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「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

ビデオテープのHDD変換100本達成、93年開幕セレモニーの感動ふたたび

2012年08月11日 19時10分54秒 | インポート

いまHDDに変換しているのは、1993年Jリーグ開幕セレモニーが入ったビデオです。このブログでも何度か取り上げていると思いますが、チューブの春畑道哉さんの作による「Jのテーマ」が流れ続け、コーラス、ダンス、レーザーなどの光が国立競技場さらには神宮の森にこだましたセレモニー。

素晴らしい「Jのテーマ」によって、このセレモニーは永遠に色あせることのない感動的なものとなりました。何年かに一度は見ますが、そのたびに感動の涙が頬を伝います。

この音楽によって、私は日本でサッカー文化を愉しむ人生を送れることを、本当に嬉しく思いました。

一つ思いついたことがあります。わが「サッカー文化フォーラム」が公開スタジオで、トークをやれるようになりましたら、春畑さんを一度は招いて、このテーマ曲にまつわる話をお聞きしたいものです。

もう一つの感動的な仕掛けが、巨大なJリーグのロゴマークフラッグと、観客席を埋め尽くした10チームのチームフラッグの色彩が織りなす光景でした。まるで国立競技場という巨大なキャンバスに描かれたデザイン画でした。

特にシンプルなデザインなのに赤と黒という格調あるコントラストで仕上がったJリーグロゴは、日本におけるプロサッカーの成功を予感させるにふさわしいシンボルマークでした。

ここでまた一つアイディアが浮かびました。これは提案になりますが、来年迎えるJリーグ20周年の記念イベントの一つとして、ぜひ埼玉スタジアムあたりを使って、現在のJリーグ全チームが集った「ネクスト20(トゥエンティ)へのキックオフ」というようなセレモニーを、ほぼ同じ時刻にやって欲しいものです。また、あの「Jのテーマ」が流れた93年の感動と興奮をよみがえらせて欲しいと思います。

1993年5月15日、それまで、サッカーは、高校サッカーや元旦の天皇杯決勝、テレビならワールドカップやWOWOWが放送を始めてくれたイタリアリーグ・セリエA、あるいは年1回しかやってこないトヨタカップによってしか愉しめませんでしたが、この日を境に日本の中にサッカーという主役が生まれたのです。

川淵チェアマンは簡潔に「大きな夢の実現に向かって、その第一歩を踏み出します」とだけ挨拶しました。これだけ短い潔い挨拶は、そうお目にかかれるものではありませんが、しかし、その短いフレーズには、言わんとすることが過不足なく盛り込まれていることに気が付きます。あれから20年たったから気づくのかも知れません。

Jリーグがめざす大きな夢とは、例えば100年構想によって進めているスポーツが日常に根差した姿、あるいは日本がワールドカップの覇者になる夢、あるいはサッカー少年が数多く世界に雄飛して活躍する夢、そういった諸々の夢のことは、挨拶の中で言わなくとも、サッカーを愛する人々ひとりひとりの胸のうちで思い描けばいいことです。

このように、セレモニーを見直してみて、また新たな発見がありました。また、この時、実は前田亘輝クンが国歌斉唱していたんですね。あの、ほとんどソプラノに近い声で、しかも小節を効かせての国歌でしたから、おそらく当日は「おぃ、その歌い方はやめてくれぇ」と叫んだかもしれません。

ただ、この後、日本代表の試合などでアーティストが独唱するスタイルが定着しましたが、彼がさきがけとなったのでしょうか?

こんな具合に、楽しみながらHDD変換を続け、まもなく100本になります。6月14日がスタートでしたから、まもなく2ケ月、順調に三桁に到達です。やはり二桁と三桁とでは、少し違いますね。

また何かの時レポートします。

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オリンピックで自国のサッカーを12試合応援できる至福の喜び

2012年08月10日 16時17分01秒 | インポート

ロンドン五輪のサッカー、なでしこジャパンが今朝、アメリカとの決勝に敗れましたが、見事、銀メダルを獲得しました。選手たちは金メダルを目指していたので、悔しいに違いないと思いますが、少なくとも私たちが「銀メダルに終わった」などと傲岸不遜なことを言ってはなりません。そんなことを口走るメディアなどがあったら、当ブログは断固糾弾します。

男子は、明日早朝、三位決定戦に臨みます。相手は韓国、スポーツと政治は切り離して、と願う私たちの気持ちをズタズタにして、韓国大統領が竹島に行くわけですから、これはもう「戦争状態に入れり」です。

本当は、選手たちに、そのような背景を背負って戦って欲しいぐらいです。韓国チームは、少なくとも「なにがなんでも勝つ、絶対負けたくない」という気持ちです。その気持ちは、まさに戦争する気持ちそのものです。それを受ける日本チームには「いいですか、相手はそういうことなんですよ、三位決定戦の日に合わせて、政治的な挑発を持ち込むような国なんです。そういう国におめおめと、負けていいんですか? 日本に勝てば韓国は国中あげて『ざまぁ見ろ』なんですよ。そんなこと言わせていいんですか? あなたがたは、好むと好まざると、そういう状況に巻き込まれて試合を迎えることになったんです。日本男児としてスイッチが入りませんか?」

そう言って聞かせる人が欲しいところです。

その結果は、明朝、わかるでしょう。

ただ、その結果にかかわらず、日本という私たちの国は、サッカー競技において男女とも快進撃を続け、結果、男女合わせて12試合を応援できるという至福の喜びを味わえた世界で唯一の国です。男女ともサッカー競技に出場している国でさえ珍しいのに、その男女とも6試合できるところまで勝ち残っているのです。こういう例が過去に例があったのかどうか、わかりませんが、どれほど幸福なことか。

こうした功績は、本来でしたら男女合わせて「国民栄誉賞」とか「日本スポーツ賞」「日本プロスポーツ大賞」レベルの快挙ですが、おそらく、そこまで誰も顕彰しようと声をあげないでしょう。

少なくとも、我が「サッカー文化フォーラム」は、いつの日か顕彰できる体制が整いましたら、過去に遡ってでも功績を讃えるつもりです。ロンドンオリンピック開会前から、大会最終盤の明日朝まで、長い間勝ち残ってくれて、日本国中を歓喜させてくれた男女サッカー。サッカーを愛する私たちにとって、これほど贅沢なオリンピックが過去にあったでしょうか?

ありがとうございます、なでしこジャパン。そして、今一度、気持ちを奮い起し、国を背負って三位決定戦という戦場に立ってください、男子代表。

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最近、「ビバ!サッカー」な番組と記事に出会いました。

2012年08月01日 16時30分19秒 | インポート

私がサッカー大好きな理由の一つに、番組や記事に、とても楽しいものを見つける喜びがあります。

最近、立て続けに2つありました。

一つは、サッカーマガジン1413号、2012.8.7号、香川選手が表紙のものです。これに「月イチ連載」というのが載っています。これまで、ほとんど意識していなかったのですが、「お笑い芸人 土田晃之の やっぱ14番でしょう」というタイトルがついていますので、彼が月イチで持っているコーナーでしょうか。

今回、惹かれるように読んだのは、写真に名波選手(ポロシャツ姿でも何故か「選手」とつけてしまいます)があり、キャプションに「名波くんの解説は視点がスゴすぎる。ピッチサイドだけでなくスタジオでも是非」とあったので、本文に引き込まれたのです。

読んでいくうち、抱腹絶倒、面白かったのと、ある企画が浮かんだのです。

土田クンはホントに愛すべきサッカー小僧だと思います。今月のお題ということで「解説者」にまつわる彼・土田クンのいろいろな話が紹介されていて、解説者・名波さんを高く評価しているわけです。

フジから始まって、テレ朝、TBSと、解説者陣をなで切りにしていき、いつの間にかアナウンサーに飛んでいき、さらには番組づくりにも及んでいきます。このページの話は活字で読みながら番組を思い出し、想像しながら抱腹絶倒しているわけですが、思ったのは、こういうトークをぜひ、当サッカー文化フォーラムの公開スタジオでやりたいのです。話しに出てくる番組、解説者、アナウンサーの話しぶりをスクリーンに映して、観客に見ていただきながら土田クンに話してもらいたい、さぞ楽しいトークになるに違いありません。

連載しているマガジンさんも、そういう企画につなげれば二度おいしい事業になるのですが。いずれは、我が「サッカー文化フォーラム」が、その担い手になろうと思うのです。

もう一つ楽しかったもの、番組ですが、7月30日深夜放送のスパサカ、余談ですが、長寿番組ですねぇ、先週、1994年11~12月頃の「スーパーサッカー」を何本かHDD化しました。番組が始まったのが1993年秋だと思いますので、番組スタートから1年後ぐらいでしようか。

ナビゲーターは、ご存じ生島ヒロシさんと三井ゆりさん、それにTBSアナウンサーの清水大輔さんというメンバーでした。この頃「サッカー向上委員会」なる企画があって、越前屋俵太さんという珍妙ないでたちの人が、テーマに関連したあちこちに出向いて仕上げていく企画でした。

話が横道にそれましたが、現在のナビゲーターは加藤浩次(なぜか「さん付け」しないでしまいますね)、7月30日に呼んだ人が、ドラゴン久保こと、久保竜彦選手、この口数の少ないピュアなサッカーマンを、加藤浩次は楽しそうにいじくりまわして、ますます久保選手の素晴らしいキャラクターが浮き彫りになっていきます。

久保選手が、ただのいじられキャラだけで呼ばれたのではなく、本当に惜しまれて現役を離れる素晴らしいサッカー選手だったからです。そのギャップが何とも嬉しい「ビバ!サッカー」と叫びたくなる所以です。

久保選手を挟んで加藤さんともう一人、小倉隆史さんがいるわけですが、彼も元祖・モンスターと呼ばれたサッカー選手です。元モンスターと前モンスターが揃いましたが、「前」のピュアさに比べ「元」はなんと世間慣れしてしまったというか・・・。それにしても久保選手、当サッカー文化フォーラムでも、記録にこそ残らないかも知れないが「記憶に残る名選手」として間違いなく顕彰したい選手なので、いじくりたいという加藤の不純な動機ではないかと思いつつも、呼んでくれた「スパサカ」をあらためて称賛したいと思います。

ちなみに久保選手は、サッカーマガジン1412号 2012.7.31号にも「さらばJ」というコーナーに登場している。こちらはいたって真面目なページ作りになっています。さらにいえば、番組も記事も、久保選手の中学1年のお嬢さんが、なでしこを目指せる逸材だと紹介していました。楽しみです。

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五輪サッカー男女、いよいよ次が関門になりましたね。

2012年08月01日 15時29分44秒 | インポート

前回書き込みから半月も空けてしまいました。前回も申しあげましたが、神奈川県の倉庫撤収と、セカンドハウスの取得の関係に忙殺され、なかなか書き込み時間がとれませんでした。

しかし、ビデオテープからHDDへの変換作業だけは途切れさせないようにして、昨日まで73本です。8月13日が丸2ケ月ですので、そこまでに100本に到達したいと思います。

倉庫撤収作業やHDD変換作業していて思ったのですが、1986年以降、日本の社会でサッカーの意味合いが年々高まってきましたが、一つのピークを超えて、いまは高原状のなだらかな時期にあるのではないかということです。

日本代表を頂点にした日本サッカーのレベルは、いまなお進化を続け、右肩上がりで上昇を続けていることは間違いないのですが、社会全体におけるサッカーへの見方というのは、1996年に日韓ワールドカップ共催が決まり、1997年にワールドカップ初出場を成し遂げたあたりから2002年のワールドカップ終了まで続いた数年間の熱気と興奮が一つのピーク時期であり、その後は、その時期と同程度の盛り上がりはあっても、それ以上の熱気・興奮にはなっていないと感じるのです。

私はテレビ放送、スポーツ新聞、サッカー雑誌・スポーツ専門誌をつぶさに見続けてきた皮膚感というか、肌で感じるものがあるのですが、それらの情報量という物差しで測ってみても、あの5年間ぐらい、とりわけ2000年に入ってから2002年までの3年間は、膨大な情報が吐きだされていたことになります。

おそらく、これからデジタル処理によって、定量的に示すことができると思いますが、やはり2002年が一つのピークになっていると思います。

ただ、昨年から、なでしこジャパンの活躍によって新たな情報ファクターが加わりましたから、今回のロンドン五輪のように男女とも快進撃ということになれば、次のピークを作る可能性を感じています。

そのロンドン五輪サッカー、なでしこのほうは準々決勝の相手がマルタ率いるブラジルに決まり、男子は今夜、準々決勝の相手が決まる第3戦を迎えます。

なでしこはブラジルを撃破できればメダル獲得に自信が持てるでしょうし、男子も今夜のホンジュラス戦でグループリーグ1位通過できれば、準々決勝の対戦相手に自信が持てますので、共に次の試合が関門となります。

それにしても男子への評価は急上昇ですね。ここまででも立派です。なんといってもスペインを破り、それを次の試合で無駄にせず連勝してグループリーグ突破を決めたのですから、歴史的快挙です。彼らはまだまだ満足せず、上を目指していますので頼もしい限りです。

最初からメダルの期待を背負い、やや気の毒な立場にたった、なでしこジャパンもプレッシャーをはねのけ、ここまで来ています。なんとかブラジルに勝たせてあげたい、皆んなで「気」をイギリスまで届けたいものです。

五輪が始まってから少し情報が薄くなってしまいましたが、香川真司選手のマンチェスター・Uでのスタートもビッグニュースですね。

10日ほど前は、香川真司選手のことを書きたかったのですが、落ち着きましたら、あらためて詳しく書こうと思います。視点は、やはり、中学生に入った段階で単身親元を離れて武者修行に出ようとする、その自立心、向上心の強さですね。

これまでのサッカー選手で、香川選手と似たようなチャレンジをして成功した選手に、高校1年の時にブラジルにわたったカズ選手がいます。

もちろん、同様のチャレンジを試みたサッカー少年も多いと思うのですが、いろいろな要因で香川選手、カズ選手のようにはなれなかったわけです。

そこを掘り下げてみたいと思っているのです。皆さんのご意見もお聞かせいただければと思います。お待ちしています。

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神奈川県の倉庫撤収に、一つの時代の終わりを感じて

2012年07月15日 21時54分24秒 | インポート

以前にもお話ししたかと思いますが「サッカー文化フォーラム&アーカイブス」は、長年にわたってサッカー映像・スポーツ紙、サッカー専門誌等の資料を収録・収集を続けてきました。

それは、年々増え続ける資料類の保管・保存の苦労の歴史でもあります。紙媒体もそうですが、特にビデオテープは湿気と経年によるカビの問題、劣化による画質低下の問題への対処が悩みのタネでした。

また増え続ける資料の量が、保管コストにはねかえってくる悩みも、ここ10年間大きかったです。保管場所を意識するようになったのは、1993年、Jリーグを全試合収録するようになってから。93年、94年の全試合収録により、あっという間にプラスチック製の衣装ケースが10個ぐらいにたまってしまいました。

95年夏には自宅の転居に合わせて事務所代わりにアパートの1部屋を借り、付随していた屋外物置にビデオテープ収納の棚を設置、いよいよ本格的な保管が始まりました。99年秋には、シアタースタジアムという業態のオープンスペースを開業、飲食提供中心ではなく、あくまでサッカー専門のシアタールームとしてやっていく考えでした。

しかし、その業態は、あえなく1年で頓挫、事務所代わりの部屋も返上して、2000年秋には、すべての資料がまた自宅に戻ってきました。この間、1997年のジョホールバルの歓喜、1998年のフランスW杯の日本中の熱狂があって、映像資料も新聞・雑誌等の資料も飛躍的に増えたので、自宅の一部屋が資料で埋め尽くされてしまいました。

ただでさえ狭い自宅の一部屋を占領されては、生活が成り立たなくなります。ここから、保管だけのための部屋を求めて、12年に及ぶ流転の旅が始まりました。2001年夏のことです。

最初の保管場所は自宅から自転車で往復できる圏内を条件としたため、家賃42000円の湿っぽい木造長屋住宅、やはり家賃を安くしようとすると、ろくな物件しかなく、それでも2年間置きました。

2年後の更新時、たまらず、場所を変えることにしました。もう自宅から自転車で行ける距離などと言わず、とにかく格安で湿気の心配の少ない物件を重視して、自宅から離れた場所を探しました。都内から方向を見れば、千葉・茨城方向、埼玉・栃木方向、埼玉・群馬方向、多摩方向、神奈川方向と考えられますが、どうせ通うなら、通う楽しみのある方向ということで、神奈川方向に決め、小田急沿線・厚木方向を探しました。

厚木の不動産業者に飛び込んで紹介されたのが秦野市内にある37000円の物件、そこに決め荷物を移しました。2003年の夏です。なにもなければ、そこにずっと置いていたと思いますが、2005年秋、突然、解体するため立ち退き要請を受けてしまいました。そこで急遽、秦野市からバスで海側に移動した二宮町のコンテナを手配、とりあえず押しこんで。コンテナといえども賃料は18000円もします。

しかし、コンテナでは、ビデオ類をはじめ湿気などの影響がどうなるかわかりません。2006年夏には二宮町に28000円の家賃で現在の建物を借りました。ここはさほど湿気の心配もなかったのですが、防犯のためすべての戸をしめ切っているので、乾燥とは程遠い場所です。それでも、昨年の夏にはスチールラックを6台、48000円で購入、今年のお正月には雑誌類をスチールラックに並べて、どなたかに見ていただいてもいいように片付けも済ませました。

今年1月から3月にかけて、何人かの方に資料の活用についてプレゼンさせていただいたのですが、死蔵状態であることがネックになっていることを痛感、いよいよデジタル保存に向けて大きく舵を切りました。そういう決断ができるようになったのは、HDD容量が大型化して、さらに低コスト化したことが大きいです。2TBのHDDは小さな薄い箱といった感じですがビデオテープ200本は収納できるようです。ダンポール2箱以上が小さな箱に変わるのです。おそらく数年経てば、同じ大きさでさらに大容量のHDDが出るでしょう。

そして、ビデオテープはHDD化後に全数廃棄、スポーツ紙はデジカメに保存後、最低限のものを残して廃棄、サッカー専門誌はスキャナーでHDDに取り込み同じく最低限のものを残して廃棄という方針を固め、同時に更新を迎えた二宮町の借家を返上、すべて自宅に戻すことにしたわけです。

2001年夏以来、11年ぶりの自宅里帰りです。その時と比べ、一段と量が増しています。2001年の時はラックを組み立てて収納していましたが、もうそんな余裕はありません。ダンボールに詰め込んだものを、ひたすら積み上げて、なんとか押しこむしかないのです。

引越しの日取りは8月16日と決まりました。実は7月に入ってから、自宅と二宮町の両方で、片付けの毎日に追われています。20日から23日にかけては泊まりがけで二宮町の倉庫の荷作りをします。過酷な暑さの中での作業はキツいのですが、黙々とダンボール詰めをしなければなりません。

流転を続けたサッカー情報資産、これからは自宅に戻ってきたビデオ、新聞、雑誌等をひたすらHDDに収納して減量させるだけです。押しこんだ部屋のものがなくなり、部屋らしいスペースが戻るのは果たして何年後か、また新たな挑戦の始まりです。

6月14日から始めたビデオテープのHDD化は50本を超えました。二宮町で引越しのためカラーポックスからビデオテープを抜いてダンボールに移し替えているが、ダンボール1個に90本ほどのテープが入ります。まだダンボールがどれぐらいの数になるかわかりませんが、この機会に個数を数え、全体のビデオテープ数を推計しようと思います。1万本の大台には乗らないのか乗るのか。

1ケ月で終えたHDD化は、まだダンボール1個にもならない量です。果てしない作業が続きます。

HDD化と並行して、前のブログでも話しましたが、データベースソフトである「ファイルメーカー」に全ての情報を記録することにしています。最終的には、それをweb上に公開、すべてのアーカイブスを自由に閲覧できるようにするのが目標です。

もちろん、web上だけではなく建物としての保存館・資料館でも雑誌等の現物に手を触れ、大画面映像でアーカイブを楽しんでもらうのが最終目標です。

おじさんは年々、歳は積み重なっていきますが、あと何年間も老けこめない状況です。皆さんの応援とご協力をお待ちしています。

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ビデオテープのHDD変換、1ケ月で50本を達成しました。

2012年07月15日 18時40分31秒 | インポート

さる6月14日、日本サッカーにとっても記念の日であり、当ブログの書き手であるサッカー大好きおじさんの記念日でもある日から、膨大なビデオテープをパソコンに取り込みHDDに収納する作業を始めましたが、おととい7月13日に50本超えを達成しました。

したがってビデオテープも潔く廃棄処分に出しています。まだまだ50本程度では、減量した感じがまったくありませんが、とにかく、来る日も来る日も続けていきます。8月下旬になったら、HDD収納をもうワンセット用意して2台でやろうと思っています。

いまも隣りで音もなく(音声を出すとついつい見てしまうので)変換作業をしてくれているが、一つ一つの映像状態を、録画時間を計りついでに確認しているので、変換開始の合図である「キャプチャ開始」をクリックするまで準備が結構かかります。別のパソコンで「ファイルメーカー」というデータベースソフトを使って内容を体系的に記録するためのメモ作りもしなければならず、何かと大変であり、2台で変換するのが精一杯のような感じです。

ちなみに、いま変換作業しているのは91-92セリエA第18節ACミランVSフォッジア。WOWOWが放送を始めて2シーズン目ですよね。この頃、セリエAはオランダトリオのACミランがトヨタカップ連覇したあとでしたから、まさにミラン全盛期ですね。

WOWOWの放送で面白かったのは、記念すべき第一回放送が91-92セリエA第3節ユベントスVSミランというカードで、なんとナビゲーター兼実況が川平慈英クン、大抜擢でしたよね。加茂周さんが解説をしてくれて、その放送を先月のうちにHDDに変換したのですが、当時を思い出しました。

いかに川平クンが異国の香り漂う新時代のナビゲーターとはいえ、実況までも任せるには荷が重いですよね、厳しく言えば、視聴料払って見るCS放送なんだから、取り換えてよ、という感じ。

そうしたら、何試合か後になって、川平クンはイントロのナビゲーターだけになって、すぐに百戦錬磨の実況アナにバトンタッチするという方法に代えました。当然といえば当然ですが、その切り替え方は工夫したのでしょうね。

いま変換しているミランVSフォッジア、川平クンがイントロをやったあと「解説は奥寺康彦さん、実況は大野勢太郎アナです」とつないだかと思ったら、大野アナは「はい、それでは」とか一言も言わず、本題に入ってました。大野アナの顔に「イントロとか余計なんだけど・・・」と書いてあるようで、面白く見たのを思い出しました。

こんな具合に、結構楽しく思い出しながらやるので、ついつい作業が寄り道してしまいます。2台で始めたら、きっとテンテコ舞いかもぉ。

ところで、変換が終わったビデオテープは、次々と廃棄処分に出しています。これまで何年も、あちこち場所を変えて保管に苦労してきたビデオテープ、やっと心おきなく廃棄処分に出しているわけです。

それでも、ふと思うことがあります。ビデオテープのまま欲しいという人もいるだろうに、と。

10年ほど前までは、大阪の方から「なんとか譲ってもらえませんか」と懇願されていたが、そういう方がいるに違いありません。以前は、とても譲れる状況ではなかったのですが、いまは、廃棄するだけの状況になったわけです。

これを読まれた方、あるいは知り合いの方で、希望される方には、宅配便代金だけ負担していただければ、お譲りしたいと思います。そういう方はぜひご連絡を。

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1978年アルゼンチン大会をHDDに収録しています。

2012年07月06日 22時49分16秒 | インポート

この前、1982年W杯スペイン大会のビデオテープをHDDに収録しています、とご報告しましたが、1978年アルゼンチン大会の映像が出てきました。34年前です。すごいですねぇ、まだ映像がキチンとしています。

30インチ以上の画面になりますと、なかなか「きれい」「鮮明」というわけにはいきませんが、それでも十分視聴に耐えられます。

決勝のアルゼンチンVSオランダ戦、オランダにはクライフがいませんし、なんとなく小粒で、アルゼンチンもまだマラドーナ時代ではないのでケンペスだけがビッグネームですが、パサレラ、アルディレスといった玄人好みの選手がいて、それなりに見どころのある試合です。

この大会までがNHKの放送収録の映像です。これより前の試合、大会は、WOWOWとかスカパーによる、いわゆるプレーバック放送です。

それにしても34年前、すごいとしか言いようがない記録映像です。

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BS-TBSでサッカー新番組が始まりました。いつまで続くでしょう。

2012年07月06日 22時27分47秒 | インポート

1993年から放送開始されて、まもなく20年目を迎えるTBSのスーパーサッカー、今はもうスパサカと名前を変えて、深夜の中の深夜に埋もれてしまっていますが、まだスーパーサッカーであることには違いありません。

そのスパサカを仕切っている加藤浩次と小倉隆史が、場所をBS-TBSに移して新番組を始めました。「サッカースピンオフ」という名前です。おそらくスパサカの収録と一緒に「せっかくだから、BSでも面白いヤツをやりましょうヨ」ぐらいな感じで収録しているのでしょう。

番組改編時期でもなく、サッカーシーズン幕開けの時期でもないこの時期に、なんでまた、という気がしないでもありませんが、なにせ、サッカー番組が新しく始まるというのは、めったにないことですから、あまりゴチャゴチャ言わないことが大事かと思います。

最初ぐらいは、どんな番組か見ておこうと思いましたら、初回のテーマは「ペレVSマラドーナ」

いろいろなところで言い尽くされていながら永遠のテーマでもあります。それこそ、うまく番組を作らないと短期打ち切りになりかねないリスクもあるのですが、なかなかうまく作ってありました。

最初からペレVSマラドーナという図式で語るのではなく、プラジルとアルゼンチンのライバルとしての歴史を描くことに力点を置いていました。

したがって、私もあまり知らなかった1970年代の両国の闘いがよく浮き彫りになっていました。

特に1978年W杯アルゼンチン大会、ブラジルはアルゼンチンに決勝進出を盗み取られたと信じて疑わない出来事が起きました。二次リーグ第二戦で激突した両チームはまさに戦争のような試合をドローで終え、最終戦に委ねられたのですが、ブラジルVSポーランド、アルゼンチンVSペルーの第三戦、本来なら同時刻にキックオフされるべき試合が、ブラジル戦が終わったのを見届けてからアルゼンチンがキックオフするというスケジュールになりました。

その結果、何が起きたか。ブラジルはポーランドに3-1で勝利したことにより、アルゼンチンは4点差以上で勝たないと決勝に進めないという状況が判明し、アルゼンチンはペルーになんと6-0で勝利したのです。

この6-0もブラジルは盗み取られた試合だと言っています。それは、ペルーのゴールキーパーはアルゼンチン人で、ペルーに帰化した人物だ、これは軍事政権下のアルゼンチン政府が仕掛けた八百長だ、と。

私は、この出来事を知って、1994年のマラドーナ・ドーピング事件は、間違いなく意図的な狙い撃ちだと確信しました。

つまりマラドーナ事件は、ここから端を発しているのです。そもそもブラジルにとって、ペレVSマラドーナという図式は1986年W杯メキシコ大会以来始まった図式だというのです。それ以前、サッカーの神様はペレ一人であり、ベッケンバウアーもクライフもスーパースターではあったけれどサッカーの最高峰に比べられる選手ではなかったようです。

それが1986年、それこそプーマのテレビコマーシャルではありませんが「奪ってしまった。マラドーナは10億人の心を奪ってしまった」ことで、ペレに比肩する選手として位置づけられたのです。

当ブログは「サッカー文化フォーラムの起点となる年は1986年です」とたびたび言っていますが、マラドーナが単にスーパーな存在に上り詰めたというより、初めてペレに比肩する選手として世界に認知された年だからというのが的確なようです。日本国内でもエポックメイキングな年である1986年は、世界的にも太文字で記される年ということです。

そのマラドーナ、1990年イタリア大会で決勝にコマを進めますが、決勝トーナメント1回戦でブラジルと激突した時、ボトルに薬物を混入した水をブラジル選手に渡したという疑惑をかけられ、マラドーナも自国のテレビでそれを認める発言をしたことから、ブラジルの怨念が頂点に達したといえます。

もはやマラドーナは、放置できない存在になってしまったのです。

現在、マラドーナは紳士的な意味合いでは評価の対象になりませんが、彼のプレーは永遠です。神の手ゴールなどもあるのですが、イングランド戦での5人抜きやベルギー戦での正面突破、90年大会プラジル戦でのピンポイントスルーバスなど、どこまでも語り継がれるプレーが残ったのです。

それが故、ペレVSマラドーナとして比肩されるのですが、このBS-TBSでは最後に二人に言わせています。「ペレとマラドーナ、どちらが一番だと思いますか」と。

マラドーナは「自分も自信はあるけれどペレが一番かな」

ペレは「やはりペレが一番だと思うよ」

これを聴いた加藤浩次が「ペレは自分のことを『ペレは』と言うんですねぇ」と感心していました。誰もが同感でした。

つまりペレは、もはや、人生を「ペレが一番、ペレが王様」として生きてきたが故、ペレ以外にナンバーワンはいないのだと心に刷り込んでいるのです。すごいですね。ペレの中でもペレは「自分」ではなく、自分を離れた客観的な存在になってしまっているのです。

こんな具合に、初回放送は面白い50分でした。果たしてどこまで続くかです。スーパーサッカーのように20年続いてとは言わないですが、せめて1年続いて欲しいものです。

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同じ日に東京と沼津でスポーツ紙を買い比べました。

2012年07月02日 20時09分39秒 | インポート

先日、静岡サッカーミュージアムのことを書きましたが、その日、静岡県沼津市でスポーツ紙を点検しましたら、一面トップはダルビッシュ10勝目で揃っていました終面ではスポニチがグランパス・永井の3戦5発弾、日刊スポーツとスポーツ報知がナビスコでジュビロ敗退を扱っていました。いずれも東海地区のチームということで終面には来るんですね。

そう思って、同じ3紙を東京地区で買ってみました。スポニチだけは東海地区と同じ永井の3戦5発弾を扱ってくれましたが、日刊スポーツは野球、スポーツ報知は柔道になっていました。

これを見るとスポニチさんの永井は、東海地区の永井ではなく全国区の永井として扱ってくれたことがわかります。

他の2紙は、予想どおりというか東京地区ではサッカーになりませんでした。

これだけでもサッカーを扱う地域の温度差がわかります。東北ならベガルタの記事が多いでしょうし、サッカーチームの影が薄い九州地区なら、なかなかサッカーは扱いにくいのではないでしょうか。

今日、新幹線が青森から鹿児島までつながっていますから、機会をみて仙台、東京、名古屋、大阪、広島、福岡で同じ日にスポーツ紙を買い比べてみようと思います。

それぞれの地域にお住まいの方で、このプロジェクトにご協力してくださる方がありましたら、ぜひご連絡ください。月日を決めてスポーツ紙を点検していただき、トップまたは終面にサッカーが掲載されている新聞を買い送りいただこうと思います。もちろんボランティアで。

それを全体で点検して、内容をこの場でご紹介・ご報告しようと思います。ご連絡をお待ちしています。

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いま1982年スペイン大会をHDDに収録しています。

2012年07月02日 17時34分02秒 | インポート

前にお知らせした手持ちビデオテープのHDD変換、年代順不同で作業している関係で、1987年、1988年のゼロックススーパーサッカーでマラドーナが来日した時の試合や、1991年にカズ選手が読売クラプと契約更改を進めている10分間のスポーツニュースなど、思わず画面に見入ってしまう映像が出てきます。

いまは1982年スペインW杯の映像を変換していますが、30年前の映像なのに、まだきれいでビックリします。準決勝の西ドイツVSフランス戦、1-1のまま延長に入り先にフランスが3-1までリードしたのに西ドイツが2点とって追いつき、PK戦の末フランスを下した試合、いまでに壮絶です。ミシェル・プラティニ、ピエール・リトバルスキー、カール・ハインツ・ムンメニゲ、躍動していました。

また、何かあったらお知らせします。

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スペイン、無敵艦隊とはこの国のことだ。

2012年07月02日 17時25分29秒 | インポート

今朝のEURO2012決勝、6時頃起きてテレビをつけましたら、ちょうど4点目が入るところでした。こうなるとイタリアは、疲労困憊で決勝を戦ったことがよくわかります。

イタリアのサポーターが言ってました「こんなの試合じゃないよ」

UEFAも準決勝から決勝までの日程が短いこと、不平等なことを検討して欲しいものです。スペインの力は本物に違いありませんが、それでも少し陰りを感じた決勝でした。

さすがのバロテッリも何もパフォーマンスが出ませんでした。あの、うつろな顔が大写しになりました。今大会のベストショットの一つかも知れません。

これまで何十年にも亘って、スペインは「かつて無敵艦隊と言われた国ですが、またもや敗退です」というフレーズに泣いてきたと思うのですが、今度こそ「無敵艦隊、まさにスペインこそが無敵艦隊です」

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読んで為になる本「そうだったのか日本サッカー」byスコラムック

2012年06月27日 22時06分52秒 | インポート

池袋のジュンク堂から買い込んだ本の中にスコラマガジン社のスコラムック「そうだったのか日本サッカー」という本があります。



店頭で本をめくり良さそうなので買った本です。



読んで為になったので紹介したい。気に入ったら皆さんもぜひ。



第一章は「日本代表は本当に強くなっているのか」、3人のジャーナリストによる座談会形式です。



まずザッケローニの評価、日本のサポーターもメディアも厳しくないことがわかって、日本のサッカーをなめてかかってきているのではないかと指摘しています。緊張感が緩んでいるという指摘です。怖いことです。だから3人は最後まで(W杯に出ることを前提としてW杯終了まで)契約するなんてもってのほかだと言っています。



現実にはW杯出場を逃せば解任ですが、それでは遅すぎるわけで、あくまで緊張感を持ってW杯予選を戦ってもらうためには契約を2年にしておくべきだという主張です。



次に話題になったのは、南アフリカ大会で日本がベスト16になったことによる世界的な意味合いです。



世界のサッカーを見渡すと、欧州、南米を除いて、特にアフリカを中心に優秀な選手が出ていないことがあるため、相対的に日本選手を筆頭に東アジアの選手に需要が出てきたというのです。



その意味では、南アフリカW杯でベスト16になったことが、日本の選手は大丈夫だというお墨付きになったというのです。グループリーグで負けていれば「日本人選手はホントに大丈夫なのか」という疑心暗鬼が消えないというのです。



だとすれば、難しい中でベスト16に勝ち上がった岡田監督は評価されてしかるべきです。3人はほとんど岡田監督を評価していませんでしたが。



第二章は、「このままでいいのかJリーグ」です。3人が指摘していたのは、Jリーグが各チームを救うと言っていながら、いまの仕組みは、Jリーグ本部だけが潤う仕組みだということです。J2だって選手自ら営業活動してお客さんを呼んでいるのに、全部大元(おおもと=Jリーグ本部)が取っちゃう、と憤慨しています。それでは、まるで国の中央官僚と同じです。国民から税金や年金掛金をとって、それで自分たちが官僚貴族になっている。Jリーグも「スポーツ貴族」だということです。



なぜJリーグが官僚貴族と同じになったのか、3人の指摘によれば大学を出てからJリーガーになって、セカンドキャリアで大学時代の人脈がモノを言っているというのです。Jリーグが始まってしばらくは、チームの運営母体となった企業の先輩後輩の関係でリーグ運営に緊張感があったが、学閥の先輩後輩の関係が復活しているというのです。



Jリーグの各チームはといえば、社長は親会社から出向してきた定年間近の人だから、年金生活を前にして長期的ビジョンや将来を見据えた考えてクラブ経営などできるわけがなく、Jリーグ本部の言うなりだというわけです。



そのような認識から、次に第二章の裏企画とでもいいますか「サッカー情報通ライターによる覆面座談会」に突入します。



題して「夢もお金もないJリーグには未来もない」



まず、のっけから「Jリーグ事務局は権益たけは守ろうとする、いかにもお役所体質」と切り捨てます。具体的な例として「レフェリーのミスジャッジにしても選手の規律問題にしても世間があまり問題にしなければいいという、事なかれ主義が横行して、いかにもお役所的なんだよ」



Jリーグが頑なに守ろうとしているスタジアムのキャパシティの問題にも目を向けるべきだと指摘しています。むしろ、キャパが1万人でも専用スタジアムであることのほうが重要だというわけです。同感です。ピッチの回りにトラックがあるスタジアムで観ているサポーターの皆さん、いかに不利な条件でお金を払っているか、もっと声を大にすべきです。私ぐらいのじいちゃんになると、そういうスタジアムには誘われても行く気がしません。



日産スタジアムでクラブW杯をやっていても、何をやっているかよくわからないスタジアムだし、だいたい人口8000人ぐらいの町がJ2に参戦したいという時に15000人収容ものスタジアムが必要なのかというわけです。



そんなこんなで第三章です。テーマは「テレビも専門誌も何を言っているのかわからない 解説者のサッカー用語もわかりづらい」



まず「スイーパーやリベロという呼び方がなくなったと思ったらボランチが出てきて、最近はアンカーだ。ポゼッション、バイタルエリア、アタッキングサードと、世間に広まっている用語かどうか確認もしないで、どんどん新しい言葉を使いだす。『これ知らないとサッカー通じゃないぞ』ぐらいな感じて使っている」



同感です。「そんなヤツこそマスターベーションだって、わかってんのか」と言ってやりたいですが、治らないでしょう。××は死ななきゃ治らない。そういう言葉の使い方はホントはテレビなりメディアが注意すべきなんですが、それがねぇ。



いろいろと読み応え満載でした。



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日本サッカー協会新体制、季刊誌「サッカー批評」の論評を楽しみにしています。

2012年06月26日 19時41分09秒 | インポート

日本サッカー協会の新体制が発表されたという記事を見ました。

これで思い出すのは、やはり犬飼会長の辞任劇です。当然のことながら真相と深層に迫ろうと幾つかの心あるメディア、ジャーナリストが奮闘しました。

表向きは犬飼会長の性急な改革姿勢が協会内で支持されなかったとなっていますが、ある意味、巨大な利権集団である協会で、熾烈な派閥抗争にさらされたことは容易に想像かつきます。

そうした部分への切り込みを含め、幾つかの論評が示され、特に季刊誌「サッカー批評」の特集は出色でした。

今回の人事も、その流れにあるわけで、協会内の力学の結果でしょう。会長としての手腕とか力量、日本サッカーの将来に向けた改革の着実な推進に向けた適任者といった、本来の選定基準に照らしてどうだったか、このあとの心あるメディア、ジャーナリストの奮闘に期待したいところです。

それにしても、どこの世界でもそうですが、えげつないのがいるんですよね。暗躍する腹黒いのが。そういうことに長けている人間には、どうにもかなわない部分があります。けれど日本サッカーの将来が官僚的な発想で歪められるのだけは耐えがたいです。

おそらく、また季刊誌「サッカー批評」が、どの段階かで特集を組んでくれるものと期待しています。また別のメディアなりジャーナリストが切り込んでくれた時は、もれなく取り上げていきたいと思っています。

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イングランドぉ、残念無念

2012年06月26日 19時10分16秒 | インポート

当ブログが決勝カードに予想したポルトガルvsイングランド、消滅です。

イタリア、いかにもという勝ち方でした。攻撃的チームに変身中とかで今大会、なかなかの試合ぶりでした。バロテッリとカッサーノ、いいですね。筋金入りの悪童コンビ。イングランド・ルーニーとの悪童バトルとか言われましたけれど、ルーニーはいまやファーガソン監督にすっかり飼いならされ、悪童対決は当たってないように思いました。

イングランドの勝ち上がりを期待したのは決勝でクリスチアーノ・ロナウドとの究極のエース対決を見たかったからですが、それも露と消えてしまいました。

それにしても今回のベスト4は、すごいカードですね。ポルトガルvsスペイン、ドイツvsイタリア。ワールドカップといっても過言でないほどのカードです。

もはや決勝予想カードは忘れて楽しみたいと思います。

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Jリーグ20年目企画らしいフォトブックを2冊入手しました。

2012年06月24日 15時34分39秒 | インポート

近くにジュンク堂書店があり、9フロアまるごと本、本、本なのでサッカー本もいろいろ取り揃えている。時々、いずれ欲しい本をチェックしておき、予算的になんとかなりそうな時期にまとめ買いしている。

その流れで、仕入れた本のうち2冊はフォトブックだ。

「写蹴」というタイトルの本は、キャプションとして「ファインダー越しに見た歴代サッカー日本代表の素顔」「秘蔵写真と回顧録で振り返る日本サッカー40年の軌跡」とある。

もう1冊は「Jリーグ20周年記念フォトブック」である。文字通りマリノスVSヴェルディの開幕戦でスタートしたJリーグ、1993年シーズンから2011年シーズンまでのさまざまなシーンを切り取ったキメ細かな記録写真集だ。

こうした資料に触れて思うのは、やはり継続性の妙だ。どういうことかというと、例えば「写蹴」、最初の1枚が1970年代初頭の日本代表合宿を取材した時の写真だそうで釜本選手が端のほうに大きく映っている。

まさに40年前の日本サッカーの立ち位置がそのまま切り取られているという感じだ。

カメラマンの今井恭司さん、私は存じ上げないが日本代表のオフィシャルカメラマンというお立場のようなので、かなりの重鎮の方だ。

当プログがめざしているのは、こういう本が出たらすぐ「サッカー文化フォーラム」のギャラリーで出版記念写真展を開くということだ。これだけの写真、サッカー専用のギャラリーを持つ当フォーラムならではの企画だ。

同じ企画があるのかどうかネットで検索してみたが、一番最近で2010年に南アフリカW杯の闘いぶりを紹介した写真展が「日本サッカーミュージアム」で開催されて以来、今井さんがらみのサッカー関連写真展はなさそうだし、予定もないようだ。

もっとも、このフォトブック、初版発売が2010年6月で、まさに南アフリカW杯に合わせての発売だったようだし、それから2年経って入手している当方も気の抜けたビール状態だ。

もう一つ、この本で感じているのが、この本のあとにつながるようなフォトブックをあと40年後でも20年後でも出したいということだ。この本は南アフリカ大会のカメルーン戦までのタームで収められている。

つまり、そこからつながって途切れないフォトストーリーを描きたいのだ。今井さんが、20年後、40年後も続けてくださればサイコーだが、そうでなければ今井さんの思いを受け継いでくれるフォトジャーナリストを探す必要がある。当ブログ、当サッカー文化フォーラムはそういうことも企画実現していきたい。私ができなくなる前にどなたかに引き継ぎたいので、ぜひ多くの方に賛同してご連絡をいただきたい。

同じような思いを持っている本がもう一冊ある。2002年4月に出版された「サッカーを知的に愉しむ」という文庫本だ。光文社出版、林信吾、葛岡智恭共著。

この本が出てからちょうど10年である。この本にはサッカーのことを、さまざまな視点から捉えた、それこそ知的好奇心を満たす魅力がある。しかし10年も経つと、状況の変化によって陳腐化している視点や、別の考察が必要な要素も出てくる。それを10年後の現在地から書き起こして欲しいと思っている。

光文社にハガキを出してみたが、なしのつぶて。時間ばかりがどんどん過ぎていくので、自分で書いてみたいと思っている。要はサッカーの歴史を、いくつかのメディアを通して悠久につなげていきたいのだ。

もう一冊、「Jリーグ20周年記念フォトブック」のほう、これは当方が入れ込んできた20年だけに一コマ、一コマ、蘇ってくるようなショットの連続だ。例えば1993年5月、もはや開幕戦のシーンやジーコのハットトリックぐらいしか取り上げられる機会がなくなったが、実は日本人初ゴールはサンフレッチェの風間八宏、そうだったんだ。ということは開幕戦、マリノスVSヴェルディで得点したのは第一号マイヤーのほか、ネットで確認してみたらマリノスのエバートン、そして得点王になったラモン・ディアス。なにせヴェルディのそうそうたる攻撃陣は封じられたのだ。

そして翌6月、日本人として初のハットトリックはガンバの永島昭浩、そうだったんだ。このように第一号となった選手というのは、その後の選手生活でも

さらに写真ページをめくりながら、次第にJリーグの光と影に思いが及んだ。それはヴェルディとアントラーズのその後である。

ヴェルディとアントラーズ。「文句なしの優等生状態」と「やっとこすっとこブラさがっている状態」とでも言おうか、これがJリーグスタート前の1991年と、20年後の2011年では、全く立場が逆転している。なぜそうなってしまったのか。

あるいは、どこが分岐点だったのか。そう考えた場合、どうしても突き当たるのが1993年のJリーグ初代チャンピオンを決めるチャンピオンシップ、その第二戦である。ジーコのつば吐き事件を生んだPKの判定ジャッジが分岐点になったのではないか。

これは天下の暴論かも知れない。これまで幾度か俎上にのぼった議論なのかも知れない。しかし、6月16日の「世界のサッカー、その光と影」でも述べたようにジャッジをめぐる影は、さまざまな疑念につながる。

いまも「あの年はどうしてもヴェルディの優勝で終わらせたかった勢力がいた」とささやかれているのだ。

しかし「禍福はあざなえる縄のごとし」、そこから両チームの行く末は明らかに逆転した。確かにヴェルディは翌年もJリーグを制覇して連覇したが、まず華を失った。そして世の中の視線が変わった。江川事件以後ダーティイメージを背負った巨人軍と同じ視線を浴びるようになった。

そして、あとはご覧のとおり。川崎から東京へのホームタウン移転でほとんどのサポーターを失い、あげくにはチーム存続の危機にまで陥った。まさに「やっとこすっとこブラさがっている状態」となった。

一方のアントラーズ、1991年、やっとこすっとこ入れてもらったJリーグにおいて20年後には盟主と呼ばれるチームとなった。

すくなくとも「Jリーグファーストトゥエンティ」つまりJリーグ最初の20年は、ヴェルディとアントラーズの2チームが主役だった20年といって間違いない。

次の20年、どうなるか20年後にまたこのブログを読み返しながら「Jリーグセカンドトゥエンティ」を総括してみたい。

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