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高麗の里 マンジュシャゲ(曼珠沙華) 日高市

2011年09月26日 19時45分12秒 | 盆栽・桜・花・木・緑・動物

高麗の里 マンジュシャゲ(曼珠沙華) 日高市

朝鮮半島と埼玉県との関係が深いことを知ったのは、大学時代だった。オンボロの学生寮住まいで、まだ埼玉に何のかかわりもなかった頃、金達寿の「日本の中の朝鮮文化」を読んだ時である。

地方勤務を終えて、埼玉に住み始めた時、早々と訪ねたのが、高句麗からの渡来人が開拓した日高市の高麗の里だった。

日本で昔、「高麗」と呼ばれた高句麗は地理上では、旧満州の南部から現在の北朝鮮のすべて、さらに韓国に大きく食い込み、朝鮮半島の大半を支配していた国。668年、唐と新羅に滅ぼされた。

渡来人とは、現在のように、着の身着のままのアフリカなどの難民とは違う。国は敗れても、先進文化と技術を持っていて、国づくりが本格化しようとしていた当時の日本では大歓迎された。

日高市の巾着田(きんちゃくだ)のマンジュシャゲは、500万本と言われ、「日本一の群生地」の触れ込みである。15年10月から「ハギ」と並んで「市の花」になった。

11年の彼岸には、「咲いている」との新聞報道を確認してから訪ねた。前年は、「当然咲いている」と思って出かけたら、数本しか咲いていなかったからだ。

入場料200円(前年は咲いていなかったのでタダ)。入り口には「5分咲き」と書いてあった。早咲きと遅咲きの所が分かれているので、咲き方がずれるようだ。古木の上に咲いているのもあって、カメラが群がっていた。(写真)

全周してみると、あいあい橋(後述)の近くの斜面には白いのもあって満足した。

巾着田の名は、ハイキングコースの近くの日和田山(305m)の頂きから見ると、昔の巾着(財布)の形にみえるからだという。巾着などという言葉を若い人は覚えているのだろうか。

今回は、高麗川の迂回するとおりに歩いてみた。すばらしい清流である。川原に下りて水に触れるのが最高だ。

総面積は22ha。ヒガンバナは湿った場所が好きで、群生するのは、主に巾着の底と山から見て左の部分に当たる川沿いの地5.5ha。2kmの散策路ができている。

巾着の開け口には、平成8年に完成した歩行者専用の歩道橋「あいあい橋」がある。長さ91mの日本で最長の木製トラス(Truss)橋。トラス橋とは、橋下を三角形に組み合わせた梁で支える構造になっている。

なぜここにヒガンバナが群生するようになったか。最初は球根が流れ着いて、それを人手で増殖、日本でも有数の群生地になった。一日一万を超す見物人が押し寄せる(15年は27万人)ので、「巾着田の詩」という歌謡曲も売り出されている。

ところで、ヒガンバナは一般に、田んぼの土手、畦や墓場の周囲に生えていることが多い。根に「リコピン」という毒があるので、モグラや野ネズミが穴をあけないよう、人工的に植えられたのだという。

稲や、土葬だった遺体を損傷から防ぐためだ。その根茎が強いので、畦補強のために植えたという説もある。

地下茎にはデンプンが含まれ、長時間水にさらせば無毒化して食用になるので、昔は飢饉対策に植えられたと、聞いたこともある。薬にもなるそうだ。

奈良の飛鳥を歩いた頃、あぜ道に咲いていたのを思い出す。

全国には30の方言(50超とも)があるようで、咲いている場の連想から「死人花」「幽霊花」「地獄花」とも呼ばれる。日本では不吉な花のイメージが強いのに、外国では観賞花としてリコリスと呼ばれ、いろいろな品種が開発されている。

それにしても曼珠沙華とは難しい名前だ。サンスクリット語の仏教用語。「天上界の花 赤い花」という意味だそうで、おめでたい事が起きる兆しに赤い花が天から降ってくるという法華経などに由来するとか。

「マンジュウシャカ」という読み方もあるようで、山口百恵の「曼珠沙華」では、「恋する女はマンジュウシャカ」と歌われているのを、覚えている方もいるだろうか。私は聞いたことはない。



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