、妙に勝ち試合を担当するアナ、妙に負け試合を担当するアナが生まれるに違いありませんが、山本アナのように、史上最強のサッカー実況アナウンサー、サッカーアナウンサーの師匠と呼ばれることを目指して頑張って欲しいものです。

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1 コメント

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ずいぶん前にメッセージをいただきながら見落とし... (森雅史)
2012-09-25 21:04:15
ずいぶん前にメッセージをいただきながら見落としていました。大変申し訳ありませんでした。リンクを張らせていただきました。どうかよろしくお願いいたします。
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