法性寺(ほうしょうじ)は、珍しいものが多い札所である。
山門は、秩父札所で唯一の鐘楼門。2階建てで、1階に仁王、楼上には鐘を吊ってある。
本尊に代わってその前に安置されている本堂の「お前立ち観音」は、船の上に乗って、宝冠の上に笠をかぶり、櫂を持っている珍しいお姿で、「お船観音」と呼ばれる。観音さまが船をこいでおられるのだから、一見の価値がある。この寺が「お船観音」と呼ばれる由縁である。(写真)
このため、猟師や船員、船舶関係者の人々の信仰が篤いと言われ、山の中の寺としては特異な存在だ。
東京の浅草寺の本殿裏にはこれを模した観音像が祀られているという。
この札所には「船」にちなむものが他にもある。奥の院は長さ200m、高さ80mの船の形をした巨岩からなり、「般若のお船」と呼ばれる。この岩も「お船観音」の名前の由来になっている。
ここからの眺めは、秩父札所で一番素晴らしい。県の自然環境保全地区に指定されている。
奥の院への道は、急勾配だ。大岩の洞門をくぐって、本堂から往復1時間から1時間半かかるので、脚に自身のない人は、本堂前の遥拝所で拝んだ方がよさそうだ。
木立の中の岩盤の上に立つ観音堂は 総ケヤキで四方舞台造りの優美で魅力的な建物である。「鳳凰が羽を舞い降りたよう」と形容される。
観音堂の裏の岩窟の砂岩には、蜂の巣状の多くの穴がある。大昔、秩父にまで海が広がり、秩父湾と呼ばれた時代に海に浸されていた証拠である。
「海退」で海が後退し、岩の表面から水が蒸発すると、塩類ができ、その部分がもろく崩れる風化現象の名残だ。
これに触発されて、法性寺の帰路は、「ようばけ」まで脚を伸ばして、秩父の古代をしのんだ。
本堂の前にある「長享2年秩父札所番付」も興味をそそった。長享2年と言えば、1488年。室町時代、加賀の一向一揆など農民の一揆が激しかった頃である。
「番付」とは「札所を回る順番」のことのようで、現在の順路とは違っている。法性寺は、今では32番だが、15番になっている。
1番は、現在17番になっている定林寺だ。当時は、秩父大宮郷(現在の秩父市)を基点にして順路が定められたためである。
この番付は33番までしかない。真福寺(現在札所2番)が加わって、34寺になり、現在のような順路が定まったのは江戸時代の初期だという。
室町時代のこの頃にはすでに、札所の順番が成立していた貴重な資料として県の有形文化財に指定されている。
法性寺は花の寺でもある。
山門を入るとすぐ左手に「これより花浄土」と墨書してある。「東国花の寺百ケ寺」の標札もかかっている。
春はミツバツツジ、初夏はコケのじゅうたん、秋にはサルスベリとシュウカイドウ、それに紅葉と続く。「秩父の苔寺」「シュウカイドウの寺」として親しまれている。
巡礼ではなく、ハイキングやトレッキングの人は「環境整備基金」として300円払ってくれとのことなので、迷わず300円を箱に投じた。