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ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

その風土1 西高東低

2014年07月16日 18時08分36秒 | 県全般
その風土1 西高東低

小さいころから地図を見るのが好きだ。方向音痴なのだから仕方がない。地図を見ても間違うから滑稽だ。右と左も、手を上げてみなければ分からないのだから。

埼玉県の北隣の群馬県にいた頃、有名な上毛カルタの中に「鶴舞う形の群馬県」というのがあったのを覚えている。この句には、群馬県人の誇りが秘められているように見える。

それでは、わが埼玉県は何の形に見えるか?  小さな東京都にのしかかっているように見えるずんぐりとした埼玉県は、どこから見ても鳥には見えない。

ぱっと思いつくのは、動物ならネズミやモグラ、それに水中なら魚、植物なら、江戸時代、庶民の大好物だった川越産のサツマイモである。

朝日歌壇に

 さつまいもの形と揶揄される埼玉県1都6県に囲まれ温(ぬく)し

という句が載っていたことがある。

何の形に見えるにせよ、東西103、南北52kmと東西に長いこの県は面積3800平方km。日本の都道府県の中では、広さでは39番目。狭い方から9番目といった方がいいだろう。日本の約百分の一の面積である。

NHKの夕方の天気予報で見て分かるように、東京都よりは大きい。面積では、東京都は45位、大阪府は46位なのだ。

秩父地方は、埼玉県でも別世界で大好きなので,何度出かけたことだろう。

埼玉県を西の方に行けば行くほど、「西高東低」だとつくづく思う。

日本の冬型の気圧配置で、大陸に高気圧、東の太平洋に低気圧がある型で、北西風が吹き、日本海側は天気が悪く、太平洋側は晴天乾燥が続く。

私の言う「西高東低」はもちろん、気圧配置のことではなく、埼玉県の地形のことである。地図を見れば歴然としているように、この県は西に行くほど標高が高くなる。

奥秩父にある埼玉、長野、山梨の県境にまたがる甲武信ヶ岳(甲州、武州、信州の頭文字をとる、2475m)が、埼玉県の最高峰だと思いこんでいた。本当は、そのすぐ北にある三宝山(2483m)が8mの差で高いらしい。

甲武信ヶ岳は、東に下ると入川(次いで荒川)、北に下ると千曲川(次いで信濃川)、南に下ると笛吹川(次いで釜無川、富士川)の源流だ。

日本の最高峰富士山は、富士山を水源とする湧水は数多くあっても、富士山を源流とする川は一本もない。

そう考えると、わが甲武信ヶ岳の偉大さが分かる。









犯罪と交通事故も屈指

2014年07月12日 15時32分55秒 | 県全般
犯罪と交通事故も屈指

都道府県人口ランキング5位、720万人を超す人口を持つ埼玉県は、犯罪も交通事故もけっこう多い。

犯罪統計では、犯罪発生件数は「刑法犯認知件数」と呼ばれる。「認知」とは、「警察が犯罪について、被害の届出などで、その発生を確認した」という意味で、その件数というわけである。

14年の県内の刑法犯認知件数はピークだった04年から10年連続で減少、7万6859件だった。認知件数は、東京、大阪、愛知に次ぐ4位。警察官100人あたりの認知件数は、大阪に次ぐ全国2位で678.1件と依然として高かった。

窃盗の認知件数は、ピークだった02年から12年連続で減ったものの、詐欺の増加が著しく、殺人や強盗などの重要犯罪も増えた。

14年の交通事故は、死者173人で、都道府県別では多いほうから、愛知、神奈川、兵庫、千葉に次ぐワースト5位。前年より7人減り、1956年以降最少だった。

死者の内65歳以上の高齢者は78人(前年と同数)で、07年以降8年連続で全体の4割を超えた。自転車乗車中の死亡事故が減ったのが特徴で、前年より11人少ない31人だった。

死者数が最も多かったのは、1970年で実に845人だった。

交通事故では気になることが二つある。

一つは、泥酔するなどして路上に寝込んだ人がひかれて死ぬ「路上寝込み」による死者数が多いことだ。

08年から11年まで14、15、16、18人と全国ワースト1位を記録した。

12年は15人で2位、13年は5人で6位と減ってはきているものの、14年はどうなるか。(数字は産経新聞)

もう一つは、自転車乗用中の死傷事故発生率で全国で最高の市が2つあることだ。14年11月6日の毎日新聞が調査報道によって社会面トップで報じている。

12年までの10年間の10万人当たりの死傷事故発生率を「交通事故総合分析センター」のデータを基に毎日が調べたところ、草加市が307.7、戸田市が306人と、埼玉県の2市が1、2位を占めているというのだ。

草加市は、06、08、09年、戸田市は05、10、11年にワースト1位になっていて、10年間でワースト5に入った回数は、草加市、戸田市とも8回。この2市が突出しているのが分かる。

10年間のワースト10に入っているのは、関東では、東京都台東区(4位)と前橋市(9位)だけである。

ちなみに草加市は、14年3月の内閣府発表で、草加駅前の放置自転車台数が全国2位だったという。

数字が多すぎたが、いずれも考えさせられる数字である。

首都直下地震時の帰宅困難

2014年07月11日 16時41分35秒 | 県全般

首都直下地震時の帰宅困難

いつ起きてもおかしくない首都直下地震。「東京湾北部地震」とも呼ばれるこの地震(マグニチュード7クラス)は、今後30年に発生する確率は70%だとされる。(県危機管理防災部危機管理課)

交通機関が麻痺、頼みの電車がストップした場合、東京へ出ている埼玉都民はどうして家までたどりつくか

東日本大震災の際、首都圏で約515万人の帰宅困難者が発生、その日のうちに帰宅できなかった。首都直下地震では、ざっと2倍の約989万人、1000万人に膨らむと、内閣府は推定している。

「帰宅困難者」とは、内閣府の定義では、自宅から10km以内では徒歩で全員が帰宅でき、10~20kmまでは自宅から1km離れるごとに10%が帰れなくなり、20km以上離れると、全員が帰れなくなると推定している。

その中に埼玉から東京都に出かけている94万人(うち通学生10万)の埼玉都民がいる。逆に埼玉に来ている都民は約13万人。

埼玉都民だけではない。平日の真昼に大地震が起きた場合、県消防防災課は、買い物や観光、訪問など県外にいる県民は136万人と推定している。そのうち東京23区は88万人だという。

千代田区が11万と最も多く、新宿区が8万5千、港区が8万4千、中央区が6.8万、豊島区が6.3万人と続く。

問題はこの埼玉都民の「帰宅難民」をどうして無事に帰宅させるかである。

この帰宅難民は、自宅と家族の無事を確認しようと、一刻も早く徒歩ででも帰りたい一心だ。「帰心矢の如し」なのである。

ところが、これだけの人数が一斉に帰宅するにはいくつかの問題がある。

まず挙げられるのは、地震発生直後の火災や倒壊事故の発生が予想されるため帰路の安全が確保されないことである。このため「むやみに帰らず、その場にとどまること」「一斉帰宅の抑制」を、政府も東京都、関係各県でも呼びかけている。

もし留まることにした場合、どこに収容するか、食料や水、トイレをどうするか。課題はつぎつぎに発生する。

交通機関による往復に慣れきっているため、勤務先や出先から自宅まで歩いた経験を持つ人は極めて少ない。

このため県では迷子にならないよう、主な道路に案内標識を置くことにした。「ここは○○市○○○3丁目」「○○駅まで12km ○○交差点まで23km」とセットにした標識を立てるのである。

停電も予想されるので、蓄電式の照明灯も必要になる。コンビニなどの「帰宅支援ステーション」には、地図も欲しいところだ。

平時から災害時に備えて訓練しておく必要もある。各市町村で多くのマラソンやハーフ・マラソン、ウォーキングのイベントが催されている。

観光の宣伝や体力向上だけでなく、例えば日本橋から自宅まで歩いてみる災害対策ウォーキングを何度か開催したらどうか。

17号線で日本橋からさいたま市浦和区まで約20km、大宮まで約30km。決して歩けない距離ではない。一度歩いておくと非常時にも必ず役立つはずだ。

ここまで東京からの帰宅について述べてきた。忘れてならないのは、埼玉県内でも帰宅困難者は発生することである。

東日本大震災では、大宮駅前は5千人以上の帰宅困難者であふれた。県は近くのさいたまスーパーアリーナを開放、毛布や飲料水も備蓄があったので、翌朝JR線が動くまで、約5300人が一晩をしのげた。内閣府によると、この大震災で県内には約33万人の帰宅困難者が発生した。

13年の県の推計では、首都直下地震が起これば、県内にいて自宅に帰れない帰宅困難者は74万7千人に上ると推定される。

その居住地の内訳は、県内37.5万、東京都12・9万人。発生市別ではさいたま市14.2万、川越市4.4万、川口市3.2万、熊谷市3.1万といった順である。


子どもの塾や教育費が大変

2014年07月09日 16時40分13秒 | 県全般
子どもの塾や教育費が大変

県の総務局統計課がつくっているホームページ「統計からみた埼玉県のすがた」(統計からみた埼玉県の地位)は、国のあらゆる統計資料から、色々な項目の中で埼玉県が全国で数字的にどのような地位を占めているかを明らかにしていて、眺めていると非常に面白い。

人口動態などもさりながら、国の総務省統計局がつくる「家計調査年表」に基づくものは、項目別の都道府県県庁所在地の数字もあって、その数字から県民性までもうかがわれる。

県民性についてはいろいろ書かれているが、主観的なものが多い中で、客観的なものとしては一番信用が置けそうな気がする。

14(平成26)年版の「学校」の部を開いていると、「中学生の塾等の費用は全国第1位」というコラムが目に入った。

「家計調査年報」によると、12年のさいたま市の中学校補習教育費は、1世帯当たり年29,980円で、全国の都道府県庁所在市の中で第1位。「中学校補習教育費」は、塾の月謝や家庭教師への月謝・謝礼、補習のための通信添削の費用(教材費を含む)など、中学校の補習のための費用。全国の平均支出額が年間13253円であるのに対し、さいたま市では2倍以上。

幼児から高校・予備校までの世代を含む「補習教育費」全体でも、さいたま市の1世帯当たりの支出額は年間70,29円で、徳島市の76105円に次いで全国第2位。

というのである。

「さいたま市 もう『ダサイたま』とは呼ばせない!」(09年 マイクロマガジン社)でも、「南浦和(駅前)は“塾銀座”と呼ばれている」と題する2ページの記事の中に、「駅前には東口、西口とも学習塾が軒を並べ、全国でも有数の学習塾密集地帯、誰が呼んだか“塾銀座”」と書いてあり、驚いたことがある。

中学受験の御三家は、日能研、四谷大塚、SAPIX。この御三家が勢揃いしている南浦和駅はJRの京浜東北線と武蔵野線が交差するので、交通が便利。仕事帰りに塾帰りの小学生と電車の列に並ぶことが多い。学習塾、予備校が約30あるという新聞報道を見たこともある。

高校、大学受験の進学塾、予備校はもちろん、ピアノ、バレエ、習字、そろばんなど習い事教室も県南部には多い。

サラリーマンがほとんどの、埼玉県に寝に帰るだけの”東京都民“にとって、子供への教育投資が子供に残す最大の遺産なのだ。

旧制浦和高校以来の文教都市の伝統の中で、浦和高校、浦和一女などと公立の名門校もある。京浜東北線に乗れば、私立の名門開成中・高校もある。

SAPIXの入り口の合格者校のリストを見てみても、小学校から塾通いをしないと合格できないところばかりだ。親の高学歴やこの子にもという思いが重なってこのような数字が出てくるのだろう。

「教育熱心」はまぎれもなく埼玉県民の県民性の一つと言えそうだ。

ついでながら、14年の同じ家計調査によると、他の都道府県庁所在市と比べて、さいたま市の勤労者世帯の教養娯楽費は東京都区部についで2位である。収入が比較的に多いので、教育費や教養娯楽費に回せる余裕があるということなのだろうか。 


パパは働き者

2014年07月08日 17時28分44秒 | 県全般
パパは働き者

毎日、“民族移動”のような規模で東京都へ長時間往復を繰り返す埼玉県の男性は、どのような生活を送っているのだろうか。

10年の国勢調査では、県の昼夜間人口比率は全国一低く、県外に通勤・通学する人口が90万人を越すことが判っている。

まず思い浮かぶのが、通勤の混雑「痛勤」である。最近は急激に進む高齢化で通勤族が減りつつあり、一昔前のような殺人的な混雑は姿を消してきたようだ。

それでも例えばJR埼京線上りは、“最強線”のはずが、混雑のため“最恐線”、“最凶線”、“痴漢線”とさえ呼ばれ、JRの中で始めて女性専用車両が導入された。

赤羽駅で京浜東北線の乗客が乗り換えてくる上り板橋―池袋間の混雑率は、200%近く、混雑ぶりは首都圏で5指に入っている。

埼京線武蔵浦和駅の朝のラッシュの7時から8時ごろまでの混雑は、次々に高層マンションが建設されているので、緩和の兆しは見えない。

総務省の11年の「社会生活基本調査」に基づき、県がまとめた埼玉の男性の生活実態によると、「仕事と通勤に全国一長い時間を使いながら、家庭では育児にも熱心」という結果が出た。新聞報道で見るこの結果には、埼玉都民の実態が投影されている。

この基本調査は、5年に1度、全国で実施しているもので、全国で約20万人、県内では約6400人が対象になった。

15歳以上の男性有業者で見ると、「通勤・通学時間」と「仕事」を足した時間は8時間6分で、全国1位。「通勤時間」は1時間9分で、47都道府県で神奈川県についで2位。育児の時間は10分と全国一だった。

通勤時間は千葉県と東京都で上位4位を占めており、首都圏の長さが目立った。

通勤時間が長くなると、睡眠や休息時間にしわ寄せが来る。睡眠時間は東京都と同じ7時間24分で44位。休養など自由時間は3時間9分で45位だった。

6歳未満の子供のいる夫婦世帯の生活時間を見ると、通勤と仕事の合計時間が9時間26分と全国2位と長いので、睡眠時間は7時間と全国2位の短さ。

こんなに忙しい毎日を送っているのに、男性の育児時間は1日当たり1時間3分と全国3位、大都市圏1位で、「イクメン県」と言える。涙ぐましい努力と言えよう。

県版で、朝日は「埼玉男子よく働きよく育児」、「仕事・通勤・子育て全国最長」「睡眠・休養は最下位クラス」、読売は「本県のパパ働き者」、「通勤・仕事も育児時間も全国一」と見出しをつけた。

見出しとは、本文を読まなくても分かるようにつけるもので、細かい数字が苦手な人は、この見出しだけで埼玉都民の生活実態がよく分かる。


埼玉都民 低い投票率

2014年07月03日 18時40分43秒 | 県全般
埼玉都民 低い投票率


約94万人の埼玉都民の存在は選挙にどのような影響を与えるだろうか。

土、日、休日を除いて、夜しか居住地におらず、周りの住民との接触もほとんどなく、東京都で暮らしているような平均的な埼玉都民が、地元の選挙に関心を持つはずがない。

地方選だけでなく、衆院、参院選も地元で展開されているわけだから、関心が薄くなるのは当然だろう。

埼玉都民の選挙への無関心の上に、一般的に結果が分かりきっている選挙の場合、投票率は極端に下がる。

11(平成23)年の県議選と知事選の投票率はそれを雄弁に物語っている。

4月10日の県議選は39.54%(前回より4.15ポイント減)、7月31日の知事選は24.89%(前回より2.78減)は、いずれも本県で過去最低、全国でも最低の投票率となり、他の都道府県と比べ投票率の低さには慣れっこになっている県民を驚かせた。

15年4月12日の統一地方選の県議選では、37.68%と本県の過去最低を更新した。下には下があるもので、全国41の道府県議選で千葉県が37.01%と本県より低く、ワースト2位だった。

国政では、1991年の参院埼玉県選挙区補欠選挙では、17.80%という全国最低の投票率の記録もある。

さかのぼって07年以降の投票率を見ても、惨たる結果が残っている。

07年4月の県議選では43.69%(全国平均52.25%)で全国ワースト2位。同年8月の知事選では27.67%で、県内で過去ワースト2位、全国で過去ワースト4位。

09年の衆院選小選挙区では66.25%(全国平均69.28%)で全国ワースト3位。

地方選だけでなく、衆、参院選でもワースト3位以内の記録を残しているわけである。

県選挙管理委員会は11年の県議、知事選の翌年、投票率の低さについて調査報告書を発表した。

低さの理由の第一に、有権者に占める20~39歳の若年層の割合が10年の国勢調査で32.6%と全国6位の高さで、その投票率が極端に低いことを挙げている。

確かに若年層、特に最近の大学生の政治意識の低さは、反安保時代に学生生活を送り、毎日のようにデモに明け暮れた私にとっては信じられないほどだ。

これは東京の大学でも3か所で教鞭をとった経験からすれば、埼玉県だけではなく、全国共通の問題と考えられる。

理由の第二に埼玉都民が多いことを挙げる。「地域への関心の高まりは生活の場であるかどうかということにある程度比例するものと考えられ、就労・就学の場ではない場合は、地元の候補者や選挙への関心が高まらないこともあるのではないかと考えられる」と控えめに述べている。

私個人の場合を振り返ってみれば、「ある程度比例する」どころか、「大いに」、「関心が高まらないこともある」どころか、ずばり「高まらない」、「少ない」だった。

10年に実施した県選管の意識調査で「関心のある政治」を尋ねたところ、「国政」93%、「市町村政」43.5%に対し、「県政」28%と、県政に対する関心が著しく低いことが分かっている。

また、この知事選では、現職に民主、自民、公明が事実上相乗り、圧倒的に有利で、わざわざ信任投票のために投票所に行かなかったのだろうと分析されていた。

13年10月31日の朝日新聞は、同年行われた県内の12市長選で、投票率と「埼玉都民」の割合を分析した結果を報道した。

その割合が最も高い朝霞市長選では、投票率は22.69%で最も低く、比較的割合が高いさいたま市や川口市は3~2割台にとどまった。一方、割合が最も低い秩父市長選は投票率が一番高かった。

このため「埼玉都民 割合が高いと低投票率」という見出しをつけている。

個人的な話をすれば、「どこもかしこも埼玉県」に住み「24時間サイタマン」になった今では、投票日に旅行や取材で支障がないように、不在者投票を利用しいて事前投票することにしている。

学生時代から選挙そのものには関心が高いからだ

コバトン シラコバト 越谷市

2013年12月02日 10時21分01秒 | 県全般
コバトン シラコバト 越谷市

埼玉県のマスコットである「コバトン」のことを書いているうちに、50年近くこの県に関係したり、住んだりしているのに、そのモチーフになった県の鳥「シラコバト」の実物を見たことがないことに、ハタと気付いた。

そう言えば、さいたま市の見沼田んぼにある「さぎ山記念公園」の森にサギが群れているのを見た記憶も無い。「埼玉をまともに見直してみよう」と、本気になったのはまだこの一年くらいのことなのだから。

地元の人に聞いてみても、「シラコバトを実際に目にしたことはほとんどない」という。

そこで思い出したのが、越谷市の「キャンベルタウン野鳥の森」。キャンベルタウンは4年近くいたオーストラリアのシドニーに近く、越谷市の姉妹都市。訪ねたこともある。野鳥の森は、高く大きなネットで周りをすっぽり囲んだ中で一部を放し飼いしたりしている施設である。

「野鳥の森」は、姉妹都市提携10周年を記念して、同市から鳥の寄贈を受けて建設された。

オーストラリア勤務を終えてすぐ、訪ねたのはもう何年前のことか。シラコバトはオーストラリアに関係のない鳥ながら、訪ねてみると、「入ったらすぐ右手の小屋にいますよ」。

雌雄二匹いるのを外から狙ってみたものの、警戒心が強いので、小屋の隅に逃げられ、金網のため小さなデジカメではうまく撮れない。

受付にいた親切な若い職員に頼んで、中に入ってもらって、撮ってもらったペアがこの写真である。

シラコバトは、キジバトより小型で、体型はほっそりとしていて、小顔がかわいい。頭部にかけて白っぽく、なんともスタイルがいい。思わず惚れ込んでしまう。

首の後ろに黒色の横帯があるのが特徴で、一目見たらすぐ分かる。英語では、Collared Dove。「首輪付きの鳩」。ほんとに美しくかわいいので江戸時代に飼い鳥として、外国から持ち込まれ、それが放鳥され、野生化したとのだという。

「ポポーポウ」「ポポーポウ」と鳴くそうで、童謡の「ぽ、ぽ、ぽ、鳩ぽっぽ」は、この鳴き声を模したものだとか。それほど身近に沢山いた鳩だったのだ。

それが、繁殖地だった屋敷林が減り、乱獲もあって減少。1956年国の天然記念物、65年県の鳥、88年越谷市の鳥に指定された。どういうわけか越谷市を中心とした地域に住んでいるからである。

ちゃっかり鶏場や豚舎の餌のおこぼれにあずかろうと、その周辺で目についたのに、鳥インフルエンザ対策で鶏舎防御シートが張られ、侵入口がなくなり、一時増えかけていたのに、また減少の道をたどり、レッドリスト(絶滅危惧種Ⅱ類)に挙げられたまま。

この野生の森には、オーストラリアの珍鳥クカバラやエミューなどもいる。クカバラは、「笑いカワセミ」とよばれ、ゴルフ場の木の上にとまっていて、ミスプレーをすると「ク、ク、カ、カ」と鳴いたりする世界最大のカワセミの仲間。

エミューは、ダチョウに似た羽根をなくした大きな鳥。好奇心が旺盛、後ろからガイドブックをのぞき見したりする面白い習性の持ち主。オーストラリアにはめずらしい鳥も動物も多い。

埼玉県のゆるキャラたち

2013年12月01日 10時59分22秒 | 県全般

埼玉県のゆるキャラたち 

“ゆるキャラ王国・埼玉県”にはいったい、どんなゆるキャラが住んでいるのだろう。

埼玉県のゆるキャラを語る際、忘れてならないのは、県のご当地キャラ軍団「ゆる玉応援団」の団長を務めるマスコット「コバトン」である。

コバトンは県の鳥に指定されているシラコバトをモチーフに県立川越工業高校の生徒がデザイン。2004年、県内で開かれた国体の大会マスコット、05年から県のマスコット、08年から応援団団長になった。

08年、埼玉西武ライオンズが日本一、東洋一になった時、監督の胴上げと一緒に選手の手で胴上げ。09年、県出身の宇宙飛行士・若田光一さんに連れられ、スペースシャトル「ディスカバリー」に同乗。同年、発見者の狭山市のアマチュア天文研究家佐藤直人さんの命名どおり、国際天文学連合(IAU)が太陽系を回る小惑星12031番に"Kobaton"(コバトン)とすることを正式に認定・・・など宇宙空間にまで活躍の場を広げ、県のPRに大きな功績を挙げている。

14年11月14日の県民の日には、新しいキャラも県庁で披露された地名が連想される名前がいいという。知事のリクエストを受けて、お笑いコンビのバナナマン設楽統さん(秩父出身)らがデザイン、名前を提案、「さいたまっち」と名づけられた。

コバトンの兄弟分で、コバトンに比べると黒目が大きく、両ほほの赤いほっぺとお腹の赤と黒の横じまが目立つ。足が長くスリムで長身、「とんとん」とコバトン語を話す。さっそく22日の「世界キャラクターさみっとin羽生」にも姿を見せた。(写真左)

先進地羽生には、まず「ムジナもん」。宝蔵寺沼に全国でここだけに自生する食虫植物「ムジナモ」と、伝説の妖怪「むじな」にちなんで命名。尻尾はムジナモの花、前頭部には特産のモロヘイヤの葉がデザインされている。モロヘイヤの葉なら分かる。ムジナモはつぶさに見たことがないので、どんな花が咲くのだろう。10年前、市の若手職員が考案。県内のご当地キャラの草分けといわれる。

地元の名物「いがまんじゅう」にちなんだ「いがまんちゃん」もいる。いがまんじゅうは、高価なもち米の代わりに、赤飯のなかにまんじゅうを入れたのが始まりとされ、元は隣の加須のものだったとか。

市にはこのほか、「ザリガニ博士」「しらさぎ婦人」「いたっち」「フナどん」「イナゴージャス」の5体のキャラもいて、計7体もいる。

他の市町村も、全国的に人気が高い深谷市の「ふっかちゃん」を初め、それぞれ趣向を凝らしていて、どのイベントにも顔を出し、子供たちに大の人気。一緒に記念撮影する姿が見られる。ゆるキャラは地元の人々や観光客を呼び寄せるツールになっていて、まちおこしの願いが込められている。

県内でイベントがある度に、ゆるキャラが登場、B級グルメの屋台が並ぶ。この埼玉式コラボレーションが、海もない、温泉地もない埼玉県の観光客誘致にどれだけ力になるか楽しみだ。





健康長寿埼玉プロジェクト 

2012年02月29日 14時15分36秒 | 県全般
健康長寿埼玉プロジェクト 

急速な高齢化の進展に伴い、必然的に増える老人医療費をいかに抑えるかが、日本の課題になっている。

県では、08(平成20)年度から埼玉を日本一の健康長寿県にしようとする「健康長寿推進プロジェクト」に取り組んでいる。

これは上田知事の11年夏の知事選の三大公約の一つでもあった。

県最西北端の秩父郡の小鹿野町(人口1万4千人弱)は、65歳以上が約4千人弱、高齢化率は29%に近く県内で2番目に高い。30%突破も目前だ。

それなのに「75歳以上の一人当たり医療費」が50万円台で当時は県内で一番低く、全国平均に比べても27万円も少ないことが注目されていた。

2、30年前から始まった保健師による栄養や運動のきめ細かな指導の効果があったと見られる。

小鹿野町の後期高齢者医療費が低いのは、患者の入院日数と通院日数が短くてすむからである。そのためには退院後、自宅で療養できるように、医療と福祉の連携、通院減らしには予防医学として、栄養や運動指導など保健との連携が必要だ。

町には230人もの「保健補導員」がいて、その役割を担う。60の地区に各4人いる勘定で、住民に選ばれて委嘱される。地域の絆が昔から確立されていたのだ。

山岳部で持ち家率や同居率が高く、野菜作りなど身体を動かして農作業ができる場所が身近にあるという恵まれた条件もある。

町長や保健師らの献身的な努力も見逃せない。町の職員が考えた「お達者体操」も親しまれている。

小鹿野町の成果に注目した県は、09年度から小鹿野町をモデルに、人口規模や地域性が似た、ときがわ町と鳩山町で3年間、小鹿野町に習って、ひんぱんな健康相談、健康教室の開催、住民参加などの方式を導入したところ、生活習慣病の予防などに効果が出たという。

これに力を得て12年度から、より人口の多い市でも実施することを決め、まず坂戸、東松山、朝霞、13年度から加須、和光、春日部、久喜の計7つのモデル市に補助金を出した。

坂戸市には、栄養指導はお手のものの女子栄養大学があり、その協力を得て、ビタミンB群の1種で、ホウレンソウやブロッコリーなどに含まれる葉酸の摂取を促す「葉酸プロジェクト」を進めている。葉酸は、妊婦のほか、動脈硬化、認知症、脳梗塞、ガン予防にも役立つとされる。

葉酸プロジェクトの一つとして、葉酸やビタミンC、カルシウム、鉄分、が豊富で栄養価が高い地元産のハーブ「さかどルーコラ」の栽培もある。

地元の筑波大付属坂戸高校農業科の先生と生徒が育てたもので、主として葉をサラダで生食する。イタリア料理で知られてきたルッコラとは別種だという。

女子栄養大学では、地元企業と連携、葉酸ブレッド、葉酸カレー、葉酸たまご、葉酸ドレッシングなどを商品化している。

坂戸市は03年、「あなたの出番!おいでおいで健康づくり計画」を策定、健康なまちづくりを始めた。06年度には、健康づくりをコンセプトとした地域再生計画が総理大臣に認定された。薬学部のある城西大学、歯学部のある明海大学も協力している。

東松山では、お得意のウオーキング、高齢者が働くコミュニティ・カフェの開設。団地の多い朝霞市では、団地ぐるみの閉じこもり・介護予防、シニアによる保育支援制度による生きがいづくりなどが実施された。

東松山の毎日1万歩を目指すウォーキング、加須市の筋力トレーニングでは、一人当たり医療費が抑制できることも分かった。

埼玉県は全国で5番目に平均年齢が低い県だった(10年国勢調査)。一方で高齢化のスピードが一番速い県でもある。健康長寿推進事業がどのような成果を生むか、埼玉県だけでなく、老人大国日本の将来もかかっている。

県では15年度、ウォーキング、筋トレを推奨プログラムとしてモデル都市の対象を新たに志木市や三芳町など20市町に広げる。参加する自治体に補助金を出して健康寿命の延長と、医療費抑制を目指す。

健康寿命とは、65歳になった県民が健康で自立して生活できる期間を指す。具体的には、介護保険制度の要介護2以上に認定された時点を障害発生時点と考え、それまでの期間を健康寿命と考えるのだという。

県衛生研究所の計算では、13年度の男性平均は16.85年、女性平均は19.75年だった。

志木市では、11年度の健康寿命が男性17.68年、女性20.56年とともに県内1位だったのに、13年度には13年度には男性が3位、女性が4位に後退した。健康寿命1位復活を目指す。(埼玉新聞)

「埼玉発世界行き」奨学金

2012年02月27日 13時42分13秒 | 県全般

「埼玉発世界行き」奨学金

「グローバル人材育成」という言葉がにわかにクローズアップされてきた。若い世代の「内向き志向」を克服し、広い世界に目を向けさせようと、文部科学省などが中心になって旗振りしているものだ。

県の広報紙「彩の国だより」の11月号を見ると、グローバルに活躍できる人材を育成しようと、県ではさる11年度から県国際交流協会に「埼玉グローバル人材育成基金」(10億円)を創設し、「埼玉発世界行き」奨学金の支給を開始したとある。

毎年250人超、14年度までに約1100人を海外の大学や高校に送り出し、基金と留学生の数は4年連続で都道府県の中でトップの実績だという。

終戦後、米国留学のためフルブライト留学制度があった。今と違って若い世代が「外向き志向」に燃えていた頃、その留学は憧れの的だった。

ところが最近では、留学は進学、就職に不利になるかもと、日本の留学生の数は04年度の8万人台をピークに11年度には6万人台を割っている。

留学に伴う経済的負担を軽減し、留学促進支援のため、今や県の段階でも奨学金制度が設立されたというから驚いた。

大学生を対象にする学位取得コース、協定留学コースと高校生留学コースの3つがある。いずれも給付型。

学位取得コースは一人年間最大100万円が補助され、4年間も可能。

学位取得は県などによる選考があり、競争率も高い。米国では、コロンビア、カリフォルニア州立、ニューヨーク州立大学やドイツやフランスの大学に留学している。

協定留学コースは、海外の大学と交換留学などの協定(授業料免除協定)がある大学の学生が対象で、半年以上で1年が多い。渡航費など一人最大20万円補助。

高校生留学コースは、3か月以上。半年から1年が多い。一人最大60万円を補助。学校長の許可が必要。

13年度では、学位取得が20、協定留学が200、高校生が61の計281人が奨学金を与えられた。

留学生では女性の方が3対2の割合で多く、大学生では、埼玉大、独協大、東京国際大などの学生が多いという。

東京都や大阪府でも奨学金制度はあるが(13年度)、高校生向けで、本県の場合、大学や大学院生も含まれているのが評価されている。

県の取り組みは、地域における先進的な取り組みを表彰する「プラチナ大賞」(総務省など後援)の第2回(14年)で審査員特別賞を受賞した。「プラチナ大賞」とは、アイデアあふれる方法で、社会や地域の課題を解決している自治体や企業の取り組みを賞というかたちでたたえようとするものだ。

せっかくの制度なのに、応募者が伸び悩んでいるのが頭痛の種だ。




埼玉県のクイズ王は? 

2010年10月01日 15時16分18秒 | 県全般

 

テレビを見ていると、クイズだらけである。真面目そうな番組にもクイズが組み込まれている。

このクイズの時代に、埼玉県のクイズ王を決める「埼玉クイズ王決定戦」が13年の春分の日、大宮ソニックシティの階段広場で開かれるというので、「埼玉について何をどれだけ知っているのだろう」と確かめるため、見に出かけた。

隣の鐘塚公園では、「自治体では初めて」が売り込みの「埼玉サイクリングショー」も同時に開かれているので、一石二鳥だ。

このクイズ大会は県観光課などが企画、これも自治体初めての試みだという。行く気になったのは、司会者とは別に壇上で出題役に当たるのが、県庁職員だということだった。

その人が問題を監修したという。埼玉新聞の特集記事には「県庁が誇るクイズ王」とあって、好奇心をそそられた。

環境部環境政策課放射線対策担当主査(当時)の能勢一幸さん(44 当時)。越谷市出身でさいたま市在住。

日本テレビの第15回アメリカ横断ウルトラクイズで優勝、フジテレビのクイズ$ミリオネア全問正解など多くのクイズ番組で優勝した経歴の持ち主という。

このクイズは3人1組で、予選が埼玉スタジアム2002など4か所で開かれ、県内外(岡山からも)から439チーム、1317人が参加した。決定戦には、予選を勝ち抜いた12チームが臨んだ。

驚いたのは、この日最初の子どもの部で勝ち進んだ、埼玉大付属4年生の「大中小」チームが、全体で見事6位に食い込んだことだった。秩父事件の発生の年を、早押しクイズ方式で「明治17年」と先んじたのである。

接戦の末、優勝して「埼玉博士」の栄光を獲得したのは、秩父市役所の職員3人でつくる「チームくろちゃん」だった。(写真は優勝の瞬間) 地元の「秩父検定」で鍛えられたのだろう。

出題は、歴史、文化 社会、芸能、スポーツ、ゆるキャラ・・・と埼玉県に関するあらゆる問題に及んだ。

けっこうな頭の体操になった。テレビ埼玉でも放映するという。

表彰式で、この企画の言いだっしぺだった上田知事は「(他の県のようにテーマは)一つだけではなく、埼玉にはいくらでもあるのだ」と述べた。

700万県民がまずそれを知り、訪ね合うことが埼玉の観光の始まりだろう。その意味で、この「埼玉クイズ」は大成功だった。

ミスユニバース県代表の麗姿も拝めて、視力も良くなった。

第2回決勝戦は14年2月16日(日)、さいたま新都心のスーパーアリーナで開かれた。大雪のため秩父の「チームくろちゃん」は、3人そろわず失格、県庁の3人組が優勝した。

3回目の大会には3人1組の314チームが参加した。15年3月8日(日)のアリーナの決勝戦には、予選を勝ち抜いた12チームが出場、大接戦の末、「三度目の正直」チームが、文字通り3回目の出場で念願の優勝を果たした。会社の元同僚でテーマを分担して勉強した。

4回目は275チームが参加、予選を勝ち抜いた9チームが16年2月14日の決勝に参加、前回3位の武南高校同窓の男性3人組「武南3A}が優勝した。

5回目は17年2月26日、12チームがアリーナの決勝に参加、第1回優勝の「チームくろちゃん」が優勝した。能勢さんは交通政策課に移っていた。

6回目は18年2月18日の決勝には12チームが参加、秩父市役所の「チームZ」が優勝した。リーダーの金田幸宏さん(48)は、昨年に続き、3度目の優勝。予選には227組681人が参加した。

7回目は越谷市のイオンレイクタウンMORI 木の広場で開かれた。

いずれもよく聞いていると、埼玉についてまだまだ知らないことが多く、いい勉強+になった。




最小・最強の県庁

2010年07月08日 16時32分09秒 | 県全般

最小・最強の県庁

上田清知事のかけ声の下、県は日本で「最小・最強の県庁」を目指している。

知事の毎月の15年5月のコラムを見ると、県民1万人当たりの職員数は11.0人、全国平均の約半分で、全都道府県の中で最少だ。

喜ばしい限りである。

県職員の総数は同じ時点で6万2479人。県職員は一般行政部門(知事部局)に1割を超える6740人いるほか、教育部門に約4万人、警察部門に1万2000人、それに病院など公営企業部門に約2500人というのが、大まかな内訳だ。

県職員の中で、約3分の2を占める教育のほか警察、消防部門は、国が定員に関する基準を幅広く定めているので、県では手が出せない。つまり、県ができる範囲内で一般行政部門の職員の削減に努め、その結果が「全国最少」になったというわけである。

県職員の総数は、条例定数を約6500人下回っているというから、「よくやった」と拍手したい。知事は「任期中に3000人の職員を削減させた」と述べている

県には出資している指定出資法人が23ある。

埼玉新都市交通(大宮からのニューシャトル)、(浦和美園駅が終点の)埼玉高速鉄道、芸術文化振興財団、国際交流協会、社会福祉事業団、農林公社、土地開発公社、住宅供給公社、公園緑地協会などである。

このような法人を「すぐれた経営体にする」という方針で県が改革を進めている。法人の自主性・自立性を高めていくため、派遣職員の削減、県からの財政支出の削減を図ろうというものだ。

その結果、14年度の県派遣役職員数は03年度に比べ、人数で149人、率で56%の大幅な削減を実現した。天下りも原則廃止したと知事のコラムに書いてある。

14年度予算で出資法人への委託料や補助金の総額は、03年度の439億円から100億円減らした339億円で、削減率は約23%となっている。

こうした経営改善の結果、「さいたまアリーナ」は06年度から黒字経営に転換、12年度には県に約6億3300万円を納付するまでになっている。

「さいたまアリーナ」は、施設は埼玉県が所有し、第3セクターの株式会社さいたまアリーナが指定管理者として、管理運営している。新都心で最も親しまれている施設で、スポーツ、コンサート、講演会、見本市会場、さらにはツールドフランスに至るまで、最大3万7千席を使用できる国内最大級の多目的ホールだ。

浦和競馬も年間23億円の累積赤字を解消し、3億円を県とさいたま市に納付できるようになったという。

ところがである。人件費の削減がこのような形で進んでいる最中、県庁の税務課の主査が11年に、年間2017時間残業し、約740万円の時間外手当を受け取っていたことが明らかになった。

「県庁に住み込んでいるのか」という批判の声も上がった。それも一人ではない。職員一人当たり平均残業時間は135.6時間というから異常な数字だとすぐ分かる。

また、総務省の13年4月時点の公務員の給与状況によると、国家公務員の給与を100とした場合の地方公務員の水準を示す「ラスパイレス指数」は、埼玉県は109.4、都道府県別では全国5位だった。14年4月時点では、101.6で7位に下がった。


「埼玉」 県名の由来

2010年07月06日 15時58分35秒 | 県全般

「埼玉」 県名の由来

「埼玉」という名はどこから来たのだろうか。いつも気になっていることだった。行田市の「埼玉古墳群」のある「県立さきたま古墳公園」(さきたま風土記の丘)を歩いているうちに、「埼玉県名の由来」という石碑に出会った。

1987(昭和62)年4月に埼玉県が建てたこの石碑によると、現在の埼玉県の区域が定まったのは、1876(明治9)年8月。県の管轄区域の中で最も広いのが、埼玉郡だったから、「埼玉」が県の名称とされたのだという。

埼玉郡は、大宝の律令によって国郡制度が定められた当初から設置された郡とみられ、当初は「前玉(さきたま)郡」の表示もあった。

正倉院文書に「武蔵国前玉郡」の表記があり、延喜式神名帳にも埼玉郡の項に「前玉神社二座」とあるという。延喜式神名帳とは、927年にまとめられた当時の「官社」のリストである。

この「前玉神社」の一つは、確かにこの古墳群の中にある。

古墳群の南東部にある直径約50m、高さ8.7mの円墳「浅間古墳塚」の墳頂にある「前玉神社」だ。全国で唯一、古墳の上に建てられた神社だという。中腹には浅間神社が祀られ、この古墳の名になっている。

前玉神社の祭神は前玉彦命(さきたまひこのみこと)と前玉比売命(さきたまひめのみこと)の2柱で、人と人の縁を結ぶご利益があるとか。

古墳群の所在地は、今でも大字は「行田市埼玉(さきたま)」である。石碑は「この地は、埼玉郡の中心地と考えられるので、県名発祥の記念とする」と結ばれている。

万葉集には「さきたまの津」と記述され、風土記にも「武蔵国埼玉郡(さきたまごおり)」と書かれている。「さきたま」が「さいたま」となったというのである。

他にも、武歳国多摩郡の先の方にあるから「さきたま(前多摩・先多摩)」、「さき(前)」「たま(湿地の意味)」が転じた、「さきたま(幸魂)」が転じた――などの説もある。いずれも魅力はあるものの、確証はなさそうだ。まあ、この石碑に書いてあることぐらいが穏当なところだろうか。


「埼」の字やっと常用漢字へ

2010年05月21日 08時13分30秒 | 県全般
「埼」の字やっと常用漢字へ

「埼玉」の「埼」の字もようやく常用漢字になった。文化審議会国語文化会は10年5月19日、5年間にわたり審議してきた「常用漢字表」の改定に関する答申案を承認した。年末までに内閣が新漢字表を告示して、正式に認知された。

改定で追加される196字の中に、「埼」は「鬱(ウツ)」などという一度も書いたことのない字と並んで、“運よく入れて頂いた”のだ。

県名では同じように冷や飯を食っていた関東地方の、「茨城」の「茨」、「栃木」の「栃」も晴れて追加された。これらの県は知名度がそれほど高くないので、分からないわけではないが、関西の雄「大阪」の「阪」、建都1300年にわく「奈良」の「奈」が初めて入ったというのだから驚きいった。

ついでながら、「山梨」の「梨」、「岡山」の「岡」、「岐阜」の「阜」、「熊本」の「熊本」の「熊」、「鹿児島」の「鹿」、「愛媛」の「媛」も初めて仲間入り。

「鶴」「亀」と縁起がいい漢字は入ったのに、「一富士二鷹三茄子」の「鷹」はもれた。三年越しに四回も要望書を提出していた東京の三鷹市はがっかりだ。朝日新聞の「天声人語」によれば、女性市長は「結果を“鷹揚”(おうよう)に受け止める気にはなりません」と語ったという。

考えてみると、「埼」はよく入ったものだ。一語では広辞苑にもないし、小さな漢和辞典にも見つからない。インターネットで調べても埼玉県関係以外には「犬吠埼」「鯨埼」(長崎県五島市)が見つかるぐらい。「崎」と同じ意味らしい。

「県名だから入れよう」ということか。

文化審議会は、「なぜ入ったのか」のか説明するともに、「なぜ入らなかったのか」を国民に分かるように明らかにする必要がある。

「なぜか埼玉」  さいた・まんぞう

2010年03月08日 19時26分39秒 | 県全般

「なぜか埼玉」 さいた・まんぞう

「ご当地ソング」という歌のジャンルがあるようだ。観光地もなく、とりたてた繁華街もない埼玉には縁の遠い話だと思っていた。

「さいたまんぞう」の「なぜか埼玉」という歌を覚えておられるだろうか。1981年にブレークしたとか。

本人のCD「さいたまんぞう 全曲集 生存証明」の曲目解説によると、その年、深夜ラジオの人気番組だった「タモリのオールナイトニッポン」の「思想のない音楽会」コーナーでオンエアされ、タモリが「イモな歌だね、下手な歌手だね」と面白がったのが、ブレークのきっかけだったという。

そういえば、「ださいたま」を「ちばらぎ」とともに流行らせたのはタモリだったというから、何かの因縁かもしれない。

不思議な歌である。変な歌とも言われたらしい。だが、奇妙な味がある。

曲の始まりは、ラブソングのようなのに、聞いていると、「なぜか知らねど ここは埼玉 どこもかしこも みんな埼玉」、「右も左も」、さらに「前も後ろも」「西も東も」「北も南も」、「ぜんぶ(みんな)埼玉」で終わるのだ。

荒川鉄橋を越えて東京に通勤する日々が終わったので、毎日「前後左右、東西南北」、全部埼玉に囲まれて日々を送っている身には、この歌詞は身に沁みる。

この歌詞を創った人は、「秋川鮎舟」という人だとか。同じCDに入っている「埼玉いろはづくし」「埼玉オリンピック音頭」「なぜか埼玉海がない」の歌詞を見ながら聞くと、すべて屈折した感情を抱いた埼玉応援歌と分かる。

この歌の存在を知ったのは、読売夕刊の小コラム。今度も浦和中央図書館のお世話になった。

「東京歌物語」(東京新聞編集局・編著、東京新聞出版部)によると、まんぞうさんは、埼玉ではなく岡山県の出身だ。野球好きで、本名は「牛蒡(ごぼう)」という珍名。

歌手・西郷輝彦が、家出同然で鹿児島から大阪に出て、バンドボーイになって、身を立てた例にならって上京、バンドボーイになって、キャバレー専属バンドのドラマーになった。

「なぜか埼玉」の歌の話も、バンド仲間が持ち掛け、歌詞も仲間が遊び心で創った。

レコードは売れなかったものの、埼玉県の高校生が、「おやじが変なレコードを買ってきた」と、「思想のない音楽会」に送ってきたのがきっかけで、一時ブレークした、というのである。

1948年12月生まれ。東京都内在住で、草野球の審判をしているので、県内に来ることも多い。(写真は蕨市で)