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県立「川の博物館」 日本一の大水車  寄居町

2013年07月09日 08時02分12秒 | 博物館



10年10月14日の埼玉県民の日。東武も西武鉄道も全線460円で一日乗り放題だというので、東武東上線の終点寄居まで出かけることにした。寄居町の荒川沿いにある県立「川の博物館」を見るためだ。

全国初の「水の体験型総合博物館」で、完成時には日本最大を誇った水車や、荒川に沿った地形を千分の一に縮尺した「荒川大模型173」、日本画家川合玉堂の陶板画(いずれも屋外展示では日本最大)がある。一度訪ねてみたいと思っていたからだ。

調べてみると、終点より二つ手前の鉢形駅が近い。歩いて20分の所にあった。水車は直径23m。岐阜県恵那市に1m長いのができたので、第2位になったものの、さすがに大きい。(写真)

木の劣化などで15年夏から稼働を中止していたが、建て替えが決まり、19年2月から解体作業が始まり、7月28日の完成式典で直径24.2mの日本一の木製水車に返り咲いた。

荒川の模型は、その延長173kmにちなんだもので、甲武信ヶ岳山中の源流から東京湾に流れ込むまでの全貌が立体的に分かる。玉堂の陶板画は、重要文化財に指定されている名作「行く春」を、長さ21m,高さ5mの信楽焼にして本館外壁に展示している。

この荒川の模型と館内の展示で、「荒川の西遷」とはどのようなものだったのかをやっと理解できた。西遷とは、関東代官頭だった伊奈忠次が荒川を治めるために考え出したもので、利根川の支流だった古荒川を熊谷の久下でせき止め、和田吉野川まで誘導、入間川を経て隅田川で江戸湾に流し込んだ。

利根川を常陸川に結びつけ,銚子へ流し、江戸を洪水から守った「利根川の東遷」と並ぶ江戸初期の大河川工事である。それまで利根川は、江戸湾へ注いでいた。

この展示は、ボックスの中で、裃を着た忠次の人形が地図を使って西遷と東遷の構想を説明する仕組み。何冊か本を読んでも、分かりにくかったが、この視聴覚による説明でなるほどと理解できた。百聞は一見に如かずだ。

このような河川の人工的な流路変更(付け替え)は、「瀬替」と呼ばれた。この瀬替で、荒川の原型が完成した。荒川の西遷工事を指揮したのが忠次の二男忠治である。

県内には、「元荒川」「古利根川」と「元」や「古」のつく川が残っているわけもよく分かった。

館内では、「船車」(船水車、水車船とも)の模型が面白かった。船の側面に水車を据え付けたもので、ふだんは固定されているが、増水すると移動、陸への引き上げも可能。江戸時代からあり、明治末期に全盛期を迎えた。

荒川には相当数あり、荒川上流の風物詩だったそうだ。玉堂の陶板画もこれをモチーフにしている。館内だけでなく、実際の川面に復元すれば、関心を呼ぶのでは・・・。

荒川の中下流の洪水地帯には、農家の敷地の一部を土で高く盛り上げ、蔵を建て、ふだんは食料庫、非常時には家族が一時的に避難する施設があった。信濃川や筑後川などにも同様なものがあり、呼び名も違う。荒川では「水塚(みずか)」と呼ばれた。その模型もあり、先人の水との戦いぶりがしのばれる。

秩父の山で伐採した木を下流に落とす「鉄砲堰」の実演は勇壮だし、荒川の舟運を担った帆船「荷船(にぶね)」(高瀬舟)も復元されている。荒川の魚を見せる小型水族館「渓流観察窓」も付属している。アドベンチャーシアターや荒川ワクワクランドなどの子供用施設も楽しめる。

荒川の流域は、県面積のほぼ3分の2を占める。埼玉県の「母なる川」である。「かわはく」と略称されるこの“荒川博物館”をあれこれ見回るうちに、日が暮れてしまった。



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