倉富和子の女のひもとき in USA

生活に緊張感を与える為に、ブログを書く事にしました!心導・縄文ストレッチ・DNAメソッドを広めるため、世界中を巡ります。

悲劇、正座を知らない子供達。Tragedies, the children that do not know sitting straight

2014-06-19 09:25:28 |  縄文心導ヒーリング
日本の大和撫子のような女性にお会いしました。

土岐山協子さん、その肢体を取り巻いているオーラーは仙人並みに堂々。

背が高く北欧の女性並み,目鼻立ちがキリット整い縄文美人です。

こんな美人が・・・

月の三分の二は北海道の紋別市の電気も水道もない漁村で、昆布とりと畑をしながら自給自足の生

活されています。

元高校の教員で38歳までバレーボールのアスリートをされていたとかで、精神力も鍛えられていますね。、

「今の子供達が正座をするということがどういうことなのか分からないこと。」

「昆布を一晩つけただしをに濁ったと思いこみ、そのスープを捨てた母親に、日本の未来はどうな

るのか心配です」と。

「女性の資本主義」にあるような、久しぶりに豪快なお話をお聞きして、胸がスウットしました。

土岐山協子さん、また再会出来る日を楽しみにしています。



土岐山協子さんのブログより


愛情料理研究家 土岐山協子の 『料理はしないんだけど料理研究家のブログ』愛情料理研究家の土

岐山協子と申します。私は元々教職に就ておりました。

その時に教育における母親の役割の重要性に気付き、日本の国力を上げかつ愛情に溢れた幸せな日

本国を作るためには女性が愛情に溢れ、賢く美しくある必要があるのだという考えに至りました。


「そのための経費はどう捻出しているかというと…はい、夜はホステスをしています。

私は35歳の時に日本のことをもっと知りたくて銀座に入りました。

なぜなら永田町で門前払いを受けたからです(^_^;)そりゃそうですね…(- -;)

国のえらいひとたち(←小学生レベルの表現ですが)は銀座によく出入りしているとの噂を鵜呑みに

し、皿洗いからデビューした銀座でのホステス生活は今の私の原点でもあります。

なぜなら、ホステスをしていなければ今事業に向けて行動している私を支えて下さっている方々に

はお逢いできなかっただろうからです。

私は今まで、利尻、札幌、仙台、銀座、新小岩、西葛西、米子、沖永良部島、那覇松山、宮古島で

ホステスの仕事をさせていただきましたが、すべての場所で素敵な出逢いがありました。

一番最初に私のお客様になってくださった方の私を見ての第一声は「目的はなんだ」でした。

一瞬にして私の野望(?)を見抜く眼力に畏れを抱き、銀座はこういう方々が沢山いらっしゃるんだ

な…と感慨深くもなりました。

その方は今は引退なさってしまいましたが、私に戦後からの国の流れを教えて下さった方のお一人です。

ホステスという仕事のおかげで、今までの私の常識では考えられないことばかりを経験させていただきました。





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