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花田苑  能楽堂 越谷市

2014年06月16日 18時49分56秒 | 名所・観光



「五月晴れ」とは文字どおり「五月の晴れの日」のことだと思っていた。確かにそのように使われることも多いものの、本当は「梅雨の晴れ間」のことだという。あわてて辞書を引いてみるとそのとおりである。

五月晴れを絵に描いたような6月14日(土)、前から気になっていた越谷市立の日本式庭園「花田苑」を訪ねた。

老夫婦や子供連れの夫婦など、なんとなく人が多いなと思って聞いてみたら、前夜NHKで紹介されたためだった。

「花田苑」とは風流な名前だ。「花田」とは地名である。新方川に面した地域で、公園が多く、「花田苑」には「花田第6公園」という別名がある。地図で確かめると、この地区には第1から第6までの花田公園の他、新方川緑道には「花田スポット公園」もある。

花田の少し北には「キャンベルタウン野鳥の森」。キャンベルトウンとはオーストラリアの姉妹都市の名前だ。

西には藤で有名な総鎮守「久伊豆神社」や「緑の森公園」「アリタキ植物園」もある。天気のいい日にぶらぶら散歩するにはうってつけの地域である。

「水郷こしがや」とか「川のあるまち」と呼ばれるように、越谷市には元荒川、葛西用水など多くの川や用水が流れ、それぞれに緑道がついているので、「水と緑のまち」を実感できる。

市役所に近い、元荒川と葛西用水をまたぐ斜張橋(真ん中の塔からケーブルで橋げたを吊る橋)「しらこばと橋」が市のシンボルになっている。

市役所東側の葛西用水沿いには180mの「葛西用水ウッドデッキ」が完成、音楽やダンス、地場農産物の直売などに利用されている。

JR武蔵野線の越谷レイクタウン駅前の「イオンレイクタウン」は、国内最大のスケールで、東京・上野の不忍池の約3倍の広さの大規模調整池に面しているエコ・ショッピングセンターである。

敷地2.6平方mの広大な「花田苑」は、驚きでいっぱいだ。オープンしたのが1991年、隣接している「こしがや能楽堂」は1993年だから、他の日本式庭園や能楽堂に比べ、新しさが魅力である。

作庭したのは中島健氏。モントリオール万博日本館や日本芸術院などの名園を残した戦後を代表する造園家だった。

当時の島村慎市市長らが「市民が誇れる日本文化の伝承拠点を」と、区画整理事業で生まれた近隣公園用地を全国で初めて日本庭園に活用したのが花田苑だった。

入り口には堂々とした長屋門がある。江戸時代の名主だった大成町の宇田家の長屋門を原寸どおり復元した。

典型的な回遊式池泉庭園だから、真ん中に4000平方mの池があり、木橋があり、石橋があり、飛石がある。小さいながら灯籠もある。小さな茶室や四阿(あずまや)、滝もしつらえられていて、水の垂れる音がする。(写真)

池には大きな緋鯉が悠然と泳ぎ、数こそ少ないものの、トンボも蝶も飛んでいる。林の中からシジュウカラのような泣き声が聞こえてくる。

琴や三味線のバックグラウンド・ミュージックを聴きながら。豆砂利の道を歩いていると、「埼玉にもこんな所があったのか」とうれしくなってくる。

7月には蛍観賞の夕べも開かれる。

銅版ぶきの能楽堂も目を見張るばかりだ。日本建築の粋を集めたような造りで、能舞台は樹齢400年の木曾ヒノキを使用した。

観世流の能楽師、関根祥六さんが市出身の縁から、「こしがや薪能」の開催など「能楽によるまちづくり」を目指して、地域のシンボルとして建築された。建物は全国でも数少ない屋外の能舞台を持つ。総工費は能舞台7.8億円、花田苑10.5億円だった。

四半世紀を経て、庭園の約1万4000本の植栽は大きく育ち、季節の花も約50種類ある。

「日本文化伝承の館」と名づけられていて、邦楽や日本舞踊、詩吟、茶道、華道など伝統芸術の拠点施設になっている。9月の薪能は毎回満席だ。

庭と言えば県内では、飯能市の能仁寺の「池泉回遊式蓬菜庭園」は、桃山時代の作とされ、「日本名園百選」に入っている。



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