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大谷ホタルの里 さいたま市

2016年06月06日 13時01分08秒 | 名所・観光


1260haと広大な見沼田んぼが昔、本当の田んぼだった頃、源氏ボタルの名所として知られていた。江戸時代には「大宮の蛍狩」の版画が有名だったし、明治中頃から宮中などにも数千匹の単位で献上されていたという。

ホタルがいなくなったのは、田んぼが少なくなったからである。今や見沼の本当の田んぼの割合は6%を切っている。それも加田屋(かたや)新田など一部に限られていて、農家ではなく、委託されたNPOが米育ての体験農園として使っているところもある。

新田の北側にあるさいたま市の「大谷ホタルの里」で、源氏ボタルが飛び始めたというので、梅雨入りを翌日に控えた16年6月4日(土)、見沼田んぼのベテランガイドの案内で、ほとんどが女性の観賞ツアー客と一緒に現地とその周辺を訪ねた。

見沼は何度来たか数えられないほど来ていて、この里も昼間には何度も訪れたことはあるものの、夜間出かけるのは初めてだった。

 子供の頃は、鹿児島の田舎に住んでいたので、近くの小さな川にそれこそホタルが飛び交っていた。上京して、さいたま市に住むようになって、時々ホタル狩りに出かけたものの、見るのは平家ボタルだけ。源氏ボタルを見たことはなかったので、行く気になったのだ。

ガイド氏の資料によると、源氏ボタルは平家ボタル(8mm前後)の2倍ほどの大きさで体長15mm。身体が大きいので、光も明るい。成虫時、源氏の背中には十字架のような模様があるが、平家には縦に一筋の線があるだけ。

 源氏が曲線を描いて飛ぶのに対し、平家は直線的に飛ぶ。食べ物は源氏が主にカワニナなのに、平家はタニシ等の淡水生巻貝という。食の範囲が広いので平家の方が飼育しやすい。

 大きな違いは飛び始めの時期である。源氏が6月初めから、平家はひと月遅れの7月からだ。ホタルのシーズンは源氏とともに始まるわけだ。

 「ホタルの里」は、見沼区の「七里総合公園」と「思い出の里市営霊園」の間の西福寺の東側斜面林にあり、井戸から水を引く水路などがつくられ、自然環境の中でホタルがみられるようになっている。

 掲示板が立っていて、道をたどれば低い柵越しにホタルを眺められる。

 この夜はシーズンの初めの土曜日とあって、近くの路上には多くの車が駐車、子供連れの家族や子供の団体など多くの人が詰めかけていた。

 しかし、ホタルはなかなか気難しい昆虫のようで、日が暮れて暗くなればすぐに発光し始めるわけではない。

ガイド氏の話では、8時頃以降で、曇天で蒸し暑く、風が弱いという条件が整う必要がある。そのうえ「雨が降ると光らない」とのことで驚いた。

 この日は何とか条件にかなったようで、水路の向こうの林の葉陰にいくつかの光が点滅するのが見えた。見えたといっても、光りっぱなしではなく、すぐ暗くなってしまう。

 いくつかの光は左右、中央の3か所で見られた。「どうか飛んでくれ」と待っていると、一匹が左の葉陰から右の葉陰へと飛んだ。「観客の気持ちを察したショウマンシップをわきまえた立派なホタル芸人だ」と、思わず拍手したくなる。

 続いて飛んでくれないかと待っているのに、後続ホタルは出ない。葉陰のホタルは時々ついたり、消えたり。小一時間になるととだんだん飽きてきて、帰る人も出てくる。

わがグループも帰りの車の方に動き始めたので、しんがりについて歩いていると、右の葉陰の下から1匹のホタルがするすると上がってきて、飛行の姿を見せてくれた。

飛んでいるのを見たのはこの2匹だけで、左右の葉陰で光ったり消えたりしていたホタルを全部数えても、見物人の方が多かったような気がする。小型のデジタルカメラでは手におえないと、はやばや撮影はあきらめた。

 このブログではホタルの数を数えるのに「匹」を使った。ガイド氏によると正確には「頭」と数える由。トンボやチョウ、アリなどの昆虫も同じで、象やライオン同様に「頭」なのだそうだ。

 住み着いたホタルも増えてきたが、毎年幼虫を放流、えさのカワニナも自給できておらず、見沼田んぼの別のところで採取しなければならないようだ。

 歌の文句にあるように、「ホタルが飛び交う」姿を見るには、何度も根気よく通う必要がありそう。文字どおり群舞や乱舞が見られるようになるのはいつのことだろうか。



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