パオと高床

あこがれの移動と定住

古川薫『吉田松陰』(河出文庫)

2015-05-31 15:19:04 | 国内・小説
2014年10月に文庫化されているので、NHKの大河を意識しての本だろう。
直接、読む気になったのも大河ドラマの影響といえば、いえるのかも。どうして松陰があれだけ人を引きつけられたのか、
やはり気になるのはそこ。はっきり、ドラマじゃ、わかんないし描かれていない。これは、本を読むしかないと。

で、古川薫。山口出身で長州ものを数多く手がけている作家による小説。
最初、少年少女向けにという注文に応じて書き始められたが、作者自身があとがきで語るように、だからといって「妥協せ
ずに書いた」というだけに、「子どもも読める」が、「大人にとっては気軽に読める入門書として受け入れられた気配もあ
る」小説になっている。
クラシックや小説もそうだが、子ども向けという言葉で妥協されたものは、実は子どもにとっても面白くないものが多い。
これも古川薫があとがきで書いているが、「読書意欲さえあれば、背伸びしてでも大人の本を読破するだけの力はどの子供
もそなえているはず」だ。力をそなえているかは別にして、読書好きはさらに背伸びの読書に向かうし、音楽は子供向けと
言ってなめた曲を流されたら退屈なのだ。あの手この手を使いながら音楽のレベルを決して下げずにファン層を拡大した山
本直純というすごい人もいる。

小説は、毛利家の徳川への積年の思いがわかる場面を冒頭に持ってくる。毎年行われる藩主との挨拶の場面。

 「今年はいかがいたしましょうか」
  と、藩主に言上する。
 「うむ。まだ早いであろう」
  ひとこと藩主がそれに答えて、新年の賀式はあっさり終わるのだが、

つまり、関ヶ原以降、新年の儀式で、幕府を討つ戦いを始めるのはいかがという挨拶を続けているというもので、この場面を
最初に持ってくることで古川薫の長州という場所へのこだわりと歴史が歴史を作っていくという史観のようなものがかいま見
える。
作者は思い入れを抑え、ほぼ編年体で記述していく。エピソードが積み上げられながら、時間の流れの中でドキュメンタリー
風に整理されていく。その中で松陰の言葉や態度が表現されていくことで、少しずつ松陰に近づいていけるような感じが持てる。

毛利敬親と松陰は10歳くらいの年の差。松陰11歳の時に最初に藩主の前で講義をする親試を受ける。敬親は20過ぎくらい。そ
れ以降、敬親は成長する松陰を大切にしていくのだが、この年齢を考えると兄弟のような感覚があったのかもしれない。
松陰は、相手の顔を見ながら、ただ諳んじるのではなく、具体的で身近な状況を示して講義をしたと書かれている。また、原
則性を重んじながらも豊富な知識を使って問いを立てていったのではないかと思わせるものがある。至誠をつくすということ
が度々出てくるが、そのことによって相手とは理解できると真に信じていたのだろう。そんな言葉が相手の心を打ったのだろ
う。だが、それが及ばない秩序の中で処刑されることになるのだが。
また、松下村塾の塾生を友と呼ぶ。元来、教えー教えられるの関係は縦の繋がりであるのに、そこに横の軸を築こうとする。
友、そして志を持ったときに共にある志士という平等軸。古川薫はその点も指摘している。
至誠、機、華夷弁別、割拠論、相労役、諸友、飛耳長目、志士、忠義と功業、草莽崛起、四時の循環、などいくつかの重要な
言葉をわかりやすく読み解き、配列しながら吉田松陰への入り口を作ってくれる小説である。
小説は松陰の死についてこう記す。

  松陰が三十歳で結んだ実が、モミガラなどではなく、見事な一粒の麦であったことは、
 歴史の証明するところである。

松陰は徹底的に教師であったと古川は語っている。司馬遼太郎も『花神』で、松陰を思想家として花の種に喩えていたように
記憶しているが、「一粒の麦もし地に落ちて死なずば…」である。だが、それにしても明治への道で多くの人が死にすぎてい
る。古川はそこにもまなざしを向けている。最終章で高杉晋作の死を記した後、こう書く。

  これで松下村塾の四天王はすべて松陰のそばに逝った。村塾の主要なメンバーはほとん
 どが地上から姿を消したわけである。死すべき者は、みんな死んだということか。あとに
 残った人々がそうでなかったというのではないが、やはりさきがけて死地におもむいた志
 士たちは、松陰の志を継ぐ純粋な生きざまをみせながら、揺れる巨木に似た歴史がふるい
 落として行く落葉のひとつとなったのである。

この部分には古川薫の思いが込められている。
歴史の非情とでもいうものか。だが、それも多くは人の所行なのだ。
至誠を尽くし、志を掲げ、それを貫くことは美しいし、また大切であろう。だが、人の知恵は生き抜くことにおいても注がれ
るべきものだと思う。この小説でわずかに触れられる、松陰の教えから、「不朽の見込み」がなく死ねば犬死にだと思い、大
業のために「亡命の名人」となった高杉晋作の奇抜な生が印象に残った。

それにしても、間違ってはいけないのは、殉ずるという観念だ。そして、松陰のあり方などを利用するのが権力者であるとき
の胡散臭さだ。権力が作り上げたのっぴきならない不合理の体制の中で、松陰が穿ったものが窓になったのである。権力者が
多様な窓を塞ぐためのブラインドに使っていいわけがない。

留魂録、講孟余話にも目を通したくなる。 
長州の尊皇攘夷運動とは、どんなものだったのだろう。やはり、どこか熱病のようでもある。

あれ、なんだか『花神』が読みたくなった。篠田三郎の吉田松陰よかったな。
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