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埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

「東武スカイツリーライン」 東武伊勢崎線

2012年03月15日 05時04分36秒 | 街道・交通


昔と比べて、浅草がすっかり落ち込んでいるので、「東武伊勢崎線」といっても、どこが始発か分からない人さえ増えてきている。

浅草が全盛だった頃は知らない。沿線に竹の塚、草加、越谷、武里とずらり並んだ第二次大戦後の団地ブームの時期に比べると、地盤沈下が目立つ草加は入居当時、約6千戸、「東洋一のマンモス団地」と言われた。

春日部市の武里団地に住んでいて、始発の浅草駅や地下鉄日比谷線の乗換駅北千住を毎日通勤に使っていたことがあるので、よく分かる。

この線は、埼玉県東部を走り、栃木、群馬県を結ぶ大動脈ながら、西部を走る同じ私鉄の東武東上線や西武池袋線(池袋始発)、西武新宿線と比較すると、いま一つ活気がない。

“西高東低”の感じがある埼玉県だが、2012年5月22日開業の世界一の高さを誇る東武鉄道の東京スカイツリーのおかげで「東武伊勢崎線」にもようやく日が当たろうとしている。

スカイツリーは、この線の業平橋駅の脇にある。業平橋は浅草を出て最初の駅である。

開業に先立ち3月17日から、この駅は「とうきょうスカイツリー駅」に変わった。平安時代の日本一のイケメン在原業平は、武蔵国(むさしのくに)との縁が深い人なので、その名が駅名から消え去るのはさびしい限りだ。

 名にし負(お)はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと (古今和歌集)

駅名の変更とともに、東武伊勢崎線の浅草駅から東武動物公園駅までは「東武スカイツリーライン」の愛称で呼ばれることになった。

県内は谷塚から東武動物公園までの17駅。東武動物公園駅以北は東武伊勢崎線のままだ。沿線には草加、越谷、春日部の3市と宮代町がある。

浅草駅と日光・鬼怒川を結ぶ観光特急「スペーシア」は、東京スカイツリーのイメージに合わせて、車体が紫、青、オレンジを基調にした塗装に変わった。「とうきょうスカイツリー駅」にも停車し、観光客呼び込みを狙う。

松並木の続く草加市の「草加松原」には、松ノ木が623本あった。あと11本植えれば634本になるというので、商工会議所や観光協会など関係3団体が高さ2・5mのクロマツ11本を贈呈、植樹。スカイツリーの高さと同じ数になった。

これにちなんで、「草加武蔵(634)松原」などと名づけたら、ここを歩いた芭蕉ともども再評価されることになるかもしれない。草加せんべいにもスカイツリーせんべいが出てきそうだ。

東武伊勢崎線を春日部駅で東武野田線に乗り換え、岩槻、大宮方面に向かって二番目の駅、豊春の近くには、小さいながら「業平橋」があり、「古隅田川」に架かっている。明治時代に架けられた県道の橋だが、もとは百メートル上流にあり、付近に在原業平の舟塚があったという。

一番目の八木崎駅近くの八幡神社には「名にし負はば・・・」のいわれを彫った都鳥の碑がある。都鳥とはユリカモメのこと。古隅田川は、かつての隅田川で、武蔵国と下総国(しもうさのくに)の境界だったという。

業平がこの歌を詠んだのは、現在の隅田川に架かっている「言問橋」ではなく、春日部市のこの橋だったかも知れないのだ。

業平橋駅の名が消えるなら、春日部市の業平橋を売り出したらどうか。

隅田川といえば、有名な謡曲「隅田川」がある。京都の貴族の子、梅若丸が人買いにさらわれて隅田川のほとりで落命。追ってきた母がそのことを知り、池に身を投じて死ぬ悲劇である。

その梅若丸をしのぶ梅若塚も近くの満蔵寺にある。





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