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日本の航空発祥の地 所沢市

2013年07月07日 15時11分24秒 | 名所・観光


現役時代、羽田空港のクラブで、航空問題をカバーしていたことがあるので、飛行機に対する関心は人一倍強い。

所沢市の約50haの「県営所沢航空記念公園」は、県内最大規模の都市公園だ。日本で初めて「陸軍所沢飛行場」ができ、飛行場を使って初めて飛行機が飛んだ所なので、何回か来たことがある。2025(平成23)年はそれから100年になるというから、思い入れはひとしおだった。

航空発祥記念館も4月2日にリニューアルオープンしたというので、暇を見つけてまた訪ねてみた。

西武新宿線航空公園駅東口から歩く。日本で初めて飛行したアンリ・ファルマン機をイメージしたこの駅は関東の駅百選に選定されている。公園入り口近くに第二次大戦後日本で初めてできたターボプロップ「YS-11型」中型旅客機が目に入る。懐かしい機である。

公園に入ると、米軍払い下げの「C-46型」輸送機の近くに「所沢航空発祥100周年記念碑」が立っていた。

ここには1911(明治44)年4月1日、幅50m、長さ400mの飛行場が完成した。その4日後の4月5日午前5時37分、徳川好敏大尉が操縦するフランス製複葉機「アンリ・ファルマン」が、1分20秒間、高度10mで800m飛んだ。次に米国製のライト兄弟機で日野熊蔵大尉が飛んだ。こんなに朝が早いのに数千人の見物人が押し掛けたという。

当時、飛行場は「空を飛ぶ夢のような乗り物」にお目にかかれるというので、周辺には桟敷が敷かれ、見物人でにぎわった。初物好きで、好奇心旺盛な日本人は昔からいたのだ。

その4か月前の10年12月19日、東京代々木練兵場(現代々木公園)で、この徳川大尉のファルマン機が日本で初飛行、次いで日野大尉はドイツ製のハンス・グラーデ機で飛んでいた。

所沢飛行場は、このフランス製2機、ドイツ製1機、米国製1機の4機でスタートした。国産機や飛行船の開発の拠点になり、翌年には初の国産民間機「奈良原式第2号機」、最初の国産軍用機「会式1号機」が完成した。

日本初の航空機事故もこの公園近くで発生、その記念碑が立っている。1913(大正2)年、東京・青山練兵場からこの所沢飛行場に帰還中、突風のため左翼が破損、操縦学生、木村鈴四郎・徳田金一両中尉が乗るフランス製ブレリオ機が墜落・死亡した。ブレリオ機は単葉機で、当時世界最高性能といわれた。

1916(大正5)年、大阪まで飛んだ国産飛行船「雄飛号」ができたのもここだった。

1919(大正8)年、当時最先端の航空機製造国だったフランスは機体のセールスを兼ねて、航空教育団(63人)を派遣、約15カ月、航空技術を指導した。陸軍航空学校も設置された。その団長で空軍将校のフォール大佐の胸像が所沢公園に残っている。2019年は100年に当たるのを記念して、教育団の子孫も来日、4月7日記念式典が開かれた。

食べたことはないが、「フォールカツレツ」がフランス人たちが通った「市内の割烹 美好」に残っているという。 当時、フランスで修業を済ませ、日本の西洋料理の先駆者として知られたシェフが、ここにいたことに驚く。

プロペラにちなんだ「プロペ通り」「ファルマン通り」「飛行機新道」という名の通りもあり、所沢銘菓「ファルマン」や焼き菓子「雄飛焼」もある。所沢は飛行機がらみの町である。

県内最大規模の都市公園だから、運動場、野球場、テニス場、子供冒険広場、日本庭園・茶室、ドッグランなどもある。桜の季節には約500本、フジ、アジサイ、ユリノキなど四季を通じて花木が楽しめ、子供たちや市民の憩いの場所だ。



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