書名『ん』に引かれる。
副題は「日本語最後の謎に挑む」である。
mとnと鼻にかける「ング」の三つの撥音を併せ持つ「ん」の音の移り変わりと表記の始まりを巡る考察の書。
ローマ字表記でのmとnによる「ん」の使い分けへの疑問から始まって、五十音の外にある「ん」の元へと向かっていく。発音と表記の両方から、「ン」と「ん」の誕生に迫り、また、その「ん」を巡る歴史上の知性の見識を紹介していく。
その中で、ボクが面白かったのは、やはり「ん」の発音の多様性と空海の見識だった。
五百年に一度現れるか現れないかとも思われるほどの耳を持つ服部四郎という言語学者が「ン」の発音には十種類のほどの違いがあると述べているという紹介と、空海の始まりの音、阿と終焉を示す音、吽という、胎蔵界と金剛界にもつながる構想力の紹介が面白かったのだ。
その阿吽や清濁の価値観にもつながっていく「ん」の深さがわかる本だった。
どちらかというと、「ん」についての様々な歴史上の探求が語られる三章以降が面白かった。もう少し、章立てに工夫があってもと思わないでもなかった。
副題は「日本語最後の謎に挑む」である。
mとnと鼻にかける「ング」の三つの撥音を併せ持つ「ん」の音の移り変わりと表記の始まりを巡る考察の書。
ローマ字表記でのmとnによる「ん」の使い分けへの疑問から始まって、五十音の外にある「ん」の元へと向かっていく。発音と表記の両方から、「ン」と「ん」の誕生に迫り、また、その「ん」を巡る歴史上の知性の見識を紹介していく。
その中で、ボクが面白かったのは、やはり「ん」の発音の多様性と空海の見識だった。
五百年に一度現れるか現れないかとも思われるほどの耳を持つ服部四郎という言語学者が「ン」の発音には十種類のほどの違いがあると述べているという紹介と、空海の始まりの音、阿と終焉を示す音、吽という、胎蔵界と金剛界にもつながる構想力の紹介が面白かったのだ。
その阿吽や清濁の価値観にもつながっていく「ん」の深さがわかる本だった。
どちらかというと、「ん」についての様々な歴史上の探求が語られる三章以降が面白かった。もう少し、章立てに工夫があってもと思わないでもなかった。
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