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; 既成の白紙カードに直接印刷する by JG1MOU
; 1枚のカードに同一局との複数のデータを印字する
; ただし、JARL指定順かJARL指定逆順で印字すること
印字補正 X-0 Y-0にする事
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*993
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*993
ツイッターを見ていいるとあれから10年ほど経っていますが、原会長が辞任した経緯が間違った方向で伝わっているようなので正しい経緯をあえてお伝えします。
何故、間違った経緯で一部の人に伝わってしまったが理解に苦しむます。
これを、ここで書くとまたいろいろな方から、意見が来ると思います。
これについて、議論する気はありませんのでご理解ください。
「田中が、勝手に言っている。そのんなのは、信用するな。」言われてる方がいるようですが、できれば、一度お会いしてお話をしたいものです。
その方にツイッターでお会いしてお話をしたいと申し出をしましたが、返事がありません。
原会長が辞任した経緯ですが・・・。
2010年に名古屋総会で新法人移行するための決議が象さんグループの反対で否決されたのがすべての始まりです。
象さんグループの移行議案否決の理由は、この状態では移行できない支部等を廃止し支部長を社員にするのはダメ、現在の支部は、全く支部活動をしていない等などのものでした。
草野さんは、理事になる前に全くJARLに係わったことが無く支部活動がどのようなものかもご存じなかったようで、草野さんはと言うよりDX'erは、支部活動なんかなくても無線が出来る状態にあり支部に全く関わることが無い為、多くのDX'erは、これに賛同したのです。
私もDX'erの端くれでしたのでこれは、よく理解出来ました。
必要なQSLカードは、ほとんどがSASEで手に入ります。BUROは、ほとんど必要なかったのです。
私もDXCCを追いかけるだけならJARLは、必要ないと冗談で言ってました。
しかし、アマチュア無線全体を考えると支部は必要で関西では、活発に支部活動を行い会員に対して技術講習会や理事会報告などのサービスを行っていました。
一部全く活動していない支部は確かにありました。
私は、草野さんにこの事を理解して貰おうとメールで議論をしていました。
JA3HBF田原さんもその中の一人です。
結果は、全く理解を得ることはできませんでした。
「将来のJARL方向性は、同じようなので一緒にやりませんか」とも提案しましたが拒否されました。
JARL理事会は、早く新法人に移行しないとタイムリミットが来て解散に追い込まれると言う恐怖がありました。
当時のJARL理事会は、名古屋総会で新法人移行の決議を可決後2011年の総会で新法人に移行と言うシナリオで動いていました。
これが、否決されたためもう一度2011年の通常総会までに臨時総会を開き否決された新法人移行議案を可決する必要に駆られたのです。
長谷川さんから私に臨時総会を開く必要があるので何とかしてくれと頼まれ会場を探し寝屋川の文化会館を抑えることができました。
ただし、総会を行うスタッフはいません。どのようにすれば、スタッフを募ることが出来るか思案していたところ、1つは、臨時総会をし議案を可決しなければJARLは、解散に追い込まれことを理由にしてスタッフを募りました。
以前から長谷川さんは、「新法人に移行が決まれば、原会長は辞任すると言っている」と聞いていたので私は、それをスタッフのやる気の一つとして公開してよいかと尋ねたところかまわないと許可を頂きスタッフ方に「新法人に移行が決まれば、原会長は辞任すると言っている」是非協力してほしいいとお願いし臨時総会を開きました。
私は、臨時総会の準備をスタッフとともに行いながら、何とか総会を成立させ議案を可決させるために動きました。
多くの方から賛同を貰い、多く方からお𠮟りを受けました。
結果は、可決。
下記は、当時の私のブログです。
支部長連絡会2010年9月26日
https://blog.goo.ne.jp/jr3qhq/e/05a1b88bad7f21a7720ad2d7f1599fd3
JARLの支部長連絡会報告
https://blog.goo.ne.jp/jr3qhq/e/563591c7c3279caba8104d6c795a78d0
臨時総会を成功させるためのはがき(委任のお願い)
https://blog.goo.ne.jp/jr3qhq/e/4474c31171f5b1c74ffe4b2d539d1b38
はがきに対する抵抗
https://blog.goo.ne.jp/jr3qhq/e/17dc84c0ae458ef34f19c23500af291b
臨時総会成功
https://blog.goo.ne.jp/jr3qhq/e/1adb1b69888952065bef44874903369d
寝屋川臨時総会が終了後今度は、池田市民文化会館で通常総会を開いてほしいと長谷川さんから頼まれ、成り行きで総会を行うことになりました。
ただ、下記のブログにあるように原さんは、辞任の意向を全く表明しませんでした。
で、この状態では、第53回通常総会は、開催出来ないと各理事に手紙を送りました。
日付は、2011年2月10日です。
この時点で、私たちが「総会は、出来ない」と言うと時間的に他で行うことは不可能なことは、知った上での手紙です。
第53回JAR通常総会
https://blog.goo.ne.jp/jr3qhq/e/86dfe527701bd96f211de48d2d3e3324
手紙が功を奏したかたどうかわかりませんが、JARLwebの理事会報告で会長辞任表明の速報がでていました。
原会長辞任
https://blog.goo.ne.jp/jr3qhq/e/255d351a1d8629e3825241a462688e2f
いけだ総会とカンハム
https://blog.goo.ne.jp/jr3qhq/e/e0dad7676d286fa207c77c1302f0b2a8
とこが何と、このいけだ総会の前々日に原会長はやめないと言ってきました。
総会準備の金曜日、長谷川さんから原さんが辞任しないという話がでてきてみんなびっくり。
私は、直接スタッフの前でなぜ辞任を覆したのか直接電話で聞きたいので長谷川さんに原さんに電話をしてほしいと
頼み直接、原さんと電話で話をしました。結果は、明確な返答はありませんでした。
そこで、明日の議事運営会議に原さんが出席するのでもう一度辞任するように促そうと話し合い。
土曜日を迎えました。
議事運営会議の出席者は、原さん・JA3DKW永井さん(議長)、JH3GXF安孫子さん(副議長)・JA3HXJ長谷川さん・
JA3DBD宮本さん(議事運営会議委員長)、JR3QHQ私(事務局)、JL3JRY屋田さん(実行委員長)・事務局長の大橋さん・当時の専務理事、
数名のJARL職員。
会議の場で長谷川さんが、原さんにこの総会で辞任するように促しました。
原さんは、NOと言ったので、永井さんが、「それならここにいるメンバーで原さんが、
辞任すべきかすべきでないか意見を聞きましょう」と提案しみなさんの同意があったのでYESかNOで決をとりました。
当然、長谷川さん、永井さん・安孫子さん・宮本さん・私・屋田さんは、辞任すべきと言い、数名のJARL職員は
確か保留。最後の大橋事務局長が、最後通告をしました。
大橋事務局長は、「私は、原さんに雇ってもらって事務局長になりました。しかし、首にしてもらっても
結構ですのでこの現状を見るとここでお辞めになるのが一番良いとおもいます。」と事務局長の一言で
やめたくないけどやめざる得ない状況になり、原さんが、「それでは、明日辞任の挨拶をする」と言い話が終わりました。
その後、原さんの辞任の挨拶は、総会前にするのが良いか、総会に入ってからするのが良いか
話し合いがあり、総会に入ってからすることになりました。総会前だと議事録に載らないので
また、やめないというかもしれないと総会に入ってからすることになりましたが、当日、総会前に
勝手に原さんが、辞任の挨拶をした記憶があります。
前日の土曜日の会議で辞任の覚悟を決めたのが真相です。
いけだ総会終了
https://blog.goo.ne.jp/jr3qhq/e/5baffe3b1c167c5b9538c53c3ca5a15b
以上が、原会長が辞任した経緯です。
決して、他の誰かが鈴を付けたのではありません。
総会ギリギリで原会長が、やっぱりやめないと言う話は、原会長の名誉のためネット等には出しませんでした。しかし、全く間違った原会長辞任の話が出来たのと10年以上の出来事と言うことご本人が他界されていることであえてここで書きました。
みなさん、ご理解ください。
ある村の村長さんの話です。
今年は、村の村長さんと村会議員さんの選挙の年です。
村長さんは、有名な人で立候補するといつもトップ当選です。
この村長さん、自分の気に入らない議員さんを当選させまいと自分の言うことを聞く多くの子分たちをいつも立候補させています。
いつもならハイと言って自分の言うことを聞く子分たちばかりなのですが、今回は、失敗がありました。
どんな失敗かと言いますと、自分がお願いして立候補して頂いた立候補者の立候補所信を事前に読んだのです。
この村長さんは、何んでもできます。見るこのできない立候補者の所信など事務局に言えばすぐに見ることができるのです。
ところがこの所信、村長さんには気に入らない内容でした。
すぐに村長さんは、その立候補者に電話しました。
「あんたが書いた立候補の所信じゃがのう、ワシは気に入らん!書き直してくれんかのう!」
「えっ!書き直さん?じゃ、ワシが書いてやっても良いのじゃがどうだ・・・。」
「なに、あんたにそげなこと言われる筋合いは無い?。あれはワテが思ったことを書いたまでじゃとう?」
「書き直す気はなのじゃな・・・」
村長さん、「立候補者の所信が気に入らない書き直せ、出来ないならワシが代わりに書いてやる」と電話を入れたのですが断られてしまいました。
それどころか、立候補者を怒らせてしまい立候補を取りやめる所まで行ってしまったのです。
この立候補者は、他にも役職があったのですが「こんなバカげた村長の下ではやっていけん」とその役職も辞めることにしました。
立候補者は、村長さんに辞職届を書いて送ったのですが、村長さん、その辞職届は「村長預かり」としてポッケにナイナイしてほったらかし状態です。
村長預かりの辞職届は、いずれ全くなかったことになり闇に葬り去られる運命です。
この村長これで懲りるわけがありません。
次の子分を立候補させ何食わぬ顔!
村長さんは、いつもこの方法で人を騙し嘘をつき村長の座に居座りかえっています。
何も知らないのは、村民たち、めでたしめでたし・・・。
この村の村長さん、年に1度ある村の各地区の会合に出席しています。
本当は、出席なぞする必要は無いのですが、会合がある前に地区の会合の主催者に「ワシしが会合出てやる。どうじゃ村長がわざわざ来てくれたとはくがつくじゃろが。ついてはのう、ワシに来てくれと事務局に要望書を出してくれんかのう、そうすると交通費がワシに出るんじゃ。何やったら、前夜祭も出てやっても良いぞ。祝儀も出るんでどうじゃ?」と電話を掛けてくるそうな。
「村長さんがわざわざ来ていただけるなら主催者のワシも自慢できる」とせっせと要望書出して村長さんに来ていただくと主催者の顔も立つ訳です。
ここが村長さんの狙いです。
事務局から交通費を貰って自分の身銭を切らず、主催者の顔を立てて自分の自慢話を携えて自分の選挙の時には、村の住人や主催者の忖度を頂く。
一石二鳥、良く考えたものですと、言いたいところですが、この手法、元村長が取った手法をまねたまでで自分は何も考えていないと言うことのようです。
何も知らないのは、村民たち、めでたしめでたし・・・。
これは、フィクションです。お間違いなく・・・。
続く。
網膜剥離を起こしてから、1年が過ぎました。2014年の2月2日(日)、午後5時半ごろ網膜剥離を起こしました。昨日で1年経ちましたが、現在のところ再発は、していません。手術が、終わってから涙がよく出るようになったのがちょっと困ります。まぁ、出ないよりましです。それより良かったのは、左目の飛蚊症が、なくなりました。ただし、右目は、まだあります。また、手術後、3ヶ月くらいで視力が安定すると言われていましたが、1年経って、少し視力が良くなったせいか近くを見るとき、メガネを取る事が多くなってきています。
まぁ、一安心です。
次は、右目かもしれませんが・・・。
3月14日、眼科の検診に行ってきました。結果は、問題なしです。ただ、涙が沢山出ます。先生は、花粉症?結膜炎?と色々言いましたが、結局何もなし。
「今度来るとき収まっていたら良いのにね」の一言で終わりました。まぁ、溢れ出て大変という事は、ないのでほっときます。
私に会ったとき、涙が目から落ちて来ても泣いていませんので・・・。同じように白内障の手術をした人は、ドライアイで困っていると・・・。
今日、病院へ行ってきた。1週間前の検診で眼圧が、30だったが今日は、17に良かった。光視症の件を先生に話すとちょっと気になる様子でしたが、眼底を検査してもらったところ今のところ問題なし。先生曰く「田中さんの目は、網膜剥離起こしやすいので光視症は、治らないよ・・・」
という事は、また剥離が起こる可能性ありという事か、まぁ、仕方ない。で、今度の検診は、2週間後。3月からまたトラックに乗る。メガネは、そろそろレンズ替えても良いらしい。視力検査で「最近、視力が落ちたようなんです。」「田中さん、いいえ落ちてませんよ。1.2ありますから」「そうですか、今のメガネ見えにくのですが」「じゃ、度数はりましょう」数分後「ちょっと弱いですね」「田中さんなら、度数3くらいでしょう。今のは、2.5です。」と言うことでメガネレンズ替えます。
2月17日
だいぶ目の中のガスが抜けてきた。現在、半分くらい見えるようになった。下を向くとガスの丸い円が見える。これが、だんだん小さくなっていくらしい・・・。怖いのが、その後の再網膜剥離。術後2週間で起こることがあるらしい。再剥離ないことを祈るのみ・・・。
2月20日
今日は、退院して初めての検診の日でした。術後は問題無しでしたが、眼圧が高いと言う事で眼圧を下げる点眼薬をいただきました。どうも、現在使っているステロイド系のリンデロンと言う点眼薬が原因らしくリンデロンの使用中止を言われました。術後すぐから眼圧が高ったので心配でした。これで一週間様子をみます。
2月22日
今日は、午後から関ハムの会議。目のほうは、問題なさそう、でも左目の視力が不安定、昨日は、違和感無く見えていたが、今日は、視力少し落ちているよう。眼圧を落とす目薬をさしているけど、正直落ちているかどうか解らない・・・。不安。現在、21:50ですが、21:20に、ガスが無くなりました。
2月24日
目のガスが抜けて一安心と思いきや、光視症が頻繁に現れるようになった。これは、網膜剥離の前兆・・・。ネットで調べると術後に起きるが心配ないとの事、でも再剥離が怖い・・・。現在、矯正で左1.2 右1.5あるが、視力が安定せず、毎日見え方が微妙に違う。安定するまで2ヶ月ほど掛かるらしい。
2月26日
今日、車を運転した。見え方は、問題ないし、視力もメガネをかけて1.2以上ある。ただ、最近ちょっと涙目・・・。光視症は、まだあるけど頻度が下がってきたように思える。昨日は、散髪に行った。ネットで調べると、視力が戻らないとあるが、たぶん黄斑まで剥離した人の話。私は、幸い黄斑まで行っていなかったので、視力は、問題ない。まだ、見え方が、微妙に変化がある。両目にあった、飛蚊は、左目を手術のでほぼ無くなったが、その分、右目が気になる。
2013年夏に網膜裂肛を発病した時、左目の左端(網膜裂肛・剥離を起こした場所)に盛んに妙な光を感じていた。
今覚えば、これが光視症と言う現象で、網膜に穴が空くまえの現象だった。
ネットで調べればすぐに出てきたのだが、それを見ることはなかった。
ネットでは、あまり気にしないで良いと書いてあるが、約20%の人は、これにより網膜裂肛や剥離が起こるらしい。
私は、それにはまってしまった。なりやすい人は、子供の頃から近視の人で私は、それに当てはまる。
子供の頃から近視の人は、網膜が薄く敗れやすいらしい。
この光視症と言う現象は、加齢により目の中の液体がジェル状からさらさな水の状態に変化する、その時
網膜とジェル状の液体の癒着が強いと、変化するとき網膜を引っ張ってしまう、その時そこの刺激が脳に
伝えられるが、脳では、それを光の様に感じ閃光が一瞬走るこれが、光視症と言う現象。
通常は、引っ張られても網膜が敗れることも穴が開くこともないが、私のように網膜が薄いと敗れたり、穴が開いたりして
網膜裂肛や剥離になってしまう。
小さい時から、近視の人は、気をつけたほうが良い。ただし、予防方法は、ないらしい。
妙な光を頻繁に感じたら、網膜裂肛や剥離がやがて起こると思った方が良い。
これらの病気は、早期発見・早期治療(手術)でほぼ元にもどる。
私が、網膜剥離を発症したのが2月2日(日)の午後5時、この時すぐに医者へ行くことは、考えなかった。
それは、明日からずっと休んでいたトラックに乗る仕事が始まるのと次回の診断が、2月7日に決まっていたので2月7日しか行く日がないと
考えていたから。
ところが、午後6時ごろ乗務員から電話で耳の調子が悪いので病院へ行きたい、明日の仕事休みたいと言ってきた。
これは、大変と明日の段取りをもう一度組み替えて、この乗務員の仕事を私がすることにした。
月曜日、この乗務員の仕事をしていると、乗務員から電話で、病院が終わったので出勤すると言ってきたので、ころの良いところで
仕事を替わった。
ここが、偶然と言えば偶然で、私は、予定外の時間を作ることができた。
この時間を有効に使うてはないと、早速、目医者へ直行。
これが、良かって、次の日の緊急入院、緊急手術になった訳です。
もし、そのまま仕事を続けていて予定通り7日に目医者へ行っていれば、剥離が黄斑まで進み、完治しても元通りに視力は、戻らなかった
でしょう。
また、車を運手していると左目の視野欠損は気にならなくなりこのまま放置しても行けると考えてしまうこともありました。
これが、大きな間違いなのです。
気にならなくと言うのは、その欠損を右目が補っているからで、良くなった訳ではありません。
私の目は、偶然とちょっとした行動で最悪なケースをまぬがれたと言えます。
ただ、現在これで完治した訳では、ありません。まだ、ガスが残り再剥離の可能性は、十分あります。祈るのみです。
多くの目の病気に掛かり多くの体験をしました。まだ、左目は、上の方しか見えませんが、日に日に見えるようになっています。
そのひとつ一般的な白内障について書きます。
白内障の症状は、ネットで検索してください。ここでは、手術について書きます。
目の手術と言うと怖がる人が多くいます、私もその一人でしたが開き直って執刀医の先生を信用することが大事です。
手術当日は、まな板のなんとかに徹して動かずじっとしていれば、耐えることができます。
白内障の手術自体は、片目で約10分で終わります。10分間動かず我慢していれば終わりです。
痛いのでは、と思われるとでしょうが、痛くありません。麻酔は、点眼麻酔ですので痛くありません。
ただ、目をゴリゴリ触られている感じはあります。そして見えるものは、眩しいほどの光だけです。
時々、何やら見えますが何か判断は付きません。虹色の光も見えます。これも時々。
手術で何をするかですが、目の水晶体を取り除き人口の水晶体を入れるのが、白内障の手術です。
簡単に言えば、一生使えるコンタクトレンズを目にいれると言う事です。
白内障の手術の前に医者からこんなことを言われます。
「田中さん、入れるレンズどうします?田中さんの今のメガネの度数は、6だから3ぐらいにしときましょか。」
「えっ、先生どういう事ですか?」「目に入れるレンズ本人の意思で自由に選べるのです。レンズによっては今後メガネ無しの生活もできますが
そうすると、老眼がキツくなるのでかえって不便ですので田中さん場合だと度数3くらいにしておけば遠くも度数の軽いメガネで見る事が
できるし、近くもメガネを外せば見えます。」「へー、そうなんですが、じゃぁ、3でお願いします。」と言った会話になります。
手術は、日をおいて左右2回行われます。術後、1日で眼帯がはずされ1週間くらいで視力が徐々に回復していきます。目薬は、2ヶ月ほど
必要ですが、おどろくほど視力が良くなります。現在、私のメガネは、度数2.5です。でも、これは、中間点の度数です。1ヶ月ほどするともっと良くなる
らしいく、もう一度メガネのレンズを交換する必要があります。術後1ヶ月か2ヶ月で視力が安定するらしいです。
白内障の手術は、そんなに怖くないと言う話でした。
前回の手術の時もそうでしたが、ネット検索すると麻酔の時が一番痛いとあちこちに書いてありましたが、2回とも全く痛くありませんでした。
「はい、右上見て左上みて・・・麻酔終わり、麻酔効くまで待とかー」 「さぁ、始めよかー」「先生の顔がメチャ見える・・・」「麻酔足らんかなぁ・・・足
しとこ」目に眩しい光がさして、だんだん暗くなる。この時、右目にも点眼の麻酔もされる。
これは、右目も麻酔することによって目の動きを封じるためらしい。
手術中、右目も開けたまま。「左目に器具を装着するよー」何やら触られているのが感じるが痛くない。
左目は、真っ暗で何も見えないが、時々オレンジ色の光を感じる。
この手術は、白目に3つ穴を開けそこから細い器具を眼球の中に入れ眼球の中の液体を抜き剥離の原因の穴をレザーで焼いて穴から液体を
侵入させない手術。
その後、特殊なガスを眼球に注入しその圧力で網膜を抑えて剥離を止める。眼球の液体を抜くのに時間がかかるらしい。
初めての手術の時は、白内障の手術も同時に行うが、私の場合は、すでに白内障の手術をしているのでそれはなし。
なにやらポンプが作動している音が聞こえる。たぶんすでに3つ穴が開けられ器具が眼球の中に入っている。
3つ穴の内訳は、眼球の中を照らすライトと眼球の中を見るカメラ、それにたぶん液体を抜くポンプに穴を塞ぐレーザー(たぶん共有)4つ
かもしれない。
眼球の液体を抜いている間に、網膜剥離の穴を探している様子。「あっぁ、あった。もう一つある。ここにもあるかもしれない。なっぁ、あったやろ。
これや。」先生が、助手の先生に話しかけている。「そうですね、ありましたねぇ。」私は、じっとその会話聞いている。
見えるものは、ポンプの針先のようなもの、目の中をウロウロしている。
そのうち、「先生、失礼します」と若い人の声。「おっ、お疲れ」と先生。どうも数人のインターンがいたようだ。手術中に帰って行きました。
他に聞こえる音は、心電図のピッピッピッと鼓動の音。時々、右腕に装着された血圧計が腕を締め付ける。
左手には、点滴と血流の酸素図る器具が付けられいる。この手術、頭を動かさずじっとしているのが、私の仕事。
何やら、頭の後ろがじっとしているため痛くなってきた。ちょっと動かしたい気持ち。感覚で、眼球の液体が抜き取られたのを感じ。
「先生、ちょっと頭が痛いので動かしたい」と告げる。「よっしゃ、ちょっとやめよ。うごかしてもいいでー。」「はい」「ええかー」「じゃぁ、続き始めよ。
田中さん、8割終わりもうちょっと」いよいよレーザーで穴を塞ぐ。
緑の光線が目の中を何回も走り回る。後で聞くと608回。ガス注入。
「はい、田中さん、終わったで。4つ穴があって全部塞いだ。後、穴が飽きそうなのが4つあった。これも攻めといた。
網膜裂孔の手術したのは、誰や・・・。」ちょっと意味ありげな言葉・・・。「・・・・」・・・・・「先生、ありがとうございました。今度、右目もお願いします。」
「まだ、剥離してへんのに・・・」
2013年の夏から現在までに表記の目の病気を立て続けに患ったのでその経緯を、ここに書きます。現在も左目は、ガスがあり見えません。
去年2013年の夏、左目がしょぼしょぼするので目薬でしのぐ。
8月1日、左目の左下が一瞬黒くなったのを発見。
2日に目医者へ、網膜裂孔と診断、9日、レーザー手術。この手術は、瞳孔を開き外からレーザーをあて、網膜の裂け目を焼きそれ以上広がら
ないようにまた、そこから眼球の液体が網膜と眼球の隙間に入らないようにするものです。手術時間は、10分程度で日帰りで受けることが
できます。
ところが10月頃、左目の真ん中に黄色の点が現れる、仕事が忙しいので放置。
左目の視力が日に日に落ちていくのが気になり12月26日、眼科へ、黄斑前幕と診断。翌年2014年1月17日阪大病院へ、すぐ手術を勧められる。
1月24日手術・入院。この時、阪大病院は、満室で兵庫県の総合病院へ入院・手術。執刀医は、阪大の先生。
同時に両目の白内障の手術も、これは、必ず白内障の合併症があるので同時に行うのが通例らしい。
29日に退院。31日に通院で視力が戻り黄斑前幕の治療終了を告げられる。
2月2日午後5時、左目の上が、真っ黒に・・・。
可能性があると言われていた網膜剥離を疑い、3日、眼科へ、自己診断通り網膜剥離と診断される。
2月4日、阪大病院へ、緊急入院、5日緊急手術。
執刀医も不明、時間も不明、とりあえず5日に手術だけが決定。
結局、黄斑前幕の時の先生が執刀することに。
手術室での会話「先生、また来ました。」「そうやね、がんばろうね。昨日までサンフランシスコにおってん。メール見てビックリしたで。手術時間、
穴がすぐ見つかったら45分、見つかれへんかっら1時間ね」「ほんだらはじめよかー。麻酔するよー」
昨日は、家内とふたりで池田市民文化会館へ落語を聴きに行きました。
実は、お金を払って落語を聴きに行くのは初めてでした。
しかし、何年ぶりでしょうかお腹の底から笑いました。
機会があれば、また行きたいものです。