上信越自動車道の長野ICを15時42分に乗り、東御(とうみ)市の東部湯の丸ICを出て海野宿(うんのじゅく)に立ち寄りました。到着16時15分。
海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設されました。 北国街道は中山道と北陸道を結ぶ重要な街道であり、佐渡で採れた金の輸送や北陸諸大名の参勤交代の道であり、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多くあったようです。
今回は次回計画時の参考のため下見として立ち寄り、時間も16時過ぎで、静かな宿場町を散策しました。
道の中央を用水が流れ、その両側に格子戸のはまった美しい家並みが建ち並ぶ海野宿。 江戸時代の宿場の建物と、明治以降の養蚕造りの建物が良く調和しながら、歴史を語りかけています。
歴史的町並みが残る場所として、昭和61年(1986)に【北国街道】が建設省より「日本の道百選」に選ばれ、続いて昭和62年(1987)には海野宿が【宿場町・養蚕町】で文部省より「重要伝統的建造物群保存地区」にも選定されているとのことです。
海野宿の見どころをご紹介
卯建(うだつ)には、いくつかの種類があり、江戸時代の「本うだつ」は建物の両側にある妻壁を屋根より一段高く上げたもので、防火壁の役割を果たすことから「火回し」とも呼ばれたようです。
明治時代に入ると、より装飾的な「袖うだつ」も設けられるようになりました。 どちらも富裕な家でなければできるものではありませんでした。 このような所から『うだつがあがらぬ』という言葉が生まれたとのことです。
海野格子(うんのごうし)格子戸のはまった家が続く海野宿ですが、一階の格子戸のほとんどは明治以降に作られました。 これに対し二階格子の多くは江戸時代のもので出格子になっており、長短2本ずつ交互に組み込まれた模様が美しく『海野格子』と呼ばれています。
また、江戸時代の旅籠屋は、一階より二階の方が張り出して造られた出桁造りの家になっている特徴があります
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます