パオと高床

あこがれの移動と定住

森鴎外「普請中」(『森鴎外全集Ⅱ』ちくま文庫)

2011-11-22 01:39:00 | 国内・小説
漱石が好きだ。
そのためではないのだが、鴎外に距離を置いていたのかもしれない。
というのは、嘘で、鴎外も好きで、さらに鴎外が好きであるよりも鴎外の系譜に多くの作家がいて、その系譜の作家が実はたいそう好きだったような気がする。
「じゃあ、その系譜って誰よ?」と言われると困るのだが。さて、誰でしょう。

2009年だから、2年前になるのか、詩人の伊藤比呂美とハン・ソンレの座談会があった。その時、伊藤比呂美が鴎外の文体に触れていた。鴎外の文体に層が見えるというのだ。言葉の地層が見える。漢語体とドイツ語から習得した外来語文体、そして古語と、言文一致で駆使する口語体、それらが鴎外の言葉の地層を築いていて、その層が見えるというのだ。そのとき、漱石もそうだなと思ったのだが、実際、漱石にもあるのだが、鴎外の小説、確かに言葉が層を刻み込む。
だが、その前に「普請中」の書き出し。鴎外は独特の改行を使いながら、読点で息遣いを記す。

  渡辺参事官は歌舞伎座の前で電車を降りた。
  雨あがりの道の、ところどころに残っている水溜まりを避けて、木挽
 町の河岸を、逓信省の方へ行きながら、たしかこの辺の曲がり角に看板
 のあるのを見たはずだがと思いながら行く。
  人通りは余り無い。役所帰りらしい洋服の男五六人のがやがや話しな
 がら行くのに逢った。それから半衿の掛かった着物を着た、お茶屋の姉
 えさんらしいのが、何か近所へ用達しにでも出たのか、小走りに摩れ違
 った。まだ幌を掛けたままの人力車が一台跡から駆け抜けて行った。

移動しているのだ。呼吸、そして歩行。この文のつらなり、読点はここにしかないのだと思わせる。全体、改行はほぼ五行以内。『青年』などの長編になると段落の行数は増えるが、文体、だらりと弛緩しない。段落の長さは違うが、読点の置き方と文のうねり、これがもう少し戯作体になれば、石川淳などに繋がる。
で、伊藤比呂美の指摘にあいそうな部分。

  廊下に足音と話声とがする。戸が開く。渡辺の待っていた人が来たの
 である。麦藁の大きいアンヌマリイ帽に、珠数飾りをしたのを被ってい
 る。鼠色の長い着物式の上衣の胸から、刺繍をした白いバチストが見え
 ている。ジュポンも同じ鼠色である。手にはウォランの附いた、おもち
 ゃのような蝙蝠傘を持っている。

まだ、ここで遣われているカタカナ言葉は名詞であるが、文章の中での言語対立というか、文化的な葛藤が展開されているようなのだ。

「普請中」は「舞姫」の後日譚と位置づけられる小説だが、日本を訪れたかつての彼女に対する渡辺参事官の態度は冷たい。この女性は鴎外を追って来日したエリスが投影されていると注釈に書かれていることから、実際そうなのだろうと考えられるが、そうすると、小説の渡辺参事官の耐えるような、あるいは仕事とはいえ別の男と旅行している彼女を責めるような態度は、何なのだろう。かつての恋人への冷然とした態度。ヨーロッパへの思いがすでに過去になり、自立した国家となっていく日本のどこか高揚感をなくした姿が背後にあるようだ。
二人が会う場所は「精養軒ホテル」のレストラン。近くからは騒がしい普請中の物音がしている。その物音は5時になるとやむ。寂しいレストランで「大そう寂しい内ね。」と、女は言う。渡辺はそれに応える。「普請中なのだ。さっきまで恐ろしい音をさせていたのだ。」と。そして、アメリカへ行くという女に対して、渡辺は言う。

  「それが好い。ロシアの次はアメリカが好かろう。日本はまだそんな
 に進んでいないからなあ。日本はまだ普請中だ。」

明治43年発表の「普請中」。「舞姫」から20年経っている。そして、この明治43年は1910年で、大逆事件や韓国併合の年である。明治の終わりまであと2年、鴎外48歳の時の作品である。
ちなみに夏目漱石は『三四郎』『それから』『門』の三部作を1908年、09年、10年で発表している。

  
コメント
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