7月3日、4日と休日なので、少し足を延ばして新発田までドライブ。別に城マニアというわけではないが、そこに城があれば見学することにしている。上越から下道をひた走り、11:20に到着。
新発田城には天守閣はない。北西角にある三階砦が天守閣代わりになっている。これは地元高田城と同じです。でも新発田城はしっかりと石垣の上に建てられています。
初代城主は溝口秀勝公。私の故郷、尾張国溝口村の出身。秀吉に仕え、関ヶ原の戦いでは家康についた勝ち組外様大名です。56年、三代の時を費やし新発田城は築かれたそうです。
ガイドの人の説明によると、当時、城の北側は海だったので、南側からの防御を考えて作られているそうです。
辰巳櫓は、堀場安兵衛の運命を決めたそうです。この櫓の管理責任者だった安兵衛の父が櫓の失火の責任を取り浪人となったため、安兵衛は18歳の時に家名再興のために江戸に出たそうです。
当時のままに土壁も作られています。これらの櫓は歴史資料として再建することで認められたと聞きました。
なんと、ここは防衛庁の敷地内(陸上自衛隊の駐屯地です)なのです。というわけで、物を作るにもいろいろと制約があるそうです。新発田城のシンボル的な三階櫓は、建てさせてはくれたものの一般の見学はできなくなっています。
表門の上階は城の資料が展示されています。床は修復の年代により木の色が変わっています。
二の丸隅櫓は中に入ることができます。
こんな感じ。因みに、新発田城は入場無料です。でも募金箱があるので、出るときにお金を入れてきました。
表門には、御土産やの安兵衛茶屋があります。店員さんに市内散策の見どころを伺いました。ご親切にありがとう。何も買わずにごめんなさい!
店の前には、堀場(中村)安兵衛像が凛々しく立っています。(高田馬場の敵打ちや四十七士の打ち入りで有名ですよね)
それにしても暑いです。汗びっしょりになって来ました。
ここから5分ほど歩くと、JAの前に安兵衛生誕の碑があります。ここで生まれたんですねー。
新発田城界隈はこれまでにして、清水園まで移動です。