今日、病院へ行ってきた。1週間前の検診で眼圧が、30だったが今日は、17に良かった。光視症の件を先生に話すとちょっと気になる様子でしたが、眼底を検査してもらったところ今のところ問題なし。先生曰く「田中さんの目は、網膜剥離起こしやすいので光視症は、治らないよ・・・」
という事は、また剥離が起こる可能性ありという事か、まぁ、仕方ない。で、今度の検診は、2週間後。3月からまたトラックに乗る。メガネは、そろそろレンズ替えても良いらしい。視力検査で「最近、視力が落ちたようなんです。」「田中さん、いいえ落ちてませんよ。1.2ありますから」「そうですか、今のメガネ見えにくのですが」「じゃ、度数はりましょう」数分後「ちょっと弱いですね」「田中さんなら、度数3くらいでしょう。今のは、2.5です。」と言うことでメガネレンズ替えます。
2月17日
だいぶ目の中のガスが抜けてきた。現在、半分くらい見えるようになった。下を向くとガスの丸い円が見える。これが、だんだん小さくなっていくらしい・・・。怖いのが、その後の再網膜剥離。術後2週間で起こることがあるらしい。再剥離ないことを祈るのみ・・・。
2月20日
今日は、退院して初めての検診の日でした。術後は問題無しでしたが、眼圧が高いと言う事で眼圧を下げる点眼薬をいただきました。どうも、現在使っているステロイド系のリンデロンと言う点眼薬が原因らしくリンデロンの使用中止を言われました。術後すぐから眼圧が高ったので心配でした。これで一週間様子をみます。
2月22日
今日は、午後から関ハムの会議。目のほうは、問題なさそう、でも左目の視力が不安定、昨日は、違和感無く見えていたが、今日は、視力少し落ちているよう。眼圧を落とす目薬をさしているけど、正直落ちているかどうか解らない・・・。不安。現在、21:50ですが、21:20に、ガスが無くなりました。
2月24日
目のガスが抜けて一安心と思いきや、光視症が頻繁に現れるようになった。これは、網膜剥離の前兆・・・。ネットで調べると術後に起きるが心配ないとの事、でも再剥離が怖い・・・。現在、矯正で左1.2 右1.5あるが、視力が安定せず、毎日見え方が微妙に違う。安定するまで2ヶ月ほど掛かるらしい。
2月26日
今日、車を運転した。見え方は、問題ないし、視力もメガネをかけて1.2以上ある。ただ、最近ちょっと涙目・・・。光視症は、まだあるけど頻度が下がってきたように思える。昨日は、散髪に行った。ネットで調べると、視力が戻らないとあるが、たぶん黄斑まで剥離した人の話。私は、幸い黄斑まで行っていなかったので、視力は、問題ない。まだ、見え方が、微妙に変化がある。両目にあった、飛蚊は、左目を手術のでほぼ無くなったが、その分、右目が気になる。
選挙が終わって執行部が決まり、これからJARLは、何をすべきか。
財政については、TSS・終身会員問題が一段落し、事務局の移転もされ2階と4階で分断されていた事務局も1フローアーになり事務局員の意思疎通もうまくできるようになっているはずです。
これからは、QSL問題とJARL NEWSの問題を解決する必要があります。これには、会員の意識の改革が必要です。特にQSLカードです。紙のQSLカード重視から電子QSLへ会員の意識を変える必要があります。そのためには、JARLは、率先して電子QSLカードのシステムを構築する必要があります。その制度を作り、自ずと会員から紙のQSLカードより電子QSLカードの方が効率が良いと思うようにするのです。これが、定着していくと、BURO会社に支払う金額が減り、それが、会費減額に結びつきます。JARL NEWSも全く同じでPDFにして毎月メール等で送ります。インターネットができない会員については、配信できないとはっきり言うのが良いでしょう。QSL印刷会社やBUROは、大きな打撃を受けますが、全く紙のQSLカードがなくなる訳ではありません。現在でもJAのQSLカードの3割位は、白紙の紙にプリンターで自分で印刷して送っています。私もその一人ですが・・・。
方法の1つとして、コンテストでは必要なカードのみを発行する。その他は、すべて電子QSLでとキャンペーンをはる。各支部も啓蒙活動をする。アワードも然り。以前のQSO BANKは、残念ながらアマチュアが潰してしまいましたが、JARL中心で確実な電子QSLシステムを構築する。
同時に、アマチュア無線家を作り出すことに力を入れなければなりません。それには、JARDとの協力は欠かせません。現在の講習会制度は、大変厳しく私も何回か行いましたが、いつもやってやろうとは、思いません。制度をJARDと協力して簡素化していく事を行わなければなりません。その為には、国との交渉が必要です。
支部は、新しく免許取った人に、アマチュア無線を出来る土台を作り育成する事が必要です。その為には、登録クラブの協力も必要ですそのような方に、JARLに入ってもらう場合、カード転送を表に出して勧誘するのは、やめましょう。JARLは、一般社団法人で公益法人であることを伝え、それに賛同する方を勧誘するのですが、それが難しい・・・・ですね。みんなで考えましょう。それは、JARL会員の人間性かもしれません。
だんだん、むつかしくなって来ましたのでこれくらいでやめます。すいません。
立候補所信で選挙制度の事について書きましたが、私の思うところの選挙制度について述べます。
現在の選挙制度は、2つの選挙によって行われています。1つは、支部長も含める社員選挙です。もう一つは、理事選挙です。
私は、社員選挙は、問題ないと思いますが、理事選挙は、問題があります。この理事選挙、理事候補者を会員が決める選挙で、これに当選したからすぐに理事になれる訳ではありません。当選すれば、理事候補者になるだけで、理事を決めるのは、社員です。前回、これで問題が起きました。なぜ、このような制度にしたか誰がしたか、そして誰が賛成してこの制度が決まったか。この制度を作ったのは、前の事務局長です。その真意は、長く続いてきた以前のJARLの選挙制度を生かすことで会員からのクレームを避けるためです。たぶん、現行の一般社団法人法に外れないように相当考えた末の事だったと思います。結局、現行の一般社団法人法に照らし合わせると社員総会で理事を決めると言うのをやめるわけにはいかなく、現行制度になってしまいました。これは、理事会で話し合われたとおもいます。そして、理事会で可決されたのです。大変苦しんで、作られた制度でしたがいろいろな問題が起きてしまいました。
では、これから選挙制度は、どのようにすれば良いのでしょう?それは、簡単です。JARL以外の一般社団法人が取り入れている選挙制度にすれば良いのです。
まず、社員選挙をします。ここで選ばれた社員が、その中から理事を選ぶのです。選挙は、1回で済みます。全国理事は、社員全員から地方本部の理事は、そのエリアの社員から選びます。これで、理事が決まり、理事の中から会長が選ばれればそれ良いのです。地方本部の理事は、そのエリアの支部長と社員が、決めますので、所信で書いたような事は、起こりません。
当然、理事になろうとする方は、社員選挙にでます。これに当選できなければ理事にはなれません。次に当選しても社員がその理事候補者を決める訳ですからここでも選挙があるかもしれません。
問題は、支部長選挙ですが、本当に支部長として活動をしてやろう思われる方が支部長に立候補すれば良いのですが、そうでない方が立候補して当選すれば大変です。私が、立候補所信で書いたようなことが起こるかもしれません。通常対抗馬が出る場合、現支部長の支部運営がうまくいっていない場合が多いはずです。このような場合、支部長が変わり支部役員が入れ替わってもうまく事でしょう。これを書きながら通常の場合は、問題ないように感じてきました。失礼しました。問題は、引継ぎがうまくいくかどうかですね。
いずれにせよ、今後JARL執行部の理事が選挙制度を改革すると思います。問題の起きない誰でも分かる制度にしてもらいたいもです。
私の思うところを書きました。
大阪府支部支部長に立候補しました JR3QHQ 田中 透です。
結果として、無投票当選となりましたが、所信を書面で述ます。
所 信
1、開かれた大阪府支部にします。
2、池田市にあるJA3RLを中心としてベテランから初心者までが集える支部にします。
3、ロールコールやインターネットを通して情報を発信します。
4、青少年などの新しいアマチュア無線家を増やし育成をします。
5、一般他団体などと連携をし公益性をめざす法人にふさわしい活動をします。
6、メディアなどを通じてアマチュア無線のPRをします。
上記の所信を元に現在まで支部運営を行ってきました。結果は、どうだったか振り返りたいと思います。
1、「開かれた支部」については、通常クラブ代表者会議は、登録クラブの代表者か連絡者などがしか出席できませんでした。しかし「開かれた支部」をめざし、一般の会員のみなさんもオブザーバーとして出席できるように致しました。また、多くの方にご参加して頂くため、QSLカードの転送サービスも実施しております。
2、「JA3RLを中心に」については、定期的に公開運用を行いそこから多くのアマチュア無線家が新たに加わりました。また、会員の要望に答え、最高電力を1KWに、またEMEが行えるようにV/UHF・SHFの出力を上げました。現在も多くの方がJA3RLや記念局等の運用に来られています。
3、「ロールコールやインターネット」については、非常通信の為のロールコールを月一回実施している他、OSAKA25のメーリングリストを立ち上げ会員に情報の発信などを行っています。
4、「青少年などの新しいアマチュア無線家」については、関西ARISSプロジェクトチームを支部役員中心に発足させ関西で多くのARISSスクールコンタクトを実施成功させてきました。また、JA3RLの公開運用では、昨年2013年8月から「こども無線教室」を地元のNPO支援団体と共催で開催しており現在、3名のヤングハムが誕生し多くのアマチュア無線家を目指す子供たちがこの「こども無線教室」に参加しています。今後もここから多くのヤングハムが誕生する事でしょう。そして私たちは、そのこどもたちをバックアップし行きます。
5、「一般他団体などと連携」については、関西アマチュア無線フェスティバルやARISSスクールコンタクトなどの事業を通じて、一般団体のみならず公的機関や企業まで幅広くご後援、協賛を頂き連携をとり公益事業を行っています。
6、「メディアなどを通じて」については、コミュニティーFMやケーブルテレビなどに出演しアマチュア無線のPRを行っています。今後も各種事業を通じ、広くメディアに情報提供を行いアマチュア無線のPRに勤めます。
さて、これからの支部運営・JARLの今後ですが、支部運営につきましては、今後もいっそうより開かれた支部を目指し、多くの会員に興味を持っていただき、ご参加頂ける支部にしたいと思います。たとえば「おもしろそうやからちょっと見に行こか」と会員が思えるクラブ代表者会議をめざします。
現在支部が、行っているクラブ代表者会議ですが、クラブの関係者以外に大阪府支部会員であれば何方でもオブザーバーとして出席できるようにしています。許可があれば、意見も出して頂けます。多くの大阪府支部会員の出席を期待しています。
技術講習会につきましても多くの方の意見を聞き、多くの会員が参加したいと思う技術講習会を考えます。ただ、JARLは一般社団法人ですが公益性をめざしている法人です、会員に対する事業ばかり行う訳には行きません。公益事業も行います。そして、一番重要なのがクラブです。支部運営はクラブの協力、支援で成り立っています。
しかし、最近は、一般にアマチュア無線クラブの衰退が激しいように感じます。これを、何とかする必要があります。支部でも今後クラブの活性化について力を入れて行きたいと思います。支部の活動は、支部役員だけではできません。登録クラブの協力や一般会員の協力が必要です。みなさんも、時間が許す範囲で様々なご協力をお願いいたします。
支部は、JARLの活動の中心です。JARL執行部は、その方針を考え、打ち出し、支部を支援する。それを、実行するのが支部です。その支部活動を支援するのが、登録クラブであり一般会員です。
大阪府支部は、現在のところうまく機能していると私は、考えます。こども無線教室でも多くの登録クラブメンバーや一般会員の方の協力で開催が出来ています。また、関ハムも同じです。徐々にですが、JARLから恩恵を受けるだけの会員ではなく、公益法人としてふさわしい考えをもった会員が増えてきていると感じます。
多くの会員が、趣味としてのアマチュア無線を楽しみながらちょっと時間を作って、アマチュア無線家を誕生させ、育成してく活動をして行くことを望みます。このちょっとした、活動がアマチュア無線のPRにつながりJARL会員が増えていく事に繋がると思います。
JARLの今後について
今までの懸案であった、TSSの問題や会費前納者会員(終身会員)の問題は、一応解決の方向に向かっています。また、事務局の移転もその一つです。財政は、良い方向に向かっているいると考えます。
今後、すべきことは、会員のQSLカードの意識改革が必要だと考えます。現在は、たとえばコンテストでの交信では多くの会員がQSLカードの発行を行っています。私もそのうちの一人です。QSLカードは、本当に必要な場合のみ交換すると言う意識改革が必要です。転送枚数が、減れば島根のビューローに支払うお金が減ります。
それに加え電子QSLの推進です。最近海外では、だんだん紙のQSLカードから電子QSLカードに移行しつつあります。この意識改革は、数年掛かると思いますがJARLが推進していく必要があると思います。
次にJARL NEWSです。PDFにして送ればと言う意見がありますが、現在でもすぐにPDFに出来るようです。1つの考えとして可能であれば推進していくことが必要でしょう。毎月にすればページも減り可能かもしれません。ただ、インターネット環境をお持ちでない会員をどうするかが問題になってきます。
現在理事会が、変更を加えようとしているのが監査指導の問題です。支部では、すでにこの監査指導を問題視して監査指導委員と言うのを廃止しています。その変わり、新しいアマチュア無線家育成のためにニューカマーアドバイザーとして名前を変更し、従来の監査指導も一部引き継ぎながら新しいハムを育てるための活動として位置づけています。さて、理事会は、どのような結論を出すのか興味があるところです。
次に理事会が、かえようとしている制度は、選挙制度です。みんさんご存知のように現在の選挙制度は、大変不可解です。この制度を、知ったとき地方本部の役員全員が実は、疑問を持ちました。「この制度は、おかしい。こんな制度は、今まで見たことも聞いたこともない。」と言うのが大半の意見でした。さて、この制度どうなりますか?
規定では、支部役員は、支部長が指名するとなっています。私が支部長になる前は、宮本支部長の下、支部役員でした。そのため支部長が交代した時は、大変スムーズに引継ぎができた結果、現在の大阪府支部があり、関ハムがあります。支部運営は、多くの方やクラブの助けが無くては行う事が出来ません。
選挙で今まで全く関わりのない支部長が、選ばれたらどうなるでしょう?支部長が、支部役員を指名する訳ですから、現在の役員は、すべていなくなります。そして、支部運営に関わったことがない役員が誕生します。たぶん、選挙でまえの支部長は、負けた訳ですから引き継ぎなど心情からしてありません。当然、混乱が起こります。支部長の選挙制度にも疑問が出てきます。 ただし、新しく役員が決まり、引継ぎがうまく行けば問題ないのでしょう。
地方本部にも同じことが、言えます。支部長が、無投票で当選し、支部長が推薦しない地方本部長が当選すればどうなるでしょう?支部長達は、本部長の言うことを聞くでしょうか?支部長も人間です。自分の意思を殺して民意で選ばれたのだから仕方がないとついていくでしょうか。会社なら仕方なくと言う事は、あるでしょうけど一般社団法人です、言い換えれば趣味のボラティアの団体です、ついて行かなかやめるだけです、そうなると支部や地方本部の運営も出来なくなります。「何を、言っているのだー。そのような事は、織り込み済みで支部長になったのでは、ないのかー」と言われる方もおられるかもしれませんが、JARLの執行部も支部長もその役員も、趣味のアマチュア無線を楽しみながら無線の活性化にちょっとでもプラスになればと活動しているわけです。嫌な思いまでして活動を続ける様な事は、ありません。そこまで責任を科せられるといずれ誰もいなくなるとこでしょう。そのような事がないのは、全国理事だけです。地方本部長の選挙も疑問が残ります。
上記で書いたことは、他エリアで多く発生し支障が出ているのは、事実です。
様々な柄について、書きましたが、これらの事柄を実行して行くつもりです。これをもって支部長の所信とします。読んで頂き、ありがとうございました。どうか、よろしくお願いいたします。
2013年夏に網膜裂肛を発病した時、左目の左端(網膜裂肛・剥離を起こした場所)に盛んに妙な光を感じていた。
今覚えば、これが光視症と言う現象で、網膜に穴が空くまえの現象だった。
ネットで調べればすぐに出てきたのだが、それを見ることはなかった。
ネットでは、あまり気にしないで良いと書いてあるが、約20%の人は、これにより網膜裂肛や剥離が起こるらしい。
私は、それにはまってしまった。なりやすい人は、子供の頃から近視の人で私は、それに当てはまる。
子供の頃から近視の人は、網膜が薄く敗れやすいらしい。
この光視症と言う現象は、加齢により目の中の液体がジェル状からさらさな水の状態に変化する、その時
網膜とジェル状の液体の癒着が強いと、変化するとき網膜を引っ張ってしまう、その時そこの刺激が脳に
伝えられるが、脳では、それを光の様に感じ閃光が一瞬走るこれが、光視症と言う現象。
通常は、引っ張られても網膜が敗れることも穴が開くこともないが、私のように網膜が薄いと敗れたり、穴が開いたりして
網膜裂肛や剥離になってしまう。
小さい時から、近視の人は、気をつけたほうが良い。ただし、予防方法は、ないらしい。
妙な光を頻繁に感じたら、網膜裂肛や剥離がやがて起こると思った方が良い。
これらの病気は、早期発見・早期治療(手術)でほぼ元にもどる。
私が、網膜剥離を発症したのが2月2日(日)の午後5時、この時すぐに医者へ行くことは、考えなかった。
それは、明日からずっと休んでいたトラックに乗る仕事が始まるのと次回の診断が、2月7日に決まっていたので2月7日しか行く日がないと
考えていたから。
ところが、午後6時ごろ乗務員から電話で耳の調子が悪いので病院へ行きたい、明日の仕事休みたいと言ってきた。
これは、大変と明日の段取りをもう一度組み替えて、この乗務員の仕事を私がすることにした。
月曜日、この乗務員の仕事をしていると、乗務員から電話で、病院が終わったので出勤すると言ってきたので、ころの良いところで
仕事を替わった。
ここが、偶然と言えば偶然で、私は、予定外の時間を作ることができた。
この時間を有効に使うてはないと、早速、目医者へ直行。
これが、良かって、次の日の緊急入院、緊急手術になった訳です。
もし、そのまま仕事を続けていて予定通り7日に目医者へ行っていれば、剥離が黄斑まで進み、完治しても元通りに視力は、戻らなかった
でしょう。
また、車を運手していると左目の視野欠損は気にならなくなりこのまま放置しても行けると考えてしまうこともありました。
これが、大きな間違いなのです。
気にならなくと言うのは、その欠損を右目が補っているからで、良くなった訳ではありません。
私の目は、偶然とちょっとした行動で最悪なケースをまぬがれたと言えます。
ただ、現在これで完治した訳では、ありません。まだ、ガスが残り再剥離の可能性は、十分あります。祈るのみです。
多くの目の病気に掛かり多くの体験をしました。まだ、左目は、上の方しか見えませんが、日に日に見えるようになっています。
そのひとつ一般的な白内障について書きます。
白内障の症状は、ネットで検索してください。ここでは、手術について書きます。
目の手術と言うと怖がる人が多くいます、私もその一人でしたが開き直って執刀医の先生を信用することが大事です。
手術当日は、まな板のなんとかに徹して動かずじっとしていれば、耐えることができます。
白内障の手術自体は、片目で約10分で終わります。10分間動かず我慢していれば終わりです。
痛いのでは、と思われるとでしょうが、痛くありません。麻酔は、点眼麻酔ですので痛くありません。
ただ、目をゴリゴリ触られている感じはあります。そして見えるものは、眩しいほどの光だけです。
時々、何やら見えますが何か判断は付きません。虹色の光も見えます。これも時々。
手術で何をするかですが、目の水晶体を取り除き人口の水晶体を入れるのが、白内障の手術です。
簡単に言えば、一生使えるコンタクトレンズを目にいれると言う事です。
白内障の手術の前に医者からこんなことを言われます。
「田中さん、入れるレンズどうします?田中さんの今のメガネの度数は、6だから3ぐらいにしときましょか。」
「えっ、先生どういう事ですか?」「目に入れるレンズ本人の意思で自由に選べるのです。レンズによっては今後メガネ無しの生活もできますが
そうすると、老眼がキツくなるのでかえって不便ですので田中さん場合だと度数3くらいにしておけば遠くも度数の軽いメガネで見る事が
できるし、近くもメガネを外せば見えます。」「へー、そうなんですが、じゃぁ、3でお願いします。」と言った会話になります。
手術は、日をおいて左右2回行われます。術後、1日で眼帯がはずされ1週間くらいで視力が徐々に回復していきます。目薬は、2ヶ月ほど
必要ですが、おどろくほど視力が良くなります。現在、私のメガネは、度数2.5です。でも、これは、中間点の度数です。1ヶ月ほどするともっと良くなる
らしいく、もう一度メガネのレンズを交換する必要があります。術後1ヶ月か2ヶ月で視力が安定するらしいです。
白内障の手術は、そんなに怖くないと言う話でした。
病院での生活、朝昼晩の食事と1日3回の点眼(3種類)に朝...早くの診察。これだけ。診察は、瞳孔を開いて眼底を見ること。
点眼は、1つ点眼すると次は、その5分後。3つするのに10分かかる。
気をつけること、目にバイキンを入れないこと。衝撃を与えないこと。
あとは、ガスが抜けるのを待つのみ。通常、1週間でガスが半分ほど抜けるらしいが、私は、1週間経っても7割程度しか抜けていいない。
現在の見え方、眼球の下に水が溜まっている感じ、ものはぼやけて見えるがゆらゆらしている。
本来なら、まだ1週間入院ですが、強制的に退院させてもらった。
前回の手術の時もそうでしたが、ネット検索すると麻酔の時が一番痛いとあちこちに書いてありましたが、2回とも全く痛くありませんでした。
「はい、右上見て左上みて・・・麻酔終わり、麻酔効くまで待とかー」 「さぁ、始めよかー」「先生の顔がメチャ見える・・・」「麻酔足らんかなぁ・・・足
しとこ」目に眩しい光がさして、だんだん暗くなる。この時、右目にも点眼の麻酔もされる。
これは、右目も麻酔することによって目の動きを封じるためらしい。
手術中、右目も開けたまま。「左目に器具を装着するよー」何やら触られているのが感じるが痛くない。
左目は、真っ暗で何も見えないが、時々オレンジ色の光を感じる。
この手術は、白目に3つ穴を開けそこから細い器具を眼球の中に入れ眼球の中の液体を抜き剥離の原因の穴をレザーで焼いて穴から液体を
侵入させない手術。
その後、特殊なガスを眼球に注入しその圧力で網膜を抑えて剥離を止める。眼球の液体を抜くのに時間がかかるらしい。
初めての手術の時は、白内障の手術も同時に行うが、私の場合は、すでに白内障の手術をしているのでそれはなし。
なにやらポンプが作動している音が聞こえる。たぶんすでに3つ穴が開けられ器具が眼球の中に入っている。
3つ穴の内訳は、眼球の中を照らすライトと眼球の中を見るカメラ、それにたぶん液体を抜くポンプに穴を塞ぐレーザー(たぶん共有)4つ
かもしれない。
眼球の液体を抜いている間に、網膜剥離の穴を探している様子。「あっぁ、あった。もう一つある。ここにもあるかもしれない。なっぁ、あったやろ。
これや。」先生が、助手の先生に話しかけている。「そうですね、ありましたねぇ。」私は、じっとその会話聞いている。
見えるものは、ポンプの針先のようなもの、目の中をウロウロしている。
そのうち、「先生、失礼します」と若い人の声。「おっ、お疲れ」と先生。どうも数人のインターンがいたようだ。手術中に帰って行きました。
他に聞こえる音は、心電図のピッピッピッと鼓動の音。時々、右腕に装着された血圧計が腕を締め付ける。
左手には、点滴と血流の酸素図る器具が付けられいる。この手術、頭を動かさずじっとしているのが、私の仕事。
何やら、頭の後ろがじっとしているため痛くなってきた。ちょっと動かしたい気持ち。感覚で、眼球の液体が抜き取られたのを感じ。
「先生、ちょっと頭が痛いので動かしたい」と告げる。「よっしゃ、ちょっとやめよ。うごかしてもいいでー。」「はい」「ええかー」「じゃぁ、続き始めよ。
田中さん、8割終わりもうちょっと」いよいよレーザーで穴を塞ぐ。
緑の光線が目の中を何回も走り回る。後で聞くと608回。ガス注入。
「はい、田中さん、終わったで。4つ穴があって全部塞いだ。後、穴が飽きそうなのが4つあった。これも攻めといた。
網膜裂孔の手術したのは、誰や・・・。」ちょっと意味ありげな言葉・・・。「・・・・」・・・・・「先生、ありがとうございました。今度、右目もお願いします。」
「まだ、剥離してへんのに・・・」
2013年の夏から現在までに表記の目の病気を立て続けに患ったのでその経緯を、ここに書きます。現在も左目は、ガスがあり見えません。
去年2013年の夏、左目がしょぼしょぼするので目薬でしのぐ。
8月1日、左目の左下が一瞬黒くなったのを発見。
2日に目医者へ、網膜裂孔と診断、9日、レーザー手術。この手術は、瞳孔を開き外からレーザーをあて、網膜の裂け目を焼きそれ以上広がら
ないようにまた、そこから眼球の液体が網膜と眼球の隙間に入らないようにするものです。手術時間は、10分程度で日帰りで受けることが
できます。
ところが10月頃、左目の真ん中に黄色の点が現れる、仕事が忙しいので放置。
左目の視力が日に日に落ちていくのが気になり12月26日、眼科へ、黄斑前幕と診断。翌年2014年1月17日阪大病院へ、すぐ手術を勧められる。
1月24日手術・入院。この時、阪大病院は、満室で兵庫県の総合病院へ入院・手術。執刀医は、阪大の先生。
同時に両目の白内障の手術も、これは、必ず白内障の合併症があるので同時に行うのが通例らしい。
29日に退院。31日に通院で視力が戻り黄斑前幕の治療終了を告げられる。
2月2日午後5時、左目の上が、真っ黒に・・・。
可能性があると言われていた網膜剥離を疑い、3日、眼科へ、自己診断通り網膜剥離と診断される。
2月4日、阪大病院へ、緊急入院、5日緊急手術。
執刀医も不明、時間も不明、とりあえず5日に手術だけが決定。
結局、黄斑前幕の時の先生が執刀することに。
手術室での会話「先生、また来ました。」「そうやね、がんばろうね。昨日までサンフランシスコにおってん。メール見てビックリしたで。手術時間、
穴がすぐ見つかったら45分、見つかれへんかっら1時間ね」「ほんだらはじめよかー。麻酔するよー」