「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

牛木素吉郎先生から「映像記録の収集保全と公開について」コメントをいただき光栄です。

2015年01月14日 23時17分39秒 | サッカー情報
先月12月29日の書き込みで「スポーツ文化ネットワーク『サロン2002』」のことをご紹介した。その前日に忘年会があって、各自、自己紹介する機会を得たことから、私は、いま進めているサッカー情報のアーカイブ化、特に映像のHDD化の作業のことをお話しした。

その日は、メンバーでいらっしゃる著名なジャーナリストの牛木素吉郎先生も参加されていた。牛木先生のことは、日本で何らかのサッカー関連に携わっておられれば、知らない人がいないだろうと思う、ジャーナリストの大御所のお一人だ。

現在も「ビバ!サッカー研究会」や「日本サッカー史研究会」といった勉強の場を作られ、旺盛な活動を続けておられる。まだ、ご存じない方はぜひyahooのキーワード検索で「ビバ!サッカー研究会」や「日本サッカー史研究会」と打ち込んでいただき、ご覧いただきたい。

私も「サロン2002」でご一緒するまでは面識がなかったが、サッカー専門誌をはじめ、さまざまな場で執筆活動をされていたので、お名前は存じ上げていた。

その牛木先生が「サロン2002」に参加された感想をコメントの形でメンバー宛てのメールシステムに寄せてくださった。

それを読ませていただいたら、「映像記録の収集保全と公開について」という項目を起こしてくださり、私が紹介した取り組みについてコメントしてくださった。

それによると、まずもって、私の取り組みに驚かれたとのこと。
そして日本サッカー協会でも小倉純二会長当時、90周年記念事業として映像収集を指示された経緯があり、その後どうなっているだろうか?と感じていらっしゃるという。

最後に、集めた映像を公開の場で観覧するときに、著作権、映像権などの問題をどう処理するのだろうか? と指摘してくださった。

なんと光栄なことか。牛木先生ほどの著名なジャーナリストの方に関心を示していただいただけで、お話した甲斐があったというものだ。

先生がご指摘のとおり、公開に際しての、著作権、映像権などの問題は、現時点では、何も手つかずの状態だ。いまはまだ、映像資料をデジタル変換してデータベースにすることで精一杯なのと、なんといっても前例のないことなので。

ただ、スポーツ文化、とりわけサッカー文化の成熟度をあげていくにも、いずれは、前例のないことだからこそ、手続き的に制度化して、法的処理ができるようにしたいと思っている。

皆さんのお知恵もお借りしながら前進させたいと思う。

ちなみに牛木先生は、昨年8月下旬、テレビ東京の番組「FOOT×BRAIN」で2週にわたり、今回FIFAバロンドール会長賞を受賞された賀川浩先生と対談企画に出演されている。ご紹介しておきたい。
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サッカーダイジェスト、いよいよ週刊から月2回刊に

2015年01月06日 22時10分58秒 | サッカー情報
月2回刊となって最初のサッカーダイジェスト誌が、8日(木)に発売される。ちなみに当サッカー文化フォーラムは、1993年以降、サッカーマガジン、サッカーダイジェスト、ストライカーの全バックナンバー収蔵をめざして収集を続けてきた。

その後、一番最初にストライカー誌が、一時期の月2回刊を経て月刊だったものを隔月刊にしたところで収集活動をストップした。

このストライカー誌は私にとって大切な雑誌だった。実は1989年、まだJリーグ以前の「日本リーグ」だった当時、川淵さんもチェアマンではなく総務主事という肩書で活動しておられた頃、ストライカー誌で「日本サッカー活性化のための論文」募集という企画があって、応募したら優秀賞という、最優秀賞の次の賞に選んでいただいた。

確か1989年9月号だったと思うが、当時マンチェスター・Uにいたブライアン・ロブソンを表紙にした号の中に、最優秀賞はじめ、私のものを含めて何作か掲載していただいた。最優秀賞の作品の選評がどなただったか覚えていないが、私の論文の選評を川淵さんにしていただいたことで、特に誇らしく思っている。

そういう愛着のあったストライカー誌が隔月刊になった時は、とても残念な思いをした。紙面づくりがサッカー情報全般を扱う方針であれば、隔月刊でも収蔵を続けたかも知れないが、いわゆる技術論に特化するという方針が示されたため、サッカー文化を極めていこうとする当方の方針と合わず収蔵をストップしたのだ。

残ったサッカーマガジン誌、サッカーダイジェスト誌も、時代が変われば、いずれは隔週刊など縮小されることは覚悟していたが、先にサッカーマガジン誌が、しかも隔週刊化を通り越して月刊化、さらに誌名も「ZONE」に変更したのには驚いた。あれから1年以上になると思うが、ZONE誌も雑誌としてのコンセプトが固まってきた感じが伝わり、いまは「これもあり」だなと思っている。

実はサッカーマガジン誌は、当方の懐事情が極端に悪くなった2009年頃、ダイジェスト誌とマガジン誌のいずれかを中断せざるを得ない状況になり、私なりの紙面づくりの評価でマガジン誌を切った経緯がある。マガジン誌が月刊化に踏み切った最大の原因が売れ行き不振だったことは明らかなので、なにがしか、読者の評価が低下していたのだろう。

そして、唯一、週刊で残っていたダイジェスト誌が、今回月2回刊にするという。週刊として最後から1つ前のバックナンバー1318号で、連載コラムを書いておられる宇都宮徹壱さんも「今回の決定には、言葉にならないぐらいの寂しさを禁じ得ない」と述べておられるが、宇都宮さんは、そのあと続けて「禁じ得ない一方、やはり時代の必然というものは認めなければなるまい。」と書いておられる。

20年前なら、私たちがサッカー情報を得るには、ほとんど雑誌・新聞などの紙媒体かテレビが衷心だったが、いま情報収集の中心はネットであろう。それだけ変化したのだ。

ただ、私は、手にとって現物を確かめられる雑誌・新聞といった媒体の価値を重視しているので、月2回刊や月刊になったからといって、さほど悲観はしていない。

もともと隔月刊で発行を続けているサッカー・アイという雑誌も収蔵を続けているが、1991年秋の創刊以来、1992年と1993年分合わせて4冊欠品しているだけで全て揃っているから、20年以上ともなれば120冊を超える量で、これらの中から表紙を選んで企画展示をしただけでも、いろいろな企画が可能だ。やはり現物があればこその可能性である。

サッカーダイジェスト誌の月2回刊化に寄せて、感じたことをご紹介した。8日に発売になったら、冒頭に表紙画像も載せたい。
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日刊スポーツの見出しに異議あり

2014年12月23日 18時02分29秒 | サッカー情報
日本代表アギーレ監督のスペインリーグ時代の八百長疑惑が、スポーツ紙の1面に踊っている。ブラジルW杯が終わってからというもの、サッカーがスポーツ紙の1面を飾るのが稀になって、しばらく経つ中、突然の1面報道だ。

年明け早々に開催されるアジアカップの代表メンバー発表の日、12月15日にスペインから「八百長疑惑で告発」のニュースが飛び込んで以来、あまり動きのない日でも連日1面で報じているのが日刊スポーツだ。翌朝16日から22日まで続いて、さすがに今朝23日の1面は別ネタとなった。

日刊スポーツが、日本サッカー協会の対応を厳しく批判している姿勢は、八百長の疑惑を持たれただけでも日本代表監督としていかがなものか、という国民感情を代弁してのことだと思う。

日本サッカー協会の対応は、いまに始まったことではない。Jリーグの村井チェアマンが浦和サポーターの差別横断幕事件に対して、即、無観客試合という制裁を科した処置の歯切れの良さと比べて、なんと倫理観の薄い組織であろうか。

協会では、日本代表監督ともなれば、単なるサポーターの問題と比べ物にならないほど慎重な対応が必要だという理屈を振りかざすのだろうが、何をかいわんやである。自分たちの保身、自分たちの当事者能力不足、そういったことが本質であることは見え透いている。

日刊スポーツも、そういった本質を突いているからこそ1面での報道を続けてきたのだと思う。
その点については、まったく共感しているのだが、それとは別の、以下の見出し付けには異議がある。

挿入した画像は、12月22日(月)の日刊スポーツ8版、2ページ目に「東京 前田獲り」とある。磐田の前田遼一選手獲得に動いているという記事だ。



しかし、この記事、リード文も含めた本文にも「東京」という単語が6回出てくるが、チーム名を特定できる表記になっていない。この記事が「FC東京」に関する記事だとわかったのは、本文の最後のほうに「FW武藤」という文字を見つけたからだ。

これは明らかにメディアの基本である公平性を欠いた非礼な記事だ。いくらJ2で落ちぶれているといっても東京には「東京ヴェルディ1969」もあるのであり、Jリーグチームを表記する場合は「FC東京」もしくは「F東京」そして「東京ヴェ」もしくは「東京V」と使い分けるのが礼儀というものだろう。

実は、日刊スポーツ紙の「東京」イコール「FC東京」という記事づくりは、12月16日(火)の5ページにも見られ、単発のミスとは言えない姿勢である。

ここでの異議申し立てで、日刊スポーツの表現に何か変化が生じるか、極めて可能性が低いとは思うが、やはりキチンと書いておきたい。
アギーレ問題を、他紙が競馬予想記事にしている日でも1面に持ってくる日刊スポーツだからこそ、細かいことと言わずに正してもらいたい。
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スポルティーバ誌「保存版・本田の時代、サッカーに熱くなれた幸福な4年間」

2014年07月08日 23時19分47秒 | サッカー情報

手元にスポルティーバ誌、ブラジルW杯・特集号がある。特集テーマが「保存版・本田の時代、サッカーに熱くなれた幸福な4年間」

サブタイトルには「本田圭祐を読みつくす44ページ」とある。

内容はまだ読んでいないが、私は、心の中にあったひとつの霧が晴れた思いでこの雑誌を手に入れた。

ブラジルW杯で何人かの選手が「目標は優勝」と勇ましく宣言して戦いに挑んだものの、結果はグループリーグ敗退。

NHKと民放がコンソーシアムを組んで放送体制を組み、日本代表をCMに起用した映像も含めて、大会前に大いに盛り上がった結果の反動として、それなりのバッシングや潮がひくような静けさに包まれている昨今だが、日本代表が帰国した空港で、ねぎらいにも似た雰囲気があったことや、私自身も6月26日のこの欄で「本田圭祐選手、長友佑都選手、私(たち)は、ただ、ただ感謝しているから。」と書いたように、なぜか「まぁ、終わってしまったけれど、しかたがない」感もあるのだ。

では、それが何から来るものなのか。

6月26日の書きこみでは、「あなた方には十分、可能性を感じることができたし、優勝と広言することも、勝負に向かう人間が、自信なさそうではダメなのであり、仮にベスト8やベスト4を狙うには優勝を目指す気持ちと鍛錬がなければ資格がないという世界であることを、私たちは十二分に知っているから」そして、

「決して、ただの放言で優勝と口にしているのではなく、高い目標に挑戦する気概がなければ、世界の勝負に打って出ることなどできないということ」も知っているから、と書いた。

それだけでは、言い足りない何かがあると思うけれど、それは何んだろう、と、漠然と思っていたところに、スポルティーバ誌の特集である。中身を読むまでもなく、タイトルが雄弁に物語っている。

そうなんだ、この4年間、まさに本田の時代であり、その本田自身が、自らの進化を、計り知れない努力と強靭な精神力で身をもって示し、その進化を背景に「ワールドカップで優勝をめざす」と日本代表を鼓舞し続けてきた、その4年間のプロセスこそが、私たちに幸福な、サッカーに熱くなれた道のりをもたらしてくれたんだ。

私はスポルティーバ誌が、実に正鵠を射たタイトルをつけたことは、同誌が週刊プレーボーイ誌の増刊号という位置づけであることと無縁ではないと思っている。

週刊プレーボーイ誌の若者への思いやりある眼差しこそが、本田圭祐がもたらしてくれた4年間の意味を的確に見据えられたのだ。

私は、本田圭祐のようなタイプの選手が、引き続き、また現れてくれることを願望するが、ほとんど、それは無理かも知れないとも思う。

よく比較されるのは中田英寿選手だが、本田圭祐がこの4年間にもたらしてくれた「サッカーに熱くなれた幸福な」感覚は、中田英寿選手からは皆無といっていいほど得られなかった。

本田圭祐選手のような強烈なメンタリティと、有言実行の生きざまを備えた人間は、そう出現するものではない。

4年後、8年後のワールドカップで、さらなる成果をもたらす日本代表の中核に、どのようなタイプの選手が収まるのか、あるいはまた、強烈な個性は出てこないまでも数人の力強い人間力を備えた選手たちによって、日本代表が牽引されるのか、今大会のベスト8まで勝ち進んだチームに見られる、いくつかのパターンが「ひな型」になるのかも知れない。

いずれにせよ、冒頭述べたように、スポルティーバ誌、ブラジルW杯・特集号「保存版・本田の時代、サッカーに熱くなれた幸福な4年間」は、タイトルそれだけで、私の心の中にあったひとつの霧が晴らしてくれた、価値あるタイトルだと思う。

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2012年3月31日(土)の新着情報、長友、ガンバ、なでしこ等々

2012年03月31日 21時14分38秒 | サッカー情報
インフルエンザと、孫の来訪対応のため書き込みを1週間あけてしまいました。その間、大きなニュースが二つ、海外と国内に発生しました。注目チームの監督解任です。
インテル・ラニエリ監督、ガンバ大阪・セホーン監督、呂比須ヘッドコーチが解任されました。明と暗、成功と失敗があっという間に入れ替わる厳しい世界の現実を、まざまざと見せつけられます。
一方、うれしいニュースもありました。宮市の着実な成長、香川真司のゆるぎない実績上積み、内田篤人の復調などです。

そんな中、涙もろい「夢追い人」の目にまた涙があふれたのが26日(月)から3夜連続、NHK-BSで放送された『証言ドキュメント「永遠に咲け なでしこジャパン 日本女子サッカーの30年』です。詳しくは本文で。

○3月24日(土)から本日にかけての新着情報
【ネット・新聞関係】
《ネット》
yahooトップ画面新着情報での主な掲示ニュース
・海外
長友所属インテル、監督を解任 3月27日11時47分~28日2時4分掲示
私たち日本のサッカーファンが恐れるのは、監督が交代して長友の評価が変わり出番を失うことだ。昨年2月のインテル加入以来1年ちょっとの間に、レオナルド、ガスペリーニ、ラニエリと3人の指揮官交代があり今度は4人目となる。長友はその都度、よく新指揮官にアピールして試合に出続けているが、最近の負け試合を見ているとチーム全体に徒労感が漂っていて短期間での建て直しに苦労しそうだ。
ストラマッチョーニという新監督もシーズン終了までの暫定? という観測があるので、新シーズン、またまた新監督のもとで仕切り直しとなれば、本当にしんどいだろう。長友の未来に幸運をと祈るばかりだ。

・国内
  ガンバ大阪、セホーン監督らを解任  3月26日16時5分~27日8時48分掲示
(関連)ガンバ大阪、監督選び失敗の原因は?  3月27日17時3分~28日9時12分掲示
昨シーズンまで華麗な攻撃サッカーでファンを魅了し、Jリーグ屈指の強豪として優勝争い常連だったガンバが、今季公式戦5連敗、ここまで醜い状況になってしまうものなのかと思うほどの変わりよう。
記事は、こうした事態を招いたのは監督交代に関するチームフロントのマネジメントのまずさにあると指摘。
そもそも、チームをここまで強くした最大の功労者である西野朗監督に、契約更新しない意思を伝える時期が遅すぎ、次の職場探しの時間を与えない形になりケンカ別れのようになってしまった。
さらには後任に考えていた呂比須ワグナー氏が、日本で監督をできるライセンスを保持していないとしてリーグから認められず、やむなく呂比須氏はヘッドコーチ、彼の師匠格であるセホーン氏を監督に据えた。
しかし、チーム内には、どちらの指揮官に従えばいいのかという迷いが出て、セホーン監督も記者団の取材にあいまいにしか答えられない状況が生まれた。
これでは、新シーズンを万全に迎えられるはずもなく瓦解してしまった、とガンバのフロント陣を厳しく非難している。

・3月28日「日刊ゲンダイ」(タブロイド夕刊) 「ウの目タカの目」欄(デスクと記者のつぶやき) カズさえいなきゃ(抜粋)
「勝てないな、山口新監督の横浜FC。45歳のキング・カズを投入してテコ入れを図りましたが・・・。テコ入れ?   もうムリだろ、Jリーガーとしては。 なぜ現役を続けられるの?   実は横浜FCのオーナーがカズの大ファン。オーナーが代わらない限りは本人の気持ち次第。 横浜FCは最下位。このままでは近い将来、新監督の首も吹っ飛ぶことでしょう。 カズは?   安泰です。」
ここで言うオーナーとは、全国で学校・病院給食や社員食堂を展開する「株式会社レオックジャパン」の代表取締役会長兼社長の小野寺氏と思われる。カズ選手の大ファンのようで愛車のナンバーも11番とか。カズ選手は若い頃からスポンサーに恵まれているが、これも彼の愛される人間性によるものだろう。

【テレビ関係】
・3月26日(月)~28日(水)3夜連続 NHK-BS『証言ドキュメント「永遠に咲け なでしこジャパン 日本女子サッカーの30年』(各50分×3回)
 ナレーター 井上真央

第一夜 1981年~2003年 鈴木保監督 川淵三郎、大部由美、宮本(旧姓・三井)ともみ、大竹七未、野田朱美、武岡イネス恵美子 宮内聡監督、山郷のぞみ
1981年、初めて女子サッカー日本代表が編成されて以降、1989年に女子サッカーリーグがスタート、1994年からはLリーグの愛称で、海外からの加入も増え世界最高の女子リーグと呼ばれる隆盛を誇った中、1991年から始まった第一回女子世界選手権(現ワールドカップ)にも連続出場を果たしてきたが、2000年シドニー五輪への出場権を逃したことで大きな挫折を味わった。
社会の女子サッカーへの注目度が落ち、不況下、Lリーグから次々と企業が撤退、恵まれた環境を失う選手たちが続出した。
こうした中、2003年女子ワールドカップ出場権も、最後の大陸間プレーオフにもつれ込む苦しい状況に陥った。
2003年7月、国立競技場には日本サッカー協会の協力もあって多くのファンが詰めかけメキシコとのプレーオフを後押しした。試合は澤と丸山桂里奈のゴールで快勝、ギリギリのところで出場枠に滑り込んだ。
試合後のインタビューで大部キャプテンは涙をこらえることができなかった。ちぎれそうになってしまった女子サッカーの糸を何とかつなぎ止めたという万感の思いが彼女の胸を去来した。この勝利はそれだけの重みをもった勝利だった。
第一夜は、立上げ当初から長年、日本代表を支えてきた半田悦子、大原、キャプテン・岩田の3人が西が丘サッカー場で再開したシーンで終わる。ワールドカップ優勝という大輪の花を咲かせた、なでしこジャパンの草創期を支えた時代だ。

第二夜 2003年~2007年
オリンピック・ワールドカップに出場はするものの、まだ世界の壁に跳ね返されていた、なでしこジャパン、その中にあって、ただ一人の世界基準が澤穂稀、彼女に皆が追いつく厳しいトレーニングの時代が始まった。
上田栄治監督、池田(旧姓・磯崎)浩美、川上直子、丸山桂里奈、宮本(旧姓三井)ともみ、荒川恵理子、大部由美(キャプテン)、大野忍、大橋浩司監督、宮間あや、永里優季

第三夜  2007年~そして
佐々木則夫監督、大野忍、宮間あや、永里優季、近賀ゆかり、安藤梢、池田(旧姓・磯崎)浩美、丸山桂里奈、澤穂稀、野田朱美、熊谷紗希、山郷のぞみ、半田悦子、川上直子

・3月29日(木) BS「知られざる欧州サッカーの魅力」(110分) ナビゲーター 宮本恒靖、小島伸幸
   ドイツ  ドルトムント 香川真司×小島伸幸対談  
        ウォルフスブルク、シャルケ
   イングランド   マンチェスター・U
   イタリア     インテル  
            サネッティ×宮本恒靖対談
シャルケのホームスタジアム、2001年に230億円を投じて建設されたドーム型スタジアム、炭鉱産業が衰退した町を蘇らせたいと進められたプロジェクト、寒冷地なのでドーム型とし、芝は天然芝で未使用日には屋外で養生させ、試合日にスタジアム内に可動する。試合のない日はドーム内で、コンサートやレースなど、さまざまなイベントが安心して行なわれ、町に新たな産業を生み出した。
シャルケの試合には毎回6万人が詰めかけ欧州有数の熱気あふれるスタジアムとして有名。スタジアムの地下には地ビールの配送庫があり配管でスタジアム中に張り巡らされている。
観覧席の一部はビジネスラウンジになっており、地元企業70社が試合日だけでなく、さまざまな商談・打合せなどに使用されている。
訪ねた宮本恒靖は「理想はこうだと思う」と。プロジェクトを推進したルディガー・シュミッツ氏は、スポーツ施設を生かした独自のまちづくりで世界から注目されているという。「重要なポイントは、多くの人が訪れるようスタジアムを多目的にしたことだ。あのスタジアムはさびれた町が再生するキッカケになった」
長い間、この町、このチームを支えてきた炭鉱。チームはその歴史を忘れないようにするため、選手たちは毎年シーズン始め炭鉱労働を経験するしきたりになっている。もちろん内田篤人も経験した。試合の日、サポーターも声援の合言葉に炭鉱の町で語られる「無事を祈って」を大合唱する。
宮本恒靖は続ける「サッカーの持っている力は、人の心を一つにするし経済を動かすし、何より希望をもたらす。社会に欠かせない生活の一部だと思う」
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