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パオと高床

あこがれの移動と定住

井本元義「星と空 R共和国奇譚」(「海」16号)

2016-07-02 11:57:59 | 国内・小説
精力的に小説、詩を発表し続けている井本元義さんの小説。

「星と空 R共和国奇譚」は表題通りの奇譚もの。奇想の着想が決め手になる。で、書き始めは、

  毎年この晩春の頃になると私は憂鬱の極みに入りこむ。生暖かい夕風が首筋を撫でていったり、
急に冷気が背筋を走ったりすると、最初は苛立ったりしてもすぐに諦めと悲しみに落ち込む。

「私」は、そんな日々の中で、花の香りに誘われ続ける。
それは、過去の思い出を引き出す連想であり、また、危険や陶酔へと誘う香りでもあった。そんな
「私」のもとに、一通の手紙が届く。かつて関わったことがあるR共和国からのツアーの誘いである。
 R共和国。山岳民族国家で、チベット、中国、ミャンマーと国境を接しているとされる。80年に一度
のペルセウス座流星群が見られるということ、巨大食中花の観覧や鳥葬の秘儀にも案内するという内容
に「私」は惹きつけられる。そして、ツアーに参加した「私」は、鳥葬の残酷さに打ちのめされながら、
存在の空無を感じる。また、流星群の中に吸い込まれていく至福の時も経験する。そうして、「私」は
食中花に捉えられてしまうのだ。
 
 鳥葬の描写が興味深かった。作者は実際に鳥葬に出会ったことがあるのだろうか。また、流星群と一体
化する場面もよかった。山岳で近づく星々の分だけ、あちら側への誘惑が強くなり、いつか、こちら側か
ら逸脱してしまう。それは恐怖だろうか愉悦だろうか。
奇譚にしばし、酔うことができた。

 井本さんの小説は大杉栄にフィクションを絡めた「偽手紙」も面白かった。これは同じ同人誌「海」の
前号である15号に掲載されている。

 また、井本さんのブログ「あちらこちら文学散歩」は、ランボーを始めとして、様々な文学散歩があって
楽しめる。この名前でググれば、出会える。

小栗虫太郎『黒死館殺人事件』(河出文庫)

2015-09-02 10:13:07 | 国内・小説
この夏、最大の読了書かな。この小説に出会ったのは高校か大学の頃だったとおもうのだが、最初で躓き、その後挑戦。
今回、やっとまともに読了。まともっていっても、うーむ。とにかく何だか面白かった。わけわからない面白さってある
のだと、改めて実感。以前、突っかかったのが嘘のようにずんんと進んだ。

舞台は降矢木算哲博士が建築技師ディグスビィに建てさせた黒死館。
屋敷は「ボスフォラス以東に唯一つしかない」と云われ、「ケルト・ルネサンス式の城館(シャトー)を見慣れた今日で
さえも、尖塔や櫓楼の量線から来る奇異(ふしぎ)な感覚ーまるでマッケイの古めかしい地理本の挿画でも見るような感
じは、何日になっても変らないのである。けれども、明治十八年建設当初に、河鍋暁斎や落合芳幾をしてこの館の点睛に
龍宮の乙姫を描かせた程の綺(きら)びやかな眩惑は、その後星の移ると共に薄らいでしまった。」と書かれている。
もうすでに、ここまでの書き出しからの1ページほどで、この小説の衒学趣味は横溢している。
これが、この迷宮のような衒学の渦が、小説の魅力であり、難読を余儀なくさせるものである。それが快感に変わるから
凄いのだが。

その屋敷で、算哲の自殺以降、連続殺人が起こる。探偵は法水麟太郎。ヴァン・ダインのうんちく探偵ファイロ・ヴァンス
を向こうに回すほどの蘊蓄・衒学探偵。本気で謎を解く気があるのかというほど、散りばめるのは占星術、呪術、宇宙論、
物理法則、詩、戯曲、神学、宗教学、心理学、精神分析学、暗号学、紋章記号学、医学、薬学、犯罪学。謎の解読に直進し
ない。黒死館殺人事件という迷宮を作るために捜査をしているようなのだ。それが、一大伽藍を形作っていく。テレーズと
いう自動人形が出てきたり、古代時計台が設えられたり、薬品室や自動噴水があったり、甲冑が移動したり、黙示図が表れ
たり、密室や墳墓が設けられたり。
ああ、小栗虫太郎はすべてをやりたいのだ。ミステリーというもののすべてを書きとめる小説を創りたいのだ。それが、ミ
ステリーを築きながら、ミステリーを逸脱していく。解明される謎よりも深く折り重なる謎のほうが心地よくなっていく。
もちろん後半100ページ程での解明への速度感は味わえる。だが、一方で、どこか、それすら、もういいような感覚も宿るの
だ。

日本三大奇書の一つといわれる小説。同時に三大アンチミステリーともいわれる、この小説。堪能しました。

ちなみに目次を記載する。
序篇 降矢木一族釈義  第一篇 死体と二つの扉を繞って  第二篇 ファウストの呪文
第三篇 黒死館精神病理学  第四篇 詩と甲冑と幻影造詣  第五篇 第三の惨劇
第六篇 算哲埋葬の夜  第七篇 法水は遂に逸せり!? 第八篇 降矢木家の壊崩
それぞれには「テレーズ吾を殺せり」や「水精(ウンディヌス)よ蜿(うね)くれ」などの章タイトルもある。

ミステリーは、小説をもっともメタ小説にできる形態なのかもかもしれない。

古川薫『吉田松陰』(河出文庫)

2015-05-31 15:19:04 | 国内・小説
2014年10月に文庫化されているので、NHKの大河を意識しての本だろう。
直接、読む気になったのも大河ドラマの影響といえば、いえるのかも。どうして松陰があれだけ人を引きつけられたのか、
やはり気になるのはそこ。はっきり、ドラマじゃ、わかんないし描かれていない。これは、本を読むしかないと。

で、古川薫。山口出身で長州ものを数多く手がけている作家による小説。
最初、少年少女向けにという注文に応じて書き始められたが、作者自身があとがきで語るように、だからといって「妥協せ
ずに書いた」というだけに、「子どもも読める」が、「大人にとっては気軽に読める入門書として受け入れられた気配もあ
る」小説になっている。
クラシックや小説もそうだが、子ども向けという言葉で妥協されたものは、実は子どもにとっても面白くないものが多い。
これも古川薫があとがきで書いているが、「読書意欲さえあれば、背伸びしてでも大人の本を読破するだけの力はどの子供
もそなえているはず」だ。力をそなえているかは別にして、読書好きはさらに背伸びの読書に向かうし、音楽は子供向けと
言ってなめた曲を流されたら退屈なのだ。あの手この手を使いながら音楽のレベルを決して下げずにファン層を拡大した山
本直純というすごい人もいる。

小説は、毛利家の徳川への積年の思いがわかる場面を冒頭に持ってくる。毎年行われる藩主との挨拶の場面。

 「今年はいかがいたしましょうか」
  と、藩主に言上する。
 「うむ。まだ早いであろう」
  ひとこと藩主がそれに答えて、新年の賀式はあっさり終わるのだが、

つまり、関ヶ原以降、新年の儀式で、幕府を討つ戦いを始めるのはいかがという挨拶を続けているというもので、この場面を
最初に持ってくることで古川薫の長州という場所へのこだわりと歴史が歴史を作っていくという史観のようなものがかいま見
える。
作者は思い入れを抑え、ほぼ編年体で記述していく。エピソードが積み上げられながら、時間の流れの中でドキュメンタリー
風に整理されていく。その中で松陰の言葉や態度が表現されていくことで、少しずつ松陰に近づいていけるような感じが持てる。

毛利敬親と松陰は10歳くらいの年の差。松陰11歳の時に最初に藩主の前で講義をする親試を受ける。敬親は20過ぎくらい。そ
れ以降、敬親は成長する松陰を大切にしていくのだが、この年齢を考えると兄弟のような感覚があったのかもしれない。
松陰は、相手の顔を見ながら、ただ諳んじるのではなく、具体的で身近な状況を示して講義をしたと書かれている。また、原
則性を重んじながらも豊富な知識を使って問いを立てていったのではないかと思わせるものがある。至誠をつくすということ
が度々出てくるが、そのことによって相手とは理解できると真に信じていたのだろう。そんな言葉が相手の心を打ったのだろ
う。だが、それが及ばない秩序の中で処刑されることになるのだが。
また、松下村塾の塾生を友と呼ぶ。元来、教えー教えられるの関係は縦の繋がりであるのに、そこに横の軸を築こうとする。
友、そして志を持ったときに共にある志士という平等軸。古川薫はその点も指摘している。
至誠、機、華夷弁別、割拠論、相労役、諸友、飛耳長目、志士、忠義と功業、草莽崛起、四時の循環、などいくつかの重要な
言葉をわかりやすく読み解き、配列しながら吉田松陰への入り口を作ってくれる小説である。
小説は松陰の死についてこう記す。

  松陰が三十歳で結んだ実が、モミガラなどではなく、見事な一粒の麦であったことは、
 歴史の証明するところである。

松陰は徹底的に教師であったと古川は語っている。司馬遼太郎も『花神』で、松陰を思想家として花の種に喩えていたように
記憶しているが、「一粒の麦もし地に落ちて死なずば…」である。だが、それにしても明治への道で多くの人が死にすぎてい
る。古川はそこにもまなざしを向けている。最終章で高杉晋作の死を記した後、こう書く。

  これで松下村塾の四天王はすべて松陰のそばに逝った。村塾の主要なメンバーはほとん
 どが地上から姿を消したわけである。死すべき者は、みんな死んだということか。あとに
 残った人々がそうでなかったというのではないが、やはりさきがけて死地におもむいた志
 士たちは、松陰の志を継ぐ純粋な生きざまをみせながら、揺れる巨木に似た歴史がふるい
 落として行く落葉のひとつとなったのである。

この部分には古川薫の思いが込められている。
歴史の非情とでもいうものか。だが、それも多くは人の所行なのだ。
至誠を尽くし、志を掲げ、それを貫くことは美しいし、また大切であろう。だが、人の知恵は生き抜くことにおいても注がれ
るべきものだと思う。この小説でわずかに触れられる、松陰の教えから、「不朽の見込み」がなく死ねば犬死にだと思い、大
業のために「亡命の名人」となった高杉晋作の奇抜な生が印象に残った。

それにしても、間違ってはいけないのは、殉ずるという観念だ。そして、松陰のあり方などを利用するのが権力者であるとき
の胡散臭さだ。権力が作り上げたのっぴきならない不合理の体制の中で、松陰が穿ったものが窓になったのである。権力者が
多様な窓を塞ぐためのブラインドに使っていいわけがない。

留魂録、講孟余話にも目を通したくなる。 
長州の尊皇攘夷運動とは、どんなものだったのだろう。やはり、どこか熱病のようでもある。

あれ、なんだか『花神』が読みたくなった。篠田三郎の吉田松陰よかったな。

中山七里『さよならドビュッシー』(宝島社)

2015-01-21 14:50:16 | 国内・小説
2009年第8回「このミステリーがすごい」大賞受賞作。
『いつまでもショパン』を最初に読んで、音楽小説と青春小説としておもしろいと思ったけれど、その作家のデビュー作。

ピアニストを目指す16歳の少女が主人公。突然の火事に見舞われ、一人生き残った主人公は、全身やけどの大怪我から逆境に負けずコンクール優勝を目標に猛レッスンの日々を送る。彼を指導する人物が、魅力的なピアニストで探偵の役割を果たす岬洋介。この人物が格好いいし、この人物の演奏描写がいい。何だか、『のだめ』の玉木君にでもさせたい人物。で、ミステリーは、この火事、そして主人公の周辺で起こる不吉な出来事と殺人事件である。
音楽についての解釈と演奏場面の描写に引き込まれる。ショパンやドビュッシー、ベートーベンが聴きたくなる。『いつまでも…』を読んだ後は、しばらくショパンばかり聴いていた。そして、主人公の成長物語、さらにこの小説は、ミステリーの要素も結構強い。

岬の登場する次回作を読みたくなる小説だった。

『いつまでもショパン』にここでつながっているのかというのがあって、『いつまでも…』での、少しだけの読者サービスに納得。

ふとんにくるまって一気読みするのにいい小説だ。もちろんピアノ曲でも流しながら。

中山七里『いつまでもショパン』(宝島社)

2014-12-14 15:56:54 | 国内・小説
章構成は、プレリュードと四つの楽章からできている小説。基本、ミステリーのジャンルに入る。が、半分以上を占めているのではと思わせるショパンコンクールでのピアノ演奏についての描写が、音楽小説としての楽しさも発散させている。

冒頭、大統領専用機へのテロから始まる。そして、舞台はテロが勃発しているポーランド、ワルシャワでのショパンコンクールに移る。
主人公はヤン・ステファンスという18歳のピアニスト。ポーランドの期待を一身に集める、コンテスタント。ポーランドのショパンを継承すべくコンクールに臨む彼の成長物語にもなっている。それが青春小説的な雰囲気を出していて、それもまた楽しめる。
登場するコンテスタントは、フランス人の女性エリアーヌ、日本人の盲目のピアニスト榊場隆平。彼は辻井伸行がモデルではと誰でも思うキャラクターに作られている。また、もう一人の主人公岬洋介。この2人のピアノ演奏にヤンは翻弄される。そして覚醒する。他に兄がアフガニスタンで軍人として派遣されているアメリカ人、エドワード。中国人リーピンなどなど。そして、彼らの演奏が描写される。

 ハ短調から変イ短調への転調に時折主題が顔を覗かせる。
 わずかにテンポを速めながら、切なく訴えるように指を走らせる。
 そしてアルペジオを繰り返した後でいきなり右手を炸裂させた。
 (略)
 左手はオクターブで咆哮し、右手は鍵盤を破壊せんばかりに暴れ回る。

とか、

 フォルテシモの両手オクターブ。
 銛のような音がヤンの胸に深々と突き刺さる。
 ああ、まただ。
 放たれた銛の端は岬が握っている。こんな風に奥深く貫かれたら、後は岬の意のままに曳行されていくだけだ。
 控えめなヴァイオリンの前で岬は惜別の詩を歌う。ヤンはこの時点で喘いでいた。なんという哀しみだろう。岬のピアノは慟哭している。狂おしく荒野を彷徨いながら、天を仰いで号泣している。

とか、こんな描写に持っていかれる。

暴力的なテロの前で音楽は何ができるのか。音楽の力とは何か。そんなことへの問いも孕み、また、テロの悲惨と、それの持つ身勝手さへの言及も含みながら、小説は展開される。

最初、読み始めた時に仲道郁代のショパンを流しながら読んでいて、監修者を見ると、音楽監修が仲道郁代になっていた。テレビでこの人の楽曲分析を見たことがあるが、ホントに魅力的にチャーミングに楽曲分析をする人で、この小説の音楽監修もなるほどと思ってしまった。

あっ、事件はワルシャワのテロと、コンクール会場で起きた指十本を切断された殺人事件、そして、その犯人である通称「ピアニスト」をめぐって進む。
この事件の筋とコンクールの筋が二本の主要な流れを作る。そう第一主題と第二主題のように。もちろん、その二つは交互に重なっていく。

とにかく、ショパンが聴きたくなる小説だ。一気に数枚CDを借りてきてしまった。今は、ルービンシュタインで「ノクターン」を聴いている。他に、アルゲリッチ、ポリーニ、カツァリス、ユンディ・リがある。少しの間、ショパンに浸ってみよっ、と。
この小説の参考CDのアシュケナージは借りてきていない。最近、ちょっとアシュケナージは……という気分。