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埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

音楽寺 秩父札所23番 秩父市

2012年11月17日 18時22分45秒 | 寺社




2014(平成26)年は、秩父札所34ヶ所観音霊場の開創780周年に当たる。12年に1度の午歳(うまどし)総開帳の年である。

3月から11月までは、全札所の厨子(ずし)の扉が開かれていて、普段は秘仏としてお目にかかれない観音様をじかに拝顔できるばかりか、「お手綱(たずな)」と呼ばれる外に出された綱の片方を握ると、観音様と手をつなぐこともできるからというから有難い。

午歳に総開帳をするのは、馬が観音様の眷属(一族)だとされるからとか、開創の1234年が甲午(きのえうま)歳だったからだという。

目ぼしい札所はもう何か所も訪ねた。一番行きたかったのは名前も素敵な23番音楽寺だった。秩父駅から歩いても行けるところにあるので、「いつでも行ける」とこれまで敬遠していたのに、4月5日、花見の帰りに思い切って出かけた。

訪ねたかったのは、音楽好きなこともある。この寺は、その名から音楽を志す人たちが、ヒット祈願などのために訪れることで知られる。

この寺の御詠歌は

 音楽のみ声なりけり 小鹿坂の 調べにかよう峰の松風

である。

札所を開いた権者(ごんじゃ 仏・菩薩が衆生を救うため仮の姿で現れた者)13人が、松風を聞いて、菩薩の音楽を感じたために「音楽寺」と名づけられたという。本堂の裏手に13人の石仏が立っている。山号は「松風山」である。

音楽好きと言っても声を上げることしか音楽には能がない。この寺に来たかったのは何よりも、秩父事件の始まりに関係するからである。

1884(明治17)年11月1日夜に椋神社に集結、「困民党」を名乗って蜂起した農民たちが小鹿坂峠を越えて南下して、2日にこの寺に集結した。寺の鐘楼の梵鐘(吊り鐘)を打ち鳴らし、約3000人が大宮郷と呼ばれていた秩父の町に駆け下っていった、その現場をこの目で見たかったからだ。(写真)

境内には「秩父困民党無名戦士の墓」と書いた石碑があり、「われら 秩父困民党 暴徒と呼ばれ 暴動といわれることを 拒否しない」と刻まれている。

秩父人の心意気である。

秩父駅から来ると、荒川をまたぐ530mの「秩父公園橋」を渡る。主柱から斜めに張った鋼鉄製のケーブルで橋を支える斜張橋が、楽器のハープに見えるので「ハープ橋」とも呼ばれる。

音楽寺は、秩父市と小鹿野町にまたがる約4kmの秩父長尾根丘陵沿いに開かれた「秩父ミューズパーク」の北口を入って間もない右手にある。

秩父札所中最高の景観と言われるとおり、この寺から見下ろす秩父の市街地の眺めは絶景というに値するだろう。右手に削り取られた武甲山が見える。

近くに展望すべり台、展望台を兼ねた「旅立ちの丘」があることからも眺望の良さが分かるだろう。梅林、四季の百花園も近くにある。

「旅立ちの丘」は、1991年に近くの影森中学校の校長小嶋登(故人)が作詞、女性の音楽教師坂本(旧姓)浩美が作曲、今では全国の卒業式でトップの人気になっている「旅立ちの日に」にちなんだものだ。影森中の生徒によるコーラスも流れる。この二人は、県から「彩の国特別功労賞」が贈られた。

「ミューズ」とは、ミュージック(音楽)などの語源になっているギリシャの芸術の女神の名をとったもので、音楽堂、野外ステージなどの文化施設のほか、約50面のテニスコートやフットサル、流れるプール(夏季)、サイクリングセンターなど多彩なスポーツ施設やコテージ(100棟)がある。

尾根を走るスカイトレイン、自転車、歩行者用の「スカイロード」の両側には約3kmのイチョウ並木があり、癒しの森・花の回廊もあって、シャクナゲ、アジサイ、スイセン、サルスベリ、十月桜など各種の花が1年中楽しめる。

年間170万人が訪れるという。



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