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JR浦和駅と周辺の新世紀

2013年03月17日 05時47分05秒 | 街道・交通

2013年3月16日、県庁所在地の表玄関なのに、かつて「列車が停まらない」とか「特急が停まらない」駅とからかわれたこともあるJR浦和駅が、ようやく名実ともに“埼玉県の首都”(上田埼玉県知事)としての体裁を整えた。

この日のダイヤ改正で、これまで通過していた湘南新宿ラインも、新ホームが完成したため、始発から全列車134本が停車するようになった。横浜まで直通で約55分で着く。

同じ日、県庁のある東口と、「パルコ」もできて開発が進む西口の間も、13年にわたる工事で、高架下に幅25mの東西連絡通路が全面開通した。

湘南新宿ラインに加え、JRと東武鉄道の直通特急「日光」「きぬがわ」「スペーシアきぬがわ」の上下8本も停車し、日光・鬼怒川エリアへの観光も便利になった。

湘南新宿ラインは、朝夕の通勤時間帯の混雑緩和のため、それぞれ1本増発された。

浦和駅は1883(明治16)年、当時の日本鉄道が上野―熊谷間を開業した際に開設された。13年で130周年を迎えた。

1932(昭和7)年、赤羽―大宮間の電化で省線電車が開通したものの、浦和駅には電車だけで列車が停車しなくなった。このため大宮以北から県庁へ来るのに、大宮で乗り換えなければならなかった。

「列車が停まらない県庁所在地」と呼ばれたゆえんである。

この事態は、1968(昭和43)年の赤羽―大宮間の3複線工事の完成で、列車が再停車するまで続いた。

浦和駅にはもう一つ問題があった。通り抜ける連絡通路が無いので、駅が「ベルリンの壁」のような形になって東と西口が分断され、浦和の都市づくりの大きな妨げになっていたのである。反対側に出るには、遠回りしなければならず、急ぐ人は入場券を買って、出るほどだった。

広くなった連絡通路を歩いてみると、自由に行き来できるので、東西浦和が一体化したことを実感できる。駅が障害物ではなく、東西を融合させる媒体となった。人の流れが変わり、21世紀の浦和づくりに貢献することになるだろう。

残念なのは、駅の東西連絡通路には東西の土地の高低差のため階段があり、「自転車お断り」になっていることだ。

せっかく、「ツール・ド・フランス」の誘致に成功するなど、自転車による町づくりを目指しているのに、なにか良い知恵は無かったのだろうか。

高架下には、この連絡通路のほか、駅南側の田島大牧線が幅25mに拡幅され、その南に幅8mの自転車・歩行者道が新設される。駅北側の階段のある幅10mの自転車・歩行車道は、自転車に乗ったまま通行できる緩やかなスロープに改善、そのすぐ南には幅10mの歩行者道が新設される。

合わせて5本の東西通路ができるわけである。

JR東日本は14年度開業を目標に、高架下計8600平方mに大型商業施設の「アトレ」や、西口の旧駅舎跡地に17年度完成見込みで6階建て駅ビルを新設する。西口にはまた、国道17号に至る県庁通りを、歩道をバリアフリー化、自転車レーンも設置する予定。

隣接する約1.8haの南高砂地区には、27階地下3階の高さ約99mのタワービル(4階までは商業と業務)が建設される。5階から27階は約520戸のマンションで1500人以上が入居する。15年度に着工、早ければ18年度に完成する。

浦和駅周辺には19の商店会があるという。全部が完成すると、川口駅前に劣らず浦和駅周辺の光景は一変するだろう。



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