「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

BS-TBSでサッカー新番組が始まりました。いつまで続くでしょう。

2012年07月06日 22時27分47秒 | インポート

1993年から放送開始されて、まもなく20年目を迎えるTBSのスーパーサッカー、今はもうスパサカと名前を変えて、深夜の中の深夜に埋もれてしまっていますが、まだスーパーサッカーであることには違いありません。

そのスパサカを仕切っている加藤浩次と小倉隆史が、場所をBS-TBSに移して新番組を始めました。「サッカースピンオフ」という名前です。おそらくスパサカの収録と一緒に「せっかくだから、BSでも面白いヤツをやりましょうヨ」ぐらいな感じで収録しているのでしょう。

番組改編時期でもなく、サッカーシーズン幕開けの時期でもないこの時期に、なんでまた、という気がしないでもありませんが、なにせ、サッカー番組が新しく始まるというのは、めったにないことですから、あまりゴチャゴチャ言わないことが大事かと思います。

最初ぐらいは、どんな番組か見ておこうと思いましたら、初回のテーマは「ペレVSマラドーナ」

いろいろなところで言い尽くされていながら永遠のテーマでもあります。それこそ、うまく番組を作らないと短期打ち切りになりかねないリスクもあるのですが、なかなかうまく作ってありました。

最初からペレVSマラドーナという図式で語るのではなく、プラジルとアルゼンチンのライバルとしての歴史を描くことに力点を置いていました。

したがって、私もあまり知らなかった1970年代の両国の闘いがよく浮き彫りになっていました。

特に1978年W杯アルゼンチン大会、ブラジルはアルゼンチンに決勝進出を盗み取られたと信じて疑わない出来事が起きました。二次リーグ第二戦で激突した両チームはまさに戦争のような試合をドローで終え、最終戦に委ねられたのですが、ブラジルVSポーランド、アルゼンチンVSペルーの第三戦、本来なら同時刻にキックオフされるべき試合が、ブラジル戦が終わったのを見届けてからアルゼンチンがキックオフするというスケジュールになりました。

その結果、何が起きたか。ブラジルはポーランドに3-1で勝利したことにより、アルゼンチンは4点差以上で勝たないと決勝に進めないという状況が判明し、アルゼンチンはペルーになんと6-0で勝利したのです。

この6-0もブラジルは盗み取られた試合だと言っています。それは、ペルーのゴールキーパーはアルゼンチン人で、ペルーに帰化した人物だ、これは軍事政権下のアルゼンチン政府が仕掛けた八百長だ、と。

私は、この出来事を知って、1994年のマラドーナ・ドーピング事件は、間違いなく意図的な狙い撃ちだと確信しました。

つまりマラドーナ事件は、ここから端を発しているのです。そもそもブラジルにとって、ペレVSマラドーナという図式は1986年W杯メキシコ大会以来始まった図式だというのです。それ以前、サッカーの神様はペレ一人であり、ベッケンバウアーもクライフもスーパースターではあったけれどサッカーの最高峰に比べられる選手ではなかったようです。

それが1986年、それこそプーマのテレビコマーシャルではありませんが「奪ってしまった。マラドーナは10億人の心を奪ってしまった」ことで、ペレに比肩する選手として位置づけられたのです。

当ブログは「サッカー文化フォーラムの起点となる年は1986年です」とたびたび言っていますが、マラドーナが単にスーパーな存在に上り詰めたというより、初めてペレに比肩する選手として世界に認知された年だからというのが的確なようです。日本国内でもエポックメイキングな年である1986年は、世界的にも太文字で記される年ということです。

そのマラドーナ、1990年イタリア大会で決勝にコマを進めますが、決勝トーナメント1回戦でブラジルと激突した時、ボトルに薬物を混入した水をブラジル選手に渡したという疑惑をかけられ、マラドーナも自国のテレビでそれを認める発言をしたことから、ブラジルの怨念が頂点に達したといえます。

もはやマラドーナは、放置できない存在になってしまったのです。

現在、マラドーナは紳士的な意味合いでは評価の対象になりませんが、彼のプレーは永遠です。神の手ゴールなどもあるのですが、イングランド戦での5人抜きやベルギー戦での正面突破、90年大会プラジル戦でのピンポイントスルーバスなど、どこまでも語り継がれるプレーが残ったのです。

それが故、ペレVSマラドーナとして比肩されるのですが、このBS-TBSでは最後に二人に言わせています。「ペレとマラドーナ、どちらが一番だと思いますか」と。

マラドーナは「自分も自信はあるけれどペレが一番かな」

ペレは「やはりペレが一番だと思うよ」

これを聴いた加藤浩次が「ペレは自分のことを『ペレは』と言うんですねぇ」と感心していました。誰もが同感でした。

つまりペレは、もはや、人生を「ペレが一番、ペレが王様」として生きてきたが故、ペレ以外にナンバーワンはいないのだと心に刷り込んでいるのです。すごいですね。ペレの中でもペレは「自分」ではなく、自分を離れた客観的な存在になってしまっているのです。

こんな具合に、初回放送は面白い50分でした。果たしてどこまで続くかです。スーパーサッカーのように20年続いてとは言わないですが、せめて1年続いて欲しいものです。

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