ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

法性寺 秩父札所32番 小鹿野町

2012年11月25日 19時15分34秒 | 寺社


法性寺(ほうしょうじ)は、珍しいものが多い札所である。

山門は、秩父札所で唯一の鐘楼門。2階建てで、1階に仁王、楼上には鐘を吊ってある。

本尊に代わってその前に安置されている本堂の「お前立ち観音」は、船の上に乗って、宝冠の上に笠をかぶり、櫂を持っている珍しいお姿で、「お船観音」と呼ばれる。観音さまが船をこいでおられるのだから、一見の価値がある。この寺が「お船観音」と呼ばれる由縁である。(写真)

このため、猟師や船員、船舶関係者の人々の信仰が篤いと言われ、山の中の寺としては特異な存在だ。

東京の浅草寺の本殿裏にはこれを模した観音像が祀られているという。

この札所には「船」にちなむものが他にもある。奥の院は長さ200m、高さ80mの船の形をした巨岩からなり、「般若のお船」と呼ばれる。この岩も「お船観音」の名前の由来になっている。

ここからの眺めは、秩父札所で一番素晴らしい。県の自然環境保全地区に指定されている。

奥の院への道は、急勾配だ。大岩の洞門をくぐって、本堂から往復1時間から1時間半かかるので、脚に自身のない人は、本堂前の遥拝所で拝んだ方がよさそうだ。

木立の中の岩盤の上に立つ観音堂は 総ケヤキで四方舞台造りの優美で魅力的な建物である。「鳳凰が羽を舞い降りたよう」と形容される。

観音堂の裏の岩窟の砂岩には、蜂の巣状の多くの穴がある。大昔、秩父にまで海が広がり、秩父湾と呼ばれた時代に海に浸されていた証拠である。

「海退」で海が後退し、岩の表面から水が蒸発すると、塩類ができ、その部分がもろく崩れる風化現象の名残だ。

これに触発されて、法性寺の帰路は、「ようばけ」まで脚を伸ばして、秩父の古代をしのんだ。

本堂の前にある「長享2年秩父札所番付」も興味をそそった。長享2年と言えば、1488年。室町時代、加賀の一向一揆など農民の一揆が激しかった頃である。

「番付」とは「札所を回る順番」のことのようで、現在の順路とは違っている。法性寺は、今では32番だが、15番になっている。

1番は、現在17番になっている定林寺だ。当時は、秩父大宮郷(現在の秩父市)を基点にして順路が定められたためである。

この番付は33番までしかない。真福寺(現在札所2番)が加わって、34寺になり、現在のような順路が定まったのは江戸時代の初期だという。

室町時代のこの頃にはすでに、札所の順番が成立していた貴重な資料として県の有形文化財に指定されている。

法性寺は花の寺でもある。

山門を入るとすぐ左手に「これより花浄土」と墨書してある。「東国花の寺百ケ寺」の標札もかかっている。

春はミツバツツジ、初夏はコケのじゅうたん、秋にはサルスベリとシュウカイドウ、それに紅葉と続く。「秩父の苔寺」「シュウカイドウの寺」として親しまれている。

巡礼ではなく、ハイキングやトレッキングの人は「環境整備基金」として300円払ってくれとのことなので、迷わず300円を箱に投じた。

ベン・シャーン展 県立近代美術館 さいたま市

2012年11月25日 11時13分48秒 | 文化・美術・文学・音楽

県立近代美術館で12年11月から13年1月までの日程で「ベン・シャーン展」が始まり、さっそく見に行った。(写真はポスター)

ベン・シャーンといっても若い人にはなじみが薄いかもしれない。先にこの美術館で展覧会が開かれたアンドルー・ワイエス同様、20世紀のアメリカを代表する画家の一人。

震えるような繊細な線で戦争、人種差別、迫害、貧困で虐げられた人々の悲しみや怒りを優しく描き続けた。

「線の魔術師」とも呼ばれる。

ユダヤ系リトアニア人で米国へ移住、社会的テーマを中心に制作を続け、1930年代から60年代に活躍、1969年に死亡した。

驚くのは、今回展示された約300点が、他館から借りたものではなく、朝霞市のコレクション「丸沼芸術の森」のものだということだ。

芸術の森コレクションによるこの美術館のベン・シャーン展は、2006年以来二度目。前回より約百点も増え、小品が多いとはいえ、その点数に圧倒される。

11年から12年にかけて、日本の各地で回顧展が開かれるなど、ベン・シャーンへの関心が高まっているようで、平日でもけっこう見に来る人が多いのも驚きだ。

この美術館のアンドルー・ワイエス展も、この芸術の森のコレクションの所蔵品だった。

この芸術の森は長年、若手芸術家の支援を続けており、ベン・シャーンの作品もその参考になるようにと集められた。

ベン・シャーンには、社会問題をテーマにした作品が多い。今回の展示でも、フランスの「ドレフュス事件」、米国の「サッコとヴァンゼッティ事件」といった有名な冤罪事件や、キング牧師を中心とする米国の「公民権運動」、ナチズム反対のためのポスターなどもある。

1954年に日本のマグロ漁船「第五福竜丸」が米国の水爆実験で被爆、無線長だった久保山愛吉さんが死亡した「第五福竜丸」事件も、雑誌のための挿絵原画などが見られる。

ベン・シャーンは「福竜丸(ラッキー・ドラゴン)・シリーズ」として、約10年描き続けたという。

このような社会的事件を題材としたものに限らず、シェークスピアや聖書を題材にしたものなどにも、素晴らしいものがあり、その多才さをうかがわせる。社会派リアリズムの画家という評価にはおさまり切らない幅の広さだ。

初めてベン・シャーンの作品に接したのは、大学の図書館の画集で見た「解放」だった。この展覧会にはない。

第二次世界大戦後のフランス解放のニュースを聞いて1945年に描かれたもので、戦争で吹き飛ばされたアパートと瓦礫を背景に、残っていた回転柱にぶら下がって遊ぶ三人の子どもたちの光景である。

白い風が強く吹きつける中で、顔がはっきり見えるのは一人だけ。だが、ぶら下がっているだけで、その表情は決して解放の喜びではない。

以来、ベン・シャーンといえば、この絵がいつも頭に浮かんでくる。

「解放」は、ニューヨーク近代美術館所蔵で、回顧展の際、放射能汚染を心配して福島県立美術館には貸し出されず、話題になった。

福竜丸事件を対象にしたベン・シャーンが存命なら、「どう対応したかな」とふと思った。