2014(平成26)年は、秩父札所34ヶ所観音霊場の開創780周年に当たる。12年に1度の午歳(うまどし)総開帳の年である。
3月から11月までは、全札所の厨子(ずし)の扉が開かれていて、普段は秘仏としてお目にかかれない観音様をじかに拝顔できるばかりか、「お手綱(たずな)」と呼ばれる外に出された綱の片方を握ると、観音様と手をつなぐこともできるからというから有難い。
午歳に総開帳をするのは、馬が観音様の眷属(一族)だとされるからとか、開創の1234年が甲午(きのえうま)歳だったからだという。
目ぼしい札所はもう何か所も訪ねた。一番行きたかったのは名前も素敵な23番音楽寺だった。秩父駅から歩いても行けるところにあるので、「いつでも行ける」とこれまで敬遠していたのに、4月5日、花見の帰りに思い切って出かけた。
訪ねたかったのは、音楽好きなこともある。この寺は、その名から音楽を志す人たちが、ヒット祈願などのために訪れることで知られる。
この寺の御詠歌は
音楽のみ声なりけり 小鹿坂の 調べにかよう峰の松風
である。
札所を開いた権者(ごんじゃ 仏・菩薩が衆生を救うため仮の姿で現れた者)13人が、松風を聞いて、菩薩の音楽を感じたために「音楽寺」と名づけられたという。本堂の裏手に13人の石仏が立っている。山号は「松風山」である。
音楽好きと言っても声を上げることしか音楽には能がない。この寺に来たかったのは何よりも、秩父事件の始まりに関係するからである。
1884(明治17)年11月1日夜に椋神社に集結、「困民党」を名乗って蜂起した農民たちが小鹿坂峠を越えて南下して、2日にこの寺に集結した。寺の鐘楼の梵鐘(吊り鐘)を打ち鳴らし、約3000人が大宮郷と呼ばれていた秩父の町に駆け下っていった、その現場をこの目で見たかったからだ。(写真)
境内には「秩父困民党無名戦士の墓」と書いた石碑があり、「われら 秩父困民党 暴徒と呼ばれ 暴動といわれることを 拒否しない」と刻まれている。
秩父人の心意気である。
秩父駅から来ると、荒川をまたぐ530mの「秩父公園橋」を渡る。主柱から斜めに張った鋼鉄製のケーブルで橋を支える斜張橋が、楽器のハープに見えるので「ハープ橋」とも呼ばれる。
音楽寺は、秩父市と小鹿野町にまたがる約4kmの秩父長尾根丘陵沿いに開かれた「秩父ミューズパーク」の北口を入って間もない右手にある。
秩父札所中最高の景観と言われるとおり、この寺から見下ろす秩父の市街地の眺めは絶景というに値するだろう。右手に削り取られた武甲山が見える。
近くに展望すべり台、展望台を兼ねた「旅立ちの丘」があることからも眺望の良さが分かるだろう。梅林、四季の百花園も近くにある。
「旅立ちの丘」は、1991年に近くの影森中学校の校長小嶋登(故人)が作詞、女性の音楽教師坂本(旧姓)浩美が作曲、今では全国の卒業式でトップの人気になっている「旅立ちの日に」にちなんだものだ。影森中の生徒によるコーラスも流れる。この二人は、県から「彩の国特別功労賞」が贈られた。
「ミューズ」とは、ミュージック(音楽)などの語源になっているギリシャの芸術の女神の名をとったもので、音楽堂、野外ステージなどの文化施設のほか、約50面のテニスコートやフットサル、流れるプール(夏季)、サイクリングセンターなど多彩なスポーツ施設やコテージ(100棟)がある。
尾根を走るスカイトレイン、自転車、歩行者用の「スカイロード」の両側には約3kmのイチョウ並木があり、癒しの森・花の回廊もあって、シャクナゲ、アジサイ、スイセン、サルスベリ、十月桜など各種の花が1年中楽しめる。
年間170万人が訪れるという。
一本のモミジでこんなに素晴らしい巨木を見たことはない。
12年11月17日に歩き仲間と訪ねた、秩父札所8番の西善寺の境内にあるコミネモミジである。
思わず
小倉山峰の紅葉心あらばいまひとたびの御幸待たなん
百人一首の歌を口ずさみたくなるほどだ。
目の前に武甲山が迫り、削られてはいても、威容を見せる。
埼玉県の指定天然記念物で樹齢約600年。
幹回り3.8、高さ7.2m、枝の幅は南北18.9、東西20.9、傘回り56.3m
というから、高さよりも枝が四方にひろがり、その広がりの輪が大きいことが分かる。初めて見ると圧倒されるほどだ。太い幹はまるで波のようにうねり、風格を感じさせる。(写真)
関東地方では最大のモミジと考えられるという。
西善寺が、「東国花の寺百ヶ寺 埼玉1番」に指定されているのもうなずける。関東1都6県の「花の寺」と称される寺院が集まり、01年にできたもので、モミジは花ではないものの花として扱われている。
11月中旬の紅葉シーズンには、札所参り・御朱印以外の見物人や写真撮影者からそれぞれ100、200円を任意で徴収している。昨年集まった20万円余はコミネモミジ基金として、軽自動車が東北大津波の被害地、気仙沼商工会議所に寄贈された。
このモミジは東北復興にも役立っているわけである。
モミジに興味を持ち始めたのは、前年、川口市安行のモミジ専門植木園「小林もみじ園」を訪ねて以来である。約3千坪に400種余が植わっていて、まるで植物園のようだ。
そのホームページなどを読んでいると、「日本はカエデ科植物の宝庫」だと分かる。
植物学では、モミジもカエデも「カエデ」といい、どちらもカエデ科カエデ属に分類されている。モミジという科も属もない。その区別は主に盆栽や造園業で行われている。
カエデは、カエルの水かきのように葉の切れ込みが浅いので、蛙手(かえるて)から「カエデ」、モミジは「紅葉ず(もみず)」という動詞の古語が転じたもので、葉の切れ込みが深く赤ちゃんの手に似ている。葉は5枚以上。
西善寺のコミネモミジは、数えてみると葉が五つに分かれていた。
日本の代表的なモミジ、イロハモミジ(別名タカオカエデ)は葉が5-9裂するので、イロハモミジの一種なのだろう。
世界的にみてカエデは、数多くの野生種が凝縮したように日本に自生している。紅葉が美しく、モミジとして親しまれているカエデは、中国や朝鮮半島に数種の自生があるだけで、それ以外は日本列島にあるのだそうである。
日本は「さくらの国」であると同時に「モミジの国」なのだ。
もみじは春モミジも含め、日本には原種、園芸品種合わせて400種類以上あるというから驚く。
モミジは秋だけでなく、春の芽吹きも夏の緑葉も真冬の雪化粧も美しい。今度はその季節にも訪ねてみよう。
「花の寺」というだけあって、初夏にはボタン、初秋には約30本のキンモクセイ、さらにムクゲやサルスベリ・節分草・福寿草なども咲き、年間を通じ花を楽しめるというから。
「ぼけ封じの寺」の別名もある。