佐藤豊彦さんのメッセージの続きです。
リュートという楽器は、そもそも愛の表現の楽器として使われていました。
人間の情念を相手に伝えるための道具として使ったわけで、言葉を使わないでいかに相手に自分
の感情や気持ちを訴えることができるか、それを音だけで行うのです。
音にはリュートやチェンバロのように消える音と、バイオリンやオルガンのように消えない音が
あります。
バイオリンやオルガンは必要とあれば永遠に音を出していられます。
音をつなぐとこともできるし、音を大きくすることも出来ます。
しかしリュートは一つずつ音を大きくすることは出来ますが、その音に限った場合には、絶対に
出てから消えて行きます。
消えるということが根本的にあるわけです。
それが禅に結びつきます。
琵琶も同じで、何処か根本的なつながりがあり、諸行むじょうで何処か最後は無になってしまいます。
続く
リュートという楽器は、そもそも愛の表現の楽器として使われていました。
人間の情念を相手に伝えるための道具として使ったわけで、言葉を使わないでいかに相手に自分
の感情や気持ちを訴えることができるか、それを音だけで行うのです。
音にはリュートやチェンバロのように消える音と、バイオリンやオルガンのように消えない音が
あります。
バイオリンやオルガンは必要とあれば永遠に音を出していられます。
音をつなぐとこともできるし、音を大きくすることも出来ます。
しかしリュートは一つずつ音を大きくすることは出来ますが、その音に限った場合には、絶対に
出てから消えて行きます。
消えるということが根本的にあるわけです。
それが禅に結びつきます。
琵琶も同じで、何処か根本的なつながりがあり、諸行むじょうで何処か最後は無になってしまいます。
続く