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県立自然の博物館 長瀞町

2012年10月28日 14時49分53秒 | 博物館




改修工事で休館していた長瀞町の「県立自然の博物館」が12年10月6日、1年1か月ぶりにオープンした。

秩父地域1市4町(秩父市、横瀬町、皆野町、長瀞町、小鹿野町)は2011年、国内で15番目の「日本ジオパーク」に認定された。その拠点になるはずの施設なので、期待して出かけた。

長瀞駅から一つ秩父寄りの上長瀞駅(秩父鉄道)で降りるのは初めてだった。駅からすぐ近くの荒川を臨むところにある。

荒川の館側(左岸)には、虎の皮の模様に似た有名な「虎石」があり、それを詠んだ宮沢賢治の歌碑が館の近くに立っている。

「日本地質学発祥の地」と大書した大きな石碑もある。東京帝国大学地質学科が設立された翌年、ドイツ人の初代教授エドムント・ナウマン博士が長瀞で調査したのがきっかけで、重要な研究拠点となり、多くの地質学者を育てたのを記念するものだ。

県内に自生する21種40本のカエデを移植した「カエデの森」も前庭に新たにできていた。道路の向こうには「月の石もみじ公園」もある。

天文学ほどではないが、地質学は地球の誕生以来をテーマとし、何億年とか何千万年というとてつもなく長い時間を対象にするので、歳をとればとるほど面白くなって来る。

館の目玉は、巨大ザメと恐竜の復元模型だ。

入ると、天井に巨大ザメの全身模型が吊るされ、正面にそのあごの復元模型が置いてある。

1986年、深谷市菅沼の約1千万年前の荒川河床の地層から、歯の化石がまとまって全部で73本見つかった。一尾のサメの歯で、上下の歯列がほぼそろっていた。これだけの数の歯が発見されたのは世界でも初めてだった。

これに基づいて、高さ約1.8m、幅約1.6m、奥行き1.3mのサイズで復元されたのがあごの模型である。

あごから全長を推定、天井に吊るしているのが約12mの全身。学名は「カルカロドン メガロドン」。ギリシャ語で「カルカロドン」は「ギザギザの歯」、「メガロドン」は「大きな歯」を意味する。

この模型を見ると、ギザギザに並んだ三角形の鋭い歯が印象的だ。あごは大きく開き、クジラなどを捕らえて食べていたらしい。

この巨大ザメは、今から400~2500年前に世界の暖かい海に生息していた。日本は元、大陸の一部だったが、日本海の形成が始まり、関東から新潟にかけて太平洋と日本海をつなぐ海ができていた。

約1500万年前には埼玉県の大部分は海で、奥秩父の山すそまで海が広がり、秩父盆地は東方の開く入り江で、「古秩父湾」と呼ばれていた。

海なし県の埼玉の秩父に暖かい海があり、このような巨大サメが泳いでいたとは、想像するだけで楽しい。

秩父市大野原の約1500万年前の地層から「チチブクジラ」と呼ばれる体長4~5mのヒゲクジラも見つかっている。

もう一つの見ものは恐竜である。1975、77年に秩父市大野原の荒川右岸で、頭骨、肋骨、背骨などが発掘された。これも1500万年前と推定され、「歩く」「泳ぐ」「食べ物をあさる」の3体の骨格が復元されている。(写真)

学名は、「パレオパラドキシア」という海獣で、ラテン語で「昔の変わり者」という意味。臼歯が海苔巻きを束ねたようになっている。

歯の生え方や骨格の発達状況からまだ成長途上だったと考えられ、体長約2.3m、体高約1mと推定されている。

この仲間は、長い間正体不明で、「幻の海獣」、「世界の奇獣」と呼ばれていた。

歯の形から海辺の海草や貝、ゴカイなどを食べていたらしい。カバのような身体をしていたと考えられている。海獣だから泳ぐこともできた。

この二つのほか見逃せないのが、アケボノゾウの骨格復元である。現存するアジアゾウ、アフリカゾウとは全く別の系統で、約60万年ほど前に姿を消したとされる。

約60~250万年前に生きていたゾウで、狭山市笹井で化石が発見された。埼玉にかつて巨大ザメが泳ぎ、海辺に恐竜がのし歩き、時代こそ違えゾウまでいたと思うと思わず楽しくなる。



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