ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

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「埼玉」 県名の由来

2010年07月06日 15時58分35秒 | 県全般

「埼玉」 県名の由来

「埼玉」という名はどこから来たのだろうか。いつも気になっていることだった。行田市の「埼玉古墳群」のある「県立さきたま古墳公園」(さきたま風土記の丘)を歩いているうちに、「埼玉県名の由来」という石碑に出会った。

1987(昭和62)年4月に埼玉県が建てたこの石碑によると、現在の埼玉県の区域が定まったのは、1876(明治9)年8月。県の管轄区域の中で最も広いのが、埼玉郡だったから、「埼玉」が県の名称とされたのだという。

埼玉郡は、大宝の律令によって国郡制度が定められた当初から設置された郡とみられ、当初は「前玉(さきたま)郡」の表示もあった。

正倉院文書に「武蔵国前玉郡」の表記があり、延喜式神名帳にも埼玉郡の項に「前玉神社二座」とあるという。延喜式神名帳とは、927年にまとめられた当時の「官社」のリストである。

この「前玉神社」の一つは、確かにこの古墳群の中にある。

古墳群の南東部にある直径約50m、高さ8.7mの円墳「浅間古墳塚」の墳頂にある「前玉神社」だ。全国で唯一、古墳の上に建てられた神社だという。中腹には浅間神社が祀られ、この古墳の名になっている。

前玉神社の祭神は前玉彦命(さきたまひこのみこと)と前玉比売命(さきたまひめのみこと)の2柱で、人と人の縁を結ぶご利益があるとか。

古墳群の所在地は、今でも大字は「行田市埼玉(さきたま)」である。石碑は「この地は、埼玉郡の中心地と考えられるので、県名発祥の記念とする」と結ばれている。

万葉集には「さきたまの津」と記述され、風土記にも「武蔵国埼玉郡(さきたまごおり)」と書かれている。「さきたま」が「さいたま」となったというのである。

他にも、武歳国多摩郡の先の方にあるから「さきたま(前多摩・先多摩)」、「さき(前)」「たま(湿地の意味)」が転じた、「さきたま(幸魂)」が転じた――などの説もある。いずれも魅力はあるものの、確証はなさそうだ。まあ、この石碑に書いてあることぐらいが穏当なところだろうか。



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