QHQの独り言

アマチュア無線局JR3QHQが日々思う事を掲載します。

デジタルタコグラフ

2005年02月28日 19時04分37秒 | Weblog
以前にも書きましたが、会社で実験的にトラックに付けているデジタルタコグラフの結果が出ました。
これは、ドライバーが適正な運転をしているかどうかを機械が読み取り適正でない場合は、音声によって警告し、その運転状況を記録できるシステムです。

私は会社役員をしていますので、どの乗員のトラックにこれを付ければどんな結果が出るかある程度把握してこのデジタルタコグラフを付けるトラックを選びました。
簡単に言うと、無駄のある危険な運転をしている可能性がる乗務員が乗っているトラックに付けたと言うことです。

仕事の関係上、同じ仕事で1台のトラックに昼勤と夜勤で2名の乗員が乗っています。
これで、2人の乗務員の運転状況が読み取れる事になり、比較対照としては、大変よいデータが手に入ることになります。

取り付けて最初の1週間は、音声警告の無い状態で運転記録のみを記録、次の週は音声警告をつけて記録し、データを比較しました。

なんと、そのデータを見てビックリです、ベテランで安全運転をしているだろうと思っていた乗務員の運転データが、どれをとっても無駄が多く危険な運転と出で、危険だろうと思っていた乗務員のデータの方が良かったんです。全く当てが外れました。

とうぜん、乗務員にデータを見せ自分の運転がいかに無駄で危険な運転をしているか教え無駄の無い安全な運転をするよう教育しました。
このデータが、誰が見ても無駄で危険とわかるくらいきめ細かく出ているものですからその乗務員も言い訳も出来ないすばらしいデータです。

その乗務員は、自分の運転が無駄で危険と思わず長年運転してきたわけですからショックだったでしょう。
しかし、ベテラン乗務員です、自分の非は認め、現在はどのデータを取っても無駄が無く安全な運転に変わりました。

燃費も著しく良くなり、1ヶ月3万円も安くなりました。(と、言う事はもっと早くわかっていればもっと会社の経費を抑えられた事になります。これは、私が悪いのでしょう。)

デジタルタコグラフは、トラックが乗務員を管理するようなシステムですが、これが多くのトラックに取り付けられればもっと環境にやさしいトラックになり、トラックのイメージが良くなり、いまよく言われるCO2の削減も出来るでしょう。

トラックが乗務員を管理すると言うことですが、考えてみればジェット機だってパイロットが危険な操縦をすれば、警告音がでてコンピューターがそれを制御しますねこれと同じと言えば同じですね。

でも、人間1人1人が、すべてのものに心がければこんな事はせずにすむのでしょうが・・・・
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風邪をひきました

2005年02月28日 18時00分04秒 | Weblog
先週から、ずっと微熱があり家族からは「スリランカで変な病気貰ってきたのかも」と言われています。
家内はとこもかく子供も近寄ってきません。
これで、約1週間この状態が続いています。たぶん、2・3日前くらいから咳と鼻水が出てきたので風邪だろうと思っています。
今日は、熱が下がり回復に向かっているようです。(少し安心)
今日の夜は、大好きなお酒が飲めそうです。

微熱ですのでじっと寝ている事がなく、仕事はともかく土曜日のARISSスクールコンタクトのアンテナ建てや、日曜日の夕方の大阪府支部の研修会にも出席して、無線のお友達に風邪の菌をばら撒いて来ました。

みなさん、ごめんなさい。
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兵庫県・大阪府支部合同クラブ代表者会議

2005年02月25日 16時42分33秒 | 大阪府支部
大阪府支部では、理事会が行われた次の週に出来るだけクラブ代表者会議を行っています。
いつもの流れは、理事会が行われた次の週の土曜日に地方本部会議、ここで理事会報告が行われます。
その後、日曜にクラブ代表者会議を行い理事会・JARL本部からの情報を伝えるというスケジュールになっています。
地方本部会議では、理事会資料が各支部長に配られ、それに基づいて本部長から細かく理事会の報告があります。
本来なら、理事会の報告は会員に議事録と言う形で報告されなければならいと思うのですがJARLはありません。
ですから、口頭で伝えると言う方法を取っています。

今回は、明日から理事会ですので、3月5日が地方本部会議です。
そして3月6日にクラブ代表者会議を行います。
3月6日のクラブ代表者会議は、関ハムがありますので兵庫と大阪合同で行う事になっています。
合同で行うと、会場費も安くなります。

本来なら、すべての会員に理事会などの情報をお知らせする必要がありますが、会場などの関係から難しいところです。

何かよい方法を考えたいと思います。
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JARL義援金について訂正

2005年02月24日 19時41分08秒 | アマチュア無線
先ほど、「JARL内部に詳しい方から電話があった」と長谷川さんから連絡がありました。
内容は、あのJARLの義援金の事でしたあの義援金は、10年前に作られた「基金」と言う事のようです。
私達は、長谷川さんが言うように海江田専務から阪神大震災のときの「義援金」が残っていたからそのうち20万円を持っていってほしいと言われたのでそれはおかしいと言う事になったのですが、海江田専務は、そのとこを全くご存知なく「義援金の残り」と思い込んでいたと言う事のようです。
ことの発端は、海江田専務ですが海江田専務の言葉を信用し間違った事を書きましたので訂正します。

その真意を海江田専務ご本人から教えていただければよかったのにと思います。

なを、過去のこの件についてのプログも訂正します。
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JARL NEWS隔月の弊害

2005年02月23日 17時15分09秒 | 関ハム
ご存知の様に、私は関ハムのスタッフをしております。
昨年は、JARLの総会と言うことで実行委員長などというポストに祭り上げられてしまいましたが今年は、関ハムの事務局を担当しております。
私の仕事は沢山ありますが、その一つに関ハムのPRがあります。

JARL NEWSやCQ誌などにPR原稿を送りそれを載せてもらうように交渉する仕事です。
ご存知のようにCQ誌には、毎年カラーのページで関ハムをPRしてもらっていますが、今年も当然のごとくCQ誌に関ハムのPRをカラーのページに載せてもらえるよう電話でお願いしました。
ところが、今年は二つ返事でOKが貰えませんでした、理由を聞くと、JARL NEWSが隔月になりJARLと名のつくイベントやその他のお願いなどは、CQ誌の通常のところにはに載せずに後ろの緑色の部分(FROM JARL)に載せると言う取り決めになっためと言う返事が返ってきました。

取り決めは、こうなっているようです。
地方本部・支部などのイベントについては、FROM JARLに載る為、記事が重複するのでCQ誌には載せないと言う事のようです。
重複するなら、しないように載せればという事になりますが、それがダメなようです。
私にとっては、寝耳に水です。(こんなところに、JARLのPR不足が出来ています。)

さて、ここで問題が生じます、確かに会員専用のイベントなどはJARL NEWSなどに載れば基本的にPRは出来るでしょう、しかし、関ハムのようにすべてのアマチュア無線家そして一般の人をターゲットにしているイベントにまでこの取り決めを当てるのは、納得がいきません。
これでは、関ハムのPRはJARL会員にしか出来ないことになります。
FROM JARLは、会員専用ページですから、CQ誌を買ったJARL会員でない人は、重視して見ないでしょう。

CQ誌側からは、事情はよく理解できるので考えると言うことでいろいろ思案していただき、やはりカラーページでのPRは、JARLとの取り決めがあるので無理でが、譲歩して記事とう形で載せるのは可能と言う結論がでました。
CQ誌には、いろんな形で融通を利かせていただき感謝しますが、JARL NEWSの隔月発行がこんな所で弊害を起こすとは思いもよりませんでした。

取り決めには、地方本部・支部のイベントとなっていますのでハムフェアーは本部のイベントと言うことでCQ誌には載るのでしょう。

JARL理事さんもなんでもかんでもJARLと名のつくものは、FORM JARLでと言うことでなくて、そのイベントの特性を考え会員以外にもPRが必要なものは、CQ誌に載せるようなことを考えてはどうでしょう。?
この前行われた「西日本ハムフェアー」だって一般の人にPR出来るとても良いイベントでしょう。

今年の10月からは、JARL NEWSは、年4回のみ発行になります。
その為、JARL HPやCQ誌のFROM JARLをもっと活用させると言う事のようですが・・・
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池田市民ARC・自作名人激集合

2005年02月21日 17時18分38秒 | アマチュア無線
昨日は、私の所属クラブのイベント自作名人激集合の参加しました。
私自身ほとんど自作しませんので、作品を持って参加とはいかず手ぶらで冷やかし参加でしたが・・

でも、みなさんは、すばらしい作品を持ってこられそれぞれ自分の作品を3分以内で自慢すると言う試みは面白かったです。
3分経つとブザーが鳴り、途中でもそれで終わりとなりますので、必死で自慢されていました。
それが終わるとそれぞれ気になる作品のところへおもむき自作談義に花が咲いていました。
コンセプトは、日の当たる和室で虎屋の羊羹を食べながら時間を気にせずだべるです。
昨日は、寒かったですが晴れていましたので十分その目的は達成されたでしょう。
私も楽しい1日を過ごしました。
羊羹は、工学系よろしくものさしでミリ単位まで計り均等に切ってありました。
このあたりが、面白いところです。
私は、文系ですので適当に切ってしまうのですが・・・

アマチュア無線家の本来の姿を見たような感じがしました。

来年も楽しみです。

私は、はんだ付けの練習をする必要がありますが・・・
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記念局について

2005年02月18日 17時37分12秒 | アマチュア無線
先日の日曜日は、関ハムの実行委員会でした。
いつもの池田市民文化会館で行われたわけですが、雑談の中で記念局について聞いてこられました。

以前(役員などしていない時)私も記念局の開局について、JARL事務局に問い合わせしたことがありますが、その方法について教えていただけませんでした、最終的には、JARLでしか記念局は開設できないあなたのような人は無理と言う結論で終わってしまいました。
その後、役員になりいろんな人から話を聞いてそんなことは無い、JARL以外でも記念局は開設できると言うことを知りました。

ちょうど以前の私と同じような感じです。

記念局の開設は、二通りあります。
一つは、JARLにお願いしてJARLの記念局として開設する方法と、もう一つは**記念実行委員会とかの任意の団体を作り、直接地方の総通へ申請する方法です。

JARLにお願いして記念局を開設には、まずその地域の支部長に開設を問い合わせしそこから地方本部長の許可を得て、理事会に上程され承認されてはじめて総通に申請が上がります。
この場合、申請はJARLの運用課が行いますので、開局申請は必要ありません。
ただし、**記念という記念局ですので、たとえば市制施行**周年記念局の場合、かならずその市の後援が必要になります。
また、申請はやはりその地域の地域クラブが主体になりますので、誰でもと言うわけにはいきません。
また、運用に当たっては、JARLの記念局ですので独り占めでの運用も出来ないでしょう。
制約が、多くあります。
運用日程が終われば、理事会へ報告をする必要もあります。

もう一つの方法のJARLを通さないで直接その地域の総通に申請をする場合ですが、個人では無理でしょう、やはり**記念実行委員会と名のつく任意団体をつくり、上記と同じように、市制施行**周年記念局の場合、かならずその市の後援が必要になります。
それと、**商店開店**周年とか、**クラブ開局**記念などの記念局の開設できません。
やはり、公共性のあるものに限られます。
その方法は、任意団体を作り、後援を貰う、地域の総通にクラブ局の開局届をだす。
まず、総通に直接行き、説明していただくのが良いでしょう。
この場合コールサインは、8Nか8Jでその記念にちなんだものであれば任意に決められます。
免許が下りれば、通常通り運用すればよいだけです。
JARLの局のように制約はありません。
それと、JARL会員にならないと、QSLの転送はしてもらえません。

ただ、記念局は、すべてJARLの局だと思っていおられる方が沢山いらっしゃいますのでPRが必要です。

参考になったかどうかは、解りませんがそんなところです。
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うわさ話とこれまで言えなかった事

2005年02月15日 18時20分04秒 | 大阪府支部
スリランカに一緒行ったと言うより付いていった長谷川さんのHPに今まで控えていたとがすべて出てきましたので一緒に行った当事者としてここで書きたいと思います。
長谷川さんは、あのように言っているのに一緒行った人は何も言わないでは、「長谷川さん1人が言っているだけじゃないか」になってしまいます。

正直言って今回のスリランカ行きは、いろいろうわさ話が耳に入ってきました。
それも、スリランカに行っている間に・・・
事の発端は、TRCで偶然BHNの堤本さんに会ったのが原因のようです。
彼が、日本に帰りJANET-MLに報告をした内容が言葉足らずだったのであらぬ噂があちこちに周り挙句の果てに「我々は、スリランカにDXペディションに行ったそれも被災地であるゴールへ」と言う話にすり替わっていました。
おまけに、差別と思わせる言葉も入っていました。その言葉は、「TRCで韓国人のような人に声をかけられた。」と言う内容です、原文は、「日本人のような・・・」です。
その内容を聞いてほんとにあきれ返りました。
なぜ、こんなことになってしまうのでしょう。
私も、10年前の阪神大震災の時少なからず被災しております、宮川さんの家は被災地の西宮市です、お分かりと思いますが、今回スリランカへ行った3人は、あの地震を経験しているのです。
事情を知っている人からは、「QHQ、なんでもっと抗議しないのか」と言われました。
たぶん、この話は大々的にネットでは出ていないと思いますのでこれを見られた方は何の話?と首を傾げられると思います。でも、その筋のMLでは、流れているようです。いろんな人からその情報を貰います。
私は、その前にそのうわさ話の誤解を解くために帰ってすぐにこのプログにスリランカ報告を書きました。
このようなうわさ話・誤解は早く説く必要があったからです。
でも、まだこのうわさ話は、東京あたりでは本当の話に変身して出回っているようです。
どうすれば、誤解が解けるのか思案しております。
もし、皆さんがこのような話を耳にすることがあれば是非「そんなことは無い」と言ってください。そしてこのプログを紹介してくださいお願いします。

それと、言えなかった事ですが、JARLの金庫に10年間眠っていた阪神大震災の時の義援金160万円です。
この話を聞いて、あきれ返りました。
宮川さんも、ふだん温厚な方ですが「怒りを覚える」と言っておられました。

実際、我々はその義援金も持って行きました。
専務からRSSLの領収書を貰ってきてくださいと長谷川さんは言われたようです。
義援金の領収書を貰う?そんこと聞いたことがありません、確かに銀行などに振り込めば証明は出てきますが直接渡して「すいません、領収書ください」とは言えません。
10年間も160万円を隠しておいて、いざ使うとなれば生真面目に領収書をもらえは無いでしょう。
私達は、その代わりRSSL会長のヴィクターからJARL会長宛の礼状を書いていただきました。

今回JARLは、義援金募集はしないと言う方針を撤回して現在、募集活動を行っていますが、この160万円の隠し金のことは、さすがに出てこないだろう考え、今回募集している義援金の中に160万円をもぐりこませ闇に葬る考えも見え隠れしています。

この160万円については、会員が納得のいく説明をJARL幹部(会長と専務)からしていただきたいものです。
たぶん、総会の時のようにのらりくらりの説明になるに違いありませんが・・・・


上記の削除部分については、誤りですので削除しました。

長谷川さんのHP
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JARL 海江田専務理事からの手紙

2005年02月11日 10時08分14秒 | 大阪府支部
昨日、家に帰りますと海江田専務理事から各支部長宛の手紙が届いていました。
個人名でなく各支部長宛ですので内容は、会員に公表すべきものと考えますのでここでそして大阪府支部のクラブ代表者用のMLにも流したいと思います。

この手紙の内容は、スマトラ島沖の地震・津波についての救援募金に関するものです。

地震・津波が発生してJARLとしてどのように行動を取り現在の募金活動に至ったかを説明し、最後にお詫びと募金活動の協力をお願いしています。

その内容を要約しますと、地震・津波が発生してすぐに、関西地方本部長から専務宛に救援募金活動を行うべきだと提案がありました。
しかし、JARLとしての募金は行わないと専務は本部長に伝えています。

ところが、世界各地から救援の各種動きがあり支部の集いなどで募金活動が行われJARLに託され始めたことから周囲の状況を勘案し、急遽JARLの救援募金を立ち上げたと言うものです。

最後に、「このような経緯で当初の方針が変わり、早くから募金の提案やご要望を頂いた向きには、困惑を招くなど、ご迷惑をおかけしましたことを、お詫び申し上げます。募金を行うに至りました経緯をお伝えしますとともに、募金へのご協力を宜しくお願い申し上げます。」と締めくくっています。

私は、この経緯を早くから知っていました。
地震・津波が遭ってすぐに、本部長から電話があり「救援募金活動を行う必要がある、事と次第ではすぐにスリランカへ行く事も考えられるが、JARLは何もしないと言っている、理由は、前例が無い為と言っている。海江田さんは、何を考えているのか・・・」と言う内容と「JARLが何もしないなら、我々だけでも救援募金活動をしよう」と提案がありました。
その結果、我々に出来る範囲内で行うとして、毎年スリランカへ行って向こうの局にお世話になっているのでスリランカに中心を置き支援していこうと、スリランカへ行ったメンバーを中心に募金活動をして直接彼らにそれを届けようと、先日のスリランカ行きとなったのです。

私も、話を聞き、前例が無い為募金を行わない!、どこかの役所がよく使う言葉におどきました。
10年前の阪神大震災の時は、募金活動行わなかったのでしょうか?あれれ・・・?
ご存知の方、教えてください。

実は、この話はここで終わり、我々は、独自で募金活動を行っていました。

しかし、突然何の説明もなしにJARLは募金活動を行いHPにその内容を載せたことによって、我々に募金をしていただいた方が、困惑するのも当然ですし、我々も困惑しました。

JARLが、率先して募金活動を行うのが常識と言うものです。
各支部も当然JARLは募金活動を行うものと信じて、ハムの集いなどで募金活動を行ったと思います。
支部長に直接義援金を持ってこられた方もあると聞いています。

結局、JARLは(この「JARLは」と言うのは通常組織全体を指すのですが今回は、もっともっと役職のある方を指します。お間違えの無いように)何もやりたくなかったのに周りからやるのは当然と責められて仕方なく募金活動を行ったと言うことでしょうか。
その様にしか見えてきません。なぜ、関西地方本部長から提案があったときすぐに「やりましょう」と言えなかったのでしょうか。?
不思議に思います。

話は、ここだけでおわりません。皆さんは、JARL HPをご覧になっていたでしょうか。
地震・津波発生当初から、被災国のアマチュア無線家が非常通信を行っていました。
いち早くそれを察知した、アメリカやその他の国の連盟のHPには、その周波数を告知しその周波数付近で通常運用をしないように呼びかけていました。
JARLのHPには、全くそれが掲示されませんでした。
おりしも、震源地に近いアンダマン諸島では、大きなDXペディションが行われいてましたが、急遽ペディションを中止し、非常通信に切り替えたのです。
当然JARL幹部もそれを知っていたはずです、なのに誰かに言われるまでそれをしませんでした。
これも、募金とまったく同じです。

いったい、JARLはどうなっているのでしょうか?
自分から何も出来ない、他の誰かに言われるまで何もしない・・・

何はともあれ、現在JARLは募金活動を行っています、是非ご協力お願いします。
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スリランカ番外編

2005年02月10日 18時34分14秒 | アマチュア無線
やっと、書き終えたところで番外編です。

観光旅行に行ったわけではありませんが、男3人旅です旅行での思ったこといろいろと書きたいと思います。

まず、シンガポールで5時間待ち時間があったわけですがここで目に付いたのが、自動小銃を持った警官でした。昨年行った時は、警官は一人も見ませんでしたが、今回はあちこちにいました。
何かあったのかと思わせます。

シンガポールのチャンギー空港には、あちこちにインターネットスポットがあります、そこでE-QSOをトライしたところ簡単に繋がりました。
もし、行かれるときは、試してみてはいかがでしょう。
この時のコールサインはどうすれば良いのでしょうか、困りました。
宮川さんのPCだったのでJA1CJA/JR3QHQ/9V1とアナウンスしました。

私は、ヘビースモーカーでして、関空からシンガポールまで辛いものがあります。
シンガポールに着いてすぐに行くところは、スモーキングエリアです、タイの空港のスモーキングエリアは、小さな箱のようになっていていその中に入りますと煙と匂いで気分が悪くなり少し煙草を吸ってすぐに出てきますが、シンガポールは、外にありますので外の空気を吸ってシンガポールの雰囲気を少し味わうことができて大好きです。
今回は、E-QSOなどをしてうまく時間を潰せました。

また、今回は初めて携帯電話を持っていきました。
私の携帯はドコモですので関空でレンタルして私の番号から転送してもらうシステムです。
ですから、私の携帯へ電話するとスリランカにいる私に電話が掛るのです。
掛けてる本人には、私がどこにいるか全く解らないということになります。
シンガポールでもスリランカでも支障なく使えました。
また、スリランカ国内でも1分85円で掛けることができますので、4S7TZや4S7VKなどに連絡するときとても役に立ちました。
仕事の電話が何回か掛って着ましたが、すべてうまくいきました。相手には、私の居所はわかりません。
便利なものです。ただし、時差の事も考えないといけませんが・・・
ちなみに、相手に掛る料金は、国内での携帯電話料金のみです。
私には、1分418円の国際電話料金がかかります、長話は禁物です。
レンタル料は、1日300円です。事前にインターネットから予約すると安くなります。
フォーマをお持ちの方なら、チップを交換するだけでいけるようです。
でも、日本以外の人たちは、こんな事せずにどこでも携帯電話使えるのですよね、NTTさんを恨みます。

関空からシンガポールまで6時間、待ち時間が5時間、シンガポールからスリランカまで4時間、結構ながいです。

スリランカの空港は、もう何回も行っていますが昼間の空港を見たことがありません。
到着が、真夜中、出発が真夜中だからです。
今回空港に着いて、建物がきれいになっていて入国のイミグレーションが1階から2階に変わっていました。
今までは、1階の薄暗いところにイミグレがあり「あー発展途上国にきたなぁ」と言う感じでしたが新しくなったところは、明るくて気持ち良いものでした。
空港は、どんどん新しくなってきます、今度行く時も変わっているでしょう。
ただ、イミグレで時間が掛かるのは、相変わらずです。

私達は、スリランカへ行く時いつも決まった旅行会社を使います、アマチュア無線を理解してくれていますので話が早くいつも融通を利かせてくれるからでます。
現地でのいろんな、段取りもうまくやってくれます。
今回私達を出迎えた車は、トヨタのマイクロバスでした。
乗客3名にガイドのアリさんに運転手で合計5名、悠々とマイクロバスでの移動です。
なぜ、もっと小さなワゴンタイプの車でないのかと聞くと、すべて出払っていてこれしかなかったようです。
大きなバスや車は、復旧活動のボランティアの移動手段に使われていて、残ったのがこのマイクロバスだけと言うことです。
確かに被災地で、旅行会社のバスが止まっているの良く見かけました。
支払いは、バスでなく普通車の金額でしたので助かりました。
このバス、オートマでした。日本でもあまり見ません。

今回は、ホテルでゆっくりする時間が全くありませんでした。
ホテルには、寝に帰ると言ったところです。
ゆっくりコロンボの街を見ることのできた時間は、出発前の朝のみでした。
長谷川さんは、朝早くおきてゴールフェースの浜辺を散歩されたようですが、私と宮川さんは、ゆっくり寝ていました。
ただ残念なのが、インド洋に沈む夕日を毎日見ることが出来たのにその時間には、他の場所にいて見ることが出来ませんでした。
昨年、ニゴンボで無線をしていた時、夕日を見たのですが雲があり完全に海に沈む夕日ではありませんでした。

この時期のスリランカは、一番観光に向いてまして風向きが海からの風ではなく陸からの風に変わりインド洋がとても静かになります。
海から風でなく陸からの風ですので湿度もいつもより低くすごしやすくなります。
この時期雨に遭遇したならあなたは、ラッキーだと言うほど天気が安定しています。(ヴィクターが教えてくれました。)
ですから、多くの観光客が津波に巻き込まれたのでしょう。

我々が行っていた季節は、どちらかと言うとシーズンオフだったのでしょう。
でもこの時期は、忙しくて普通は行けませんが・・・ (今回行った3人も忙しいのですよそこを押して行きました、誤解の無いように。)

現在スリランカには、ほとんど観光客はいないでしょう。
私達が、泊まったホテルでも消防服姿の白人やボランティアらしき人どこかの国の役人と言った人や、日本人でも、里親制度などのボランティアの人ばかりでした。
でも、コロンボのホテルは、ほぼ満室です。特に安いホテルは、泊まる事はできません。
私達も、安いホテルを希望しましたが満室でTAJの高いホテルに泊まる事になったのです。

スリランカのインターネットは、つい最近まで不安定だったようです。
現地で、4S7TZや4S7EAなどのメールを見ましたが、4S7EAが私宛に送ったメール1通と私から4S7TZに送ったメール1通が届いていないことが解りました。
現在も、エコーリンクで時々ディスコネクトするようです。

帰りの飛行機は、ファーストクラスなみでした、乗客が少ないのでゆっくり横になって寝ていました。
実は、一度してみたかったのです。願いがかないました。

気のむくまま書きましたが、このあたりで・・・・
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スリランカから帰ってきました NO3

2005年02月09日 17時59分59秒 | アマチュア無線
RSSLとのミーティングは、以前ににも書きましたが4S7KEクサルの自宅で行われました。
彼は、現在RSSLのセクレタリーをしており私達日本メンバーにも毎月添付ファイルでRSSLニュースを送ってくれます。
彼の年齢は、38歳でまだ独身です。
自宅には、IC-781と言う海外使用のICOMのトランシーバーが置かれていました。
アンテナは、平屋の家からポールで突き出したDPです。地上高はたぶん7mくらいでしょう。
7と14と21のDPがそれぞれ張られていました。すべてフルサイズです。
彼の家から21と14をワッチしましたが、Sが7つから8つ振っていてとても交信できる状態ではありません。
何とかしてやりたいと言う気持ちになってしまいました。
それと、彼の家からスリランカで唯一のレピーター4S7RSにエコーリンクが繋がっています。
リグは、アメリカ製のハンディートランシーバーでアンテナはなんとも頼りないGPです。
彼の家のみ、インターネット回線がADSLです。(メンバーにもう一人いましたが・・・)
さて、エコーリンクですがこれは、津波の被害などで海外にその情報をいち早く送ることを念頭に津波後に設置されました。
これも、今後のスリランカでの非常通信に一環です。
JAでも、昨年の大阪府支部の防災訓練で個人的にテストした人もいましたが。私は、良い手段だと思います。でもJAでは、やれ電波法違反だとか申請はしているのかとか、大阪府支部長が違反をしたとか言われかねないのできません。寂しい限りです。
やはり、スリランカでも許可が必要のようで、テレコムにエコーリンクがどんなのものか説明するのに苦労したとクサルは言ってました。
スリランカでは、同じ趣味のアマチュアの揚げ足を取るような人はいません。
現在は、テスト運用と言うことで現地時間の午後9時半から2時間のみエコーリンクに繋げています。
スリランカとの時差が3時間ですのでJAでは、午前0時半になります。
我々が、JAからアクセスし4Sのレピータで運用するのもOKです。
今後は、現在のレピータをより広範囲に電波が飛ぶ所に移設するか、新しいレピータの設置を考えているようです。
これが、できれば24時間エコーリンクに繋げる予定だそうです。
そうなると楽しみです。皆さんも一度覗いて見て下さい。

RSSLとのミーティングには、4S7EA VK KE KG ・・・など7名のメンバーがそろいましたすべてRSSLで役職に着いています。
ミーティングでは、今後のRSSLの希望する非常通信ネットワークの話になりました。
今回は、津波で被災地にアマチュアが全くいなかったのでコロンボからメンバーが苦労して被災地に入り局の設置を行いましたが、もし、多くのアマチュアが日本のようにあちこちにいればそのようなことをすることが無かったと言うことで、今後は、アマチュア無線局を国中に作りたいと言うのが彼らの希望です。
でも、個人というのではなく、避難所になる小学校などの学校にクラブ局のような局を作り運用する形態を作ると言うもです。
免許の件も、RSSLのメンバーが交代で無線の勉強を教えてアマチュアを増やしていくとの事です。
JAでは、どんどんアマチュアが減っていっていますが、何か考えないといけないと思いました。
関ハムでは、それらしき事を行っていますが・・・
何回も書きましたが、この国で無線機を入手するのは不可能ですし生活水準からするととても手が出る品物ではありません。

ヌワラエリアと言う街の市長でさへ、月給が日本円にして3万強くらいです。バスは、4円で乗れます。
お昼の弁当は、10円です。
高価なもの買わなければ、日本円で1万円両替しても使えきれません。
今回個人で使ったお金は、3千円程度です。
ただし、ホテルは別料金ですのでホテルでメールなどするものならそれだけで1万円近く飛んできます。
今回も誰かは、1万円ほどホテルに支払っていました・・・

私達が、持っていった無線機はこれに使われるでしょう。
また、ヨーロッパのアマチュアもすでに無線機の寄付を行っていまして我々以外にも無線機が手に入っています。彼らも無線機を直接持ってきたようです。
レピータの寄付も行っているようです。
ヨーロッパのハムは、行動がとても早いと思います。

我々は、津波の当初4S7EAからの希望でハンディートランシバーを4台送りました、これらも含めて役に立ってくれればと思います。

我々アマチュア無線家は、政府支援ではなく個人レベルでの支援しかできませんが本当に役に立つものを送りたいと思います。
義援金でも、ただ単に送金するのではなく、直接持っていくといのも心が通って良いのではないでしょうか。
私も阪神大震災のボランティアで被災地に行った時良く来てくれましたと言葉を貰いました。

今回のスリランカ行きで世話になった4S7VK 4S7EA 4S7KEそれにRSSLのメンバーに感謝します。

できれば、今年中にもう一度スリランカに行きたいものです。

これで終わります。
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スリランカから帰ってきました。NO2

2005年02月09日 11時21分11秒 | アマチュア無線
さて、前回の続きです。

4日の夜は、4S7VKヴィクター会長の提案で私と宮川さんは、ヴィクターの家へ長谷川さんは、4S7EAアーネストの家へわかれて行くことになりました。
たぶん、リグなどが多くないのでQRVするのであれば2つに分けたほうが良いのではとヴィクターの配慮のようです。
4S7EAの家と4S7VKの家は、そんなに遠くなく車で10分ほどのところにあります。

私達は、無線をする為に行ったのではないので自分達の無線機は持っていってませんでした。
当然、免許もすぐにもらえるとは思っていませんでした。
テレコムのトップに会いに行くのであれば、申請だけでもしておこうと思ったのです。
それを、することによって次回スリランカへ行く時申請が省けます。
実際には、テレコムのご好意により免許はすぐに発行していただきました。
これは、4S7EAアーネストの連絡などでかなったものでした。

EAやVKは、免許がもらえるのは知っていたようでせっかく免許をもらえたのだから運用できないのはかわいそうと自分達のシャックを提供してくれたと言うことです。

また、3日間の連休も良かったようです。
ヴィクターの仕事はは、大学と高校の先生です。

用事が、すんだらさっさと帰れば良いじゃないかと言われる方も中にはおられるかも知れませんが、飛行機のスケジュールが6日夜出発しかありませんでした。

彼らは、一晩でも無線して良いよと言ってくれましたがそうは行きません。
時間もそこそこにホテルに帰りました。

ヴィクターの家で初めて、スリランカの家庭料理を食べました。
やはり、ヴィクターはホークやナイフを使わず、手で食べていました。
私もトライしたのですが、うまくいきませんでした。
でも、ホテルで食べるものより美味しかったです。

彼のアンテナは、地上高12mのログペリです。
リグは、TS-430を使っています。私達が行った時は、非常通信で使った私達が持っていったIC-7400がセットしてありました。
広い敷地内に親戚一同がそれぞれ家をもち暮らしています。
彼の弟は、4S7ROで現在ジャマイカに住んでいます。

今度来る時は、タワーを建ていると話していました。

5日は、再びVKとEAと一緒に昼食をとり、EAとVKの家に分かれて無線の運用をせて頂きました。

6日は、やはりフリーでしてVKとEAの案内でRSSLが年に1回フィールドミーティングをしている場所へ案内してくれました。
ここは、以前から一緒に行こうと誘われていた場所です。
湖の真中に島がありリゾート地のようになっています。たぶん、日本人は我々が初めてでしょう。(でも、佐竹さんが行っているかもしれません。)
ここで、昼食をとり彼が用意したリグとアンテナでQRVさせていただきました。
アンテナは、即席の地上高5mのインバーテットVでした。
やはり、とびは良くなく21のCWでの運用が精一杯でした。
ここで、スリランカのアンカバーに遭遇しましました。
21.200付近で漁船が使っているようです。EAに教えていただきました。今は日本では、聞こえないかも知れませんがコンディションがよくなれば聞こえてくるでしょう。

この日は、午後4時にクサル4S7KEの家で、RSSLのメンバーとミーティングをすることになっていて4S7KEの家へ行きました。

ここで、今回の非常通信の現状と今後の対策について多くのメンバーと話会いました。

スリランカでのRSSLによる非常通信の話は、車の中でヴィクターから教えていただきましたが、なにぶん英語が達者でないので話の半分くらいしかわかりませんでしたが、ミーティングであらためて説明され少し理解の度が増しました。

津波当日、一方が伝えられて、すぐにRSSLメンバーが四輪駆動車を手配し海岸線の道路が通行不能のため、山側の悪路を通って確か3箇所くらいに分かれて無線局を設置したようです。
その時リグが足らなかったので我々が置いて帰ったリグが役に立ったと言ってました。
スリランカは、発展途上国で社会主義の国です、たちまち被災地では、通信網が寸断され、コロンボの政府に全く情報が入らなくなっていました。
唯一、ゴールだと思うのですが、衛星電話があり情報がコロンボに届いたようですがすぐにバッテリーが切れてしまいその後情報が途絶えたと言うことです。
情報元は、すぐに被災地入りしたアマチュア無線の情報のみとなり、政府はその情報に基づいて行動を起こしました。

当然被災地では、電気が止まっていますので無線機の電源は車のバッテリーに頼ることとなります。
非常通信の周波数は、7.060のSSBと144のレピータでした。
バッテリーを考えパワーは必要最小減のパワーで低く張ったDPを使ったようです。
しかし交信は、何の支障もなくできたようです。

被災地には、ハムと一緒にドクターと看護士も同時に入ったようです。

この非常通信は、無線網も復旧が進むにつれ終わって行きました。
現在は、すべての非常通信は終了しています。

まだまだ書くことがありますがひとまずこの辺で・・・

この後、今後のスリランカでの非常通信とエコーリンクについて書きたいと思います。
また、今回ビデオカメラを2台持ってきましたので、ミーティングの様子やテレコムや観光局での様子も撮っております。
たぶん6時間くらい撮りました。
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スリランカから帰ってきました。NO1

2005年02月08日 18時56分44秒 | アマチュア無線
無事スリランカから帰って来ました。
現地での予定は、現地に行ってからでないと決まっていませんでしたのでスリランカでの行動を書きたいと思います。

2月2日正午関空からSQ便で9V1経由でコロンボに現地時間2月3日午前1時30分に到着しました。
その後現地旅行会社の手配でコロンボのTAJホテルで1泊。
2月3日午前、現地旅行会社へ出向き今後の予定を話し合い、そこで2月4日はスリランカの独立記念日で官庁は、明日から3日間休みになることを知りました。(事前に知ってはいましたが、やはりと言うような感じです。1日間のみが勝負です。)
我々の希望の、観光局とスリランカテレコムのトップの面談は、今日しか無いという事でしたが旅行会社の手配で希望をかなえて頂き、テレコムには、午後2時の約束、観光局には、午後6時の約束を取り付けました。
その後、RSSLメンバーとホテルで会う約束を取りました。
そのころには、すでにお昼近くになっていたので近くのレストランで昼食を取り、午後2時にテレコムに出向きました。
テレコムのトップと面談し、我々の目的を話し今後テレコムは、我々に支援していくことを約束していただきました。
無線の免許についても、即日交付していただきました。これは、4S7EAアーネストからも連絡が行っていました。
ここで、偶然にも政府のボランティア組織・BHNの堤本さん出会い、BHNの支援内容なども聞きました。
堤本さんは、去年の暮れにスリランカの無線に関する支援方法で長谷川さんと電話でお話されており全くの偶然に驚いています。
堤本さんもアマチュア無線をされており、今回無線の免許申請をしようと思ったができなかったと言われておりました。

BHNの支援内容は、ハンディートランシーバーの寄贈(確か100台・アルインコの無線機、基地局用にモービル機)とゴールの市役所にミニFM局を設置し、被災者にFMラジオを配ると言うものでした。
周波数は、アマチュア無線で無いのでアマチュアバンドはダメと言うことで、アマチュアバンドの少し外の周波数3波を割り当てられたと言うことです。
レピータも考えられたようですが、許可は貰えなかったようです。
申請して、1ヶ月掛り、2月3日にようやく許可が下りたと喜んでおられました。
これからトランシーバーの改造と輸送の手続きをするとの事です。

我々はその後、観光局へ向かいデレクターと面談しました。
デレクターは、この津波の後のスリランカの観光をどうするか考えておられ、現在ほとんど観光客が来ない状態をできるだけ早く解消したいと必死のようです。
みなさん、スリランカへ観光に行ってください。

コロンボの街は、津波に遭ってはいますが、被害はほとんど無く、全くの平静を保っていました。
いつものように、交通渋滞の嵐です。
空港でもそうでしたが、コロンボでは津波の津の字も無いと言うのが現状です。
津波から、1ヶ月以上も経っていますし、10年前の阪神大震災の神戸と大阪のような感じです。
神戸は悲惨ですが、大阪は全く変わらずと言ったところです。

観光局に行った後、予定通りホテルに帰りRSSLメンバーと再会をし、食事をとりました。
ここでは、津波の時のRSSLの非常通信の状況を少し聞き、その後目的の一つである、義援金とトランシーバーを渡しました。リグは、非常時に持ち運びに便利なHFからUHFまで出るリグと池田君寄贈のリグにそれにスイッチング電源です。義援金は、USドルで渡しました。

2月4日は、独立記念日でコロンボで式典がありましたがいつものような式典でなく津波でなくなられた方々の追悼も含め行われたようです。

4日の予定はゴールに行くことでしたが被災地に行けるかどうか、RSSLメンバーや現地のガイドさんに聞いたところ十分行ける、ぜひ現地を見てきてほしいと言われ、海岸沿いの国道を走りゴールへ行くことにしました。
ゴールは、昨年・一昨年と2回行っていますので現状を知りたいと思っていました。

コロンボ市内では、津波の爪あとは全くありませんでしたが30分も走りますと、あちこちに爪あとがあり、南へ下がるほどその現状は、凄まじいものになっていきました。
私は、阪神大震災のときにボランティアで炊き出しに2回行きましたが、国道2号線を走ってなんと空が良く見えて広いのかと感じました、これは、国道沿いの家やビルが崩れ落ち空が大きく広がっていたからです。
同じように、海沿いの家はほとんどが流され静かなインド洋が大きく広がっていました。
場所によって津波の大きさが違うようで、同じ海沿いであっても大きな被害が出たところと、ほとんど被害の無いところがあるのに驚きました。
これは、海の海底の地形によるもののようです。

道路は、当初橋が流されたり瓦礫があったり通行止めでしたが、現在100%復興しています。
鉄道は、現在復旧作業中で、流されたレールを人界戦術で設置していました。
建築機材が、乏しいので本来ならホークリフトで行う作業をショベルカーで行っていたのは印象的でした。

列車が流され大きな被害が出たところは、以前に珊瑚を採取した場所で起こったようです、珊瑚を粉にして塗料に混ぜると良い様で、そのために珊瑚を採取し海が深くなったため津波の高さが増したようです。
現在転覆した列車は、レールの上に戻されそこにあります。
多くのスリランカ人がそこを訪れ写真を撮っていました。
その横には、避難所があり多くのテント(救援物資の1つ)が立ち並び、多くの避難民がいました。
また、残った建物が、病院になっていたり物資の倉庫や食堂になっていて、白人たちが生き残った子供達のために心のケアに勤めていました。
ここには、津波当時アメリカ軍がきていたと聞きました。緊急のステージが終了したと言うことで引き上げ現在ボランティアの手にゆだねられています。
また、大きなスピーカーが設置され、避難所の非難民全員に情報が伝えられるようになっています。
私達が行った時には、シンハラ語でお経のような詩が永遠と流されていました。

ゴールに近づくにつれ非難テントの数が増えていきました。
日本のテントがあるか探しましたが、それらしきものは見つけたものの国旗がないので確信はできませんでした。
確認できたのは、アメリカ・イギリス・中国です。

私達が泊まったライトハウスホテルは、津波の被害に遭いましたが現在は完璧に復旧しています。
営業もされていて、多くの外国人で一杯でした。たぶんボランティアの人たちでしょう。

実は私は、ゴールの街に行ったことがありません。ライトハウスホテルにずっといたからです。
皆さんがテレビでよく見る、バスが流され多くの人が流される場面ですが、そこに行きましたそこはゴールの駅の前で、ターミナルになっている場所です。(現在は、復旧しています。多くの人がいます。)
北側に5階くらいのビルが立ち並び海から数百m離れたところです。海の方にはクリケット場その先にスペインの植民地当時に作られた大きな要塞があります。(ここは、観光名所です。)
さすがに要塞は、ほとんど被害はなく、要塞の端から入ってきた津波に襲われたようです。
ここには、大きな港があり船は陸に打ち上げられたままになっています。
ここも、多くの家が流されて瓦礫の山になっています。大きな街ですので阪神大震災を思い浮かべます。

ゴールまでの間、多くのスリランカ人のボランティアが後片付けをしていました。
みんな、緑のゴム手袋をしています。

この日は、ゴールで折り返し日帰りでコロンボに着き、4S7TZの家に行き昨年修理のために持ち帰ったリグを届けました。
スリランカでは、リグの入手や修理は不可能です。ほとんどが、シンガポールで誰かに頼んで入手するようですが、いつも手に入ると言うわけにはいきません。

夜は、4S7EAとVKの好意でEA宅とVK宅にお邪魔しました。
夕食もVKさんの家でご馳走になり、144のレピータを使いエコーリンク経由でJAの友人とコンタクトしました。
EA宅では、14にQRVしました。

長くなりましたのでこの続きは明日にします。
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