ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

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川越まつり 

2013年08月08日 16時02分31秒 | 名所・観光

川越まつり 

川越市は「小江戸(こえど)」と呼ばれる。

「世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかり」と言われるそうだ。確かに他の小江戸を売り物にする市、例えば栃木市や千葉県佐原市などに比べると群を抜いている。

大田道灌の像は関東でいろんなところで見かける。川越市役所前に立つ銅像は、市制50周年に庁舎を新築した際にできた。その碑文には、小江戸どころか「川越城、江戸城を築いて川越の文化を江戸に移したので川越は江戸の母と呼ばれた」とあるので、驚いてしまう。

江戸城ができた頃は、川越の方が江戸を上回る先進地で、「逆に江戸が小川越だったのか」と思うと愉快である。

その川越市が、12年に市制90周年を迎えた。それを記念した川越まつりが10月20、21日の週末に開かれたので、久しぶりに出かけた。(写真)

川越市は人口35万人。今でこそ県都さいたま(約126万人)や川口(約59万人)に次ぐ第3位ながら、江戸時代の繁栄を引き継ぎ、1920(大正9)年の第一回国勢調査では、当時の川越町は、約2万5千人で大宮町、浦和町をはるかにしのいでいた。

このため、市になったのは県内で初めて。札幌市などと同じ1922(大正11)年だった。

ちなみに、浦和市が市になったのは1934(昭和9)年で、全国の県庁所在地で最も遅く、県内では川越、熊谷、川口に次ぐ4番目だった。

火力、水力発電所ができて、最初に電灯がともり、電車が走ったのも県内初。埼玉県のトップランナーだった。今でも繁華街はさいたま市大宮区に次ぐ第2位のにぎわいを誇る。

ウィキペディアによる川越市の記述は、微に入り細にわたり、実に面白く、こんなのを読んだのは初めてだ。

その川越市の基礎を築いたのが川越藩主だった松平信綱だった。「知恵伊豆」と呼ばれたほどの頭の持ち主。「天草の乱」を終息させた功績で、忍藩の藩主から川越藩に栄転した。

川越でも街の整備をもちろん、江戸と結ぶ新河岸川の開削、川越街道の改修など江戸と川越の距離を縮めたほか、玉川上水や野火止用水を造らせた川越の恩人である。墓は、野火止用水に隣接する紅葉の名所平林寺(新座市)にある。

この川越まつりも、1648年、信綱が総鎮守氷川神社に神輿、獅子頭、太鼓などを道具を寄進して、祭礼を奨励したことに始まる。

最初は氷川神社の神輿行列だった。元禄の1698年、江戸の祭りの花形だった「踊り屋台」が初めてお目見え、現在のような笠鉾形式の山車になっていった。

江戸の日枝神社の「山王祭」と神田明神の「神田祭」の祭礼行列の山車は、一年交代で江戸城に入り、将軍も見物したため、「天下祭」と呼ばれていた。

ところが明治に入ると、東京は市電の架線が張り巡らされ、背の高い山車の引き回しが困難になった。山車の巡行は姿を消し、神輿中心になった。

川越では、山車を中心とする江戸の天下祭の豪華絢爛さが350年の時代を超えて引き継がれている。05年には「国指定重要無形民俗文化財」に指定された。

江戸型の二重鉾で、最上部にはせり上がり式になっている豪華な衣装の歴史的人物の人形が立つ。信綱を初め、道灌、徳川家康、家光、川越ゆかりの川越太郎重頼(源頼朝の命で娘を義経に嫁がせ、誅殺される)、仙波二郎安家(川越市仙波を治めていた頼朝の御家人)など27町会の29台の山車がある。

川越市も「猩猩」の山車を持ち、幸町は2台持つ。川越まつり会館では本物の山車を、2台ずつ入れ替えながら展示しているので祭りがなくても見物できる。

街角で山車が出会うと、川越の山車の最大の特徴である360度回転する「回り舞台」を使って囃子台を向き合わせ、囃子合戦をする「ヒッカワセ」がまつりの呼び物だ。

例年なら15台くらいなのに、90周年とあって、10年ぶりに29台全部が登場した。高さ約8m、重さ5~6tの巨体。

蔵造りの町並みの通りに沿った巡行経路には見物人があふれ、まるで朝のラッシュ時の駅のホームのような混雑ぶり。

余りの人並みに押され、モンドセレクションで最高金賞を得ているサツマイモが原料のビール「COEDO紅赤」を初めて飲んで早々に退散した。

市観光課によると、二日間で100万を超す人出があったとのこと。川越の人口の実に3倍だ。

「川越氷川祭の山車行事(川越まつり)」は16年12月1日、全国33の「山・鉾・屋台行事」の1つとしてユネスコ(世界教育科学文化機関」の無形文化遺産に登録されることが決まった。

この影響もあって、17年の川越市を訪れた観光客は、計704万人、初めて年間700万人を突破した。外国人観光客数も17万1000人と前年比43・7%(5万2000人)と大幅な伸びを見せ、国内全体の21・8%増を大きく上回った。

名所別では「川越まつり」が98万5000人、「時の鐘」が前年と同じ110万人、「菓子屋横丁」が25%増の100万人だった。

18年は前年比11%の734万人で過去最高、外国人観光客は同42%増の28万人で過去最高。国籍は台湾、タイ、香港、中国の順だった。


 



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