小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

魁皇関・800勝おめでとう

2009-11-17 23:41:42 | 広島の生活


 黙々と,そして淡々と

 大相撲・九州場所三日目
魁皇関,幕内800勝

 チャンス!,怪我で休場
綱を張ることなくここまで来た

 特に相撲が好きというわけではない
引退した武双山と 彼,魁皇を秘かに応援した

 欲は望まない
二桁勝って,勝ち数最上位に
それが彼らしい勲章だ

 身体をいたわって
精進してほしい

干し柿作り

2009-11-17 22:34:49 | 広島の生活
 
 和歌山の串柿
 串柿の里:和歌山県かつらぎ町四郷地区【毎日新聞:11月14日(土)】
 「いつもにこにこ仲むつまじく」と,両端に2個ずつ,中に6個を刺した関西の縁起物。秋の日差しを浴びた山里の「柿すだれ」は晩秋の風物詩

 最近はやけにスズメが多いと感じていたら,ベランダに干した柿を群れでついばんでいたという。もう干し柿は作らないとかみさんが息巻いていた。
 先輩のHさんも,ネコにやられたと嘆いていたが,ネコが柿を食べる姿をみたことがないから,ヒヨドリか何かだろうと思う。
 それにひき換え,和歌山の鳥は行儀が良さそうで,野外に見事な干し柿作られている。広島県内でも尾道市御調町でも串柿作りが盛んだが,あそこではどのように防御しているのだろうか?



笑顔が一番

2009-11-17 16:21:17 | 孫たち

 寒さも笑顔で紛れる
 昨日と今日,今日は朝から雨だというのに冷え込みが厳しい。
今日など,広島地方は12月下旬から1月下旬の気温という。
職場では18も年下の若者がズボン下を履いてきたという。
それを話題にしていたら隣から,勝ったね,と声がかかった。
こんなことで勝っても風邪をひいたら元も子もない。
月が変わるまで暖房は入らないそうで,使い捨てカイロを腰に貼った。

 昨夜もパソコンは機嫌が悪いし(さっきもそうだ),寒さにいじけていたらメールが入った。
 神奈川の娘から時候の挨拶と孫の写真。
父ちゃんと湯船に浸かってなんともいえない良い笑顔をしている。
休みには山形と福島で大河ドラマの名所巡りをしたとかで,米沢市・上杉博物館での写真があった。
爺バカで言えば,雰囲気に合わせた面構えになっている。
もうじき15ヵ月になるが,伝い歩きを始めたようだ。
危ないあぶない。

 こんな写真を見ていると,久し振りに夫婦の会話もはずむ。
おかげさまで,イライラ気分も随分と収まった。 


しし座流星群

2009-11-16 23:53:01 | 広島の生活
 

同じシシでも,こちらは願いを受け入れてくれそうな獅子


 しし座流星群 18日早朝見ごろ 【朝日:11月16日】
   1時間に30~80個
 しし座流星群が活発化し,見られる流星の数が18日早朝にピークを迎える。日本では1時間あたり30~80個と控えめの予測だが,少し早起きして夜明け前の空を見上げれば,願い事の一つや二つは頼めそうだ。
 しし座流星群は,33年周期で近づくテンペル・タットル彗星のちりの帯に,地球が突っ込むことで流れる。01年には1時間に数千個流れた。
 今回の活発化は,彗星が1466年に近づいた際の帯に入るためと見られる。
 ピークの予測は18日午前7時の前後1時間ほど。ペルセウス座やオリオン座流星群と違い,急激に流れてすぐ収まる。

関連は,毎日・サイエンスなど。

ドラム缶の中の蛙

2009-11-16 23:27:58 | 島の生活

 シシは自由奔放に暗躍
 うり坊は・・・
 うり坊は かなしからずや
 ネットの青 鉄の赤にも
 染まず 穴掘る

  こんな替え歌を書いたら、牧水さんに叱られるだろうか。
土曜日の山の畠は,まずまず平穏だった。雨のおかげで穴を消してくれていたのであろう。
痕跡があったので穴を仮に修復。
ところが,一夜明けた昨日の山の畠は惨憺たるもの。畑一面に,これでもか,これでもかと言わんばかりに穴だらけ。とても2~3匹の仕業とは思えない。少なくとも5~6頭は侵入したものと思われる。
 修復には手間がかかる。何しろ,畑の周囲全面に防球ネットやワイヤーネットを張り巡らせているから,わずかな石垣の部分にはしごを掛けて材料を運び込み大廻りしながら作業をすることになる。
 半日近くを掛けてなんとか修理。夕方には公民館での展示品の撤去作業があるため,仏様のお下がりをお茶漬けにして帰広する。サツマイモはそのままだ。

 ドラム缶の穴から天覗く
 山の畠には散水用にドラム缶や風呂桶,不要となった貯水槽を置いている。その一つ,ドラム缶も古くなって上から50Cmばかりのところに穴が空いているから,水位は一定している。その中に,いまだにオタマジャクシがいる。
 親蛙はどうやって入ったのだろうか?。
 その親は,どこに行ったのだろうか?。
 冬を迎えるが,あのオタマジャクシはどうなるのだろうか?。
毎年オタマジャクシを見るのだが,
あのオタマジャクシは,同じものだろうか。
まさか,オタマジャクシがオタマジャクシを生むとは思えないが・・・。

 まさに,“むべ”なるかな
 山の畠の道路脇に雑木林がある。もともとは田圃であったが耕作を放棄して,赤芽栢など様々な植物が生い茂っている。
 その赤芽栢にツタがからみついて数年前から写真のような実を付けている。実はアケビに似ているが少し小振り。味はアケビにそっくり。ただし葉はアケビと異なり,カボックに似た葉が5枚ずつ付いている。
 通りがかりの人は“ポポ”と言ったと思うが定かでない。

 思い切ってはなせんせに投書してみた。
 なんと,効果覿面,“むべ”であろうとの回答が寄せられた。
年古して,私のように何も知らないものもいれば,こうして気持ちよく接して下さる方もいる。
有り難いことだ。目から鱗というか,まさに,むべなるかな,だ。

 毎度同じ失敗
 昨日は久し振りに陽のある間に帰宅した。
公民館からの帰り,父の命日に姉が墓参してくれていたので礼に寄った。
持参するものがないので,帰りがけにもぎ取った茄子とピーマン,それに枯れ残った蜜柑10個ばかり。
 有り難いことに,今年の暑さにも負けず,茄子とピーマンは先輩からいただいた敷き藁のおかげで,帰る都度新鮮な味を提供してくれる。
 それにしても,昨日はどうやってもインターネットにつながらない。
トマト作業の口の悪い仲間は,料金を払ってないのではないか,という。
プロバイダーに連絡してようやく作業ができた。毎度のこととはいえ・・・。

銀杏の雌雄

2009-11-14 08:21:35 | 広島の生活

 子どもの頃から雄雌に分かれていた

 昨夕帰りがけに同僚が声をかけてきた。
年の甲で知っていると思うが,ギンナンのオス,メスは?
と問う。
樹木の雌雄は知っているが,種から雄雌に分かれているとは知らなかった。
ポケットから出して見せてくれたのがこれ。確かに形が違う。
 左の2個は皮が2つに分かれて,オス。
 右の2個は皮が3つに分かれて,メス。

 島の菜園場には,邪魔をするだけで用をなさないオスの銀杏が1本ある。
山の畑に植えたいと思っていたが,廿日市市の苗木販売会社が仕事をやめてその機会を失した。
 そんな話をしていたら,どうぞと,4個を手渡してくれた。
今から島に帰って,早速植えてみよう。 

遣唐使船が沈没?

2009-11-13 14:13:00 | 広島の生活
 船首が切れ,底の抜けた舟
 性根の入らない島爺
 秋は文化の薫る季節。今日は文化にほど遠い島爺の締まらない話。
農業塾OB会・白木農園の一部会員がパソコン教室で学んでいる。講師はもちろんOB会員のNさん。現在は月2回の講習で,Nさんの好意にすがって講習料は無料。
 会場は受講者15人の中央部にあるK公民館。その公民館祭に私たちも出展することになった。内容は,“ペイント”で描いた絵。祭は明日とあさって。

 パソコンにさわり始めてかれこれ20年になるが,そのほとんどは一太郎とのつきあい。一時はその一太郎で数式も書いていた。ただし,“数式バッファ”が使いにくいソフトだったから,必要に応じて活字の大きさを変えたり,行間を変えることでなんとかしのいできた。ロータス123も使いにくいソフトで,ほとんど使わなかった。メールも10年ほどになるが,いまだに人様から届いた文書を活用している程度。数式はS社のソフトで図形も簡単に描ける。文書を書くことも少なくなったから,一太郎も縁遠い。ワードは使わないし,たまにソフトを活用してエクセルが少々。

 前の祭には,はがき作成ソフトで団扇づくり。前回はオートシィブでお絵かき。これは草臥れた。が,何とかやった。
 今回の“ペイント”は何ともはやどうにもならん。曲線はフニャフニャになるし,消せば,必要な部分まで無くなってしまう。おまけに,書いた図形が小さかったり,用紙からはみ出ていたり。
 2ヵ月も前に宿題を出されたのだが,倉橋島出身ということで遣唐使船と決めたが,手に付かなかった。先日印刷したら,A4一㌻のはずが,20余枚も印刷してしまった。今時の生徒と同じで,先生のいわれることは上の空。何度書いたり消したりしたことか。
 今朝ようやく仕上げたつもりが,(インク切れを補給して)4枚になる。図形を囲んで縮小したら,船底が抜けていた。よく見ると船首も切れ落ちている。船首だけはなんとかくっつけて,表裏の失敗をくり返しながら,なんとかTシャツに印刷を終えた。

 先の木曜日。出来上がった一部を見せていただいて感心したのが2作。一つは『秋田の竿灯祭り』なんともうまい。もう一作は墨痕鮮やかな『書』。落款をきちんと入れている。“ペイント”だから『絵』と思いこんでいたが,なんとも鮮やかな発想の転換がすばらしい。他の人のを拝見していないが,今夜あたり,
白木農園だよりにすばらしい作品が紹介されるだろう。

 しかし,Nさんも,私のような人間を相手に指導を続けてこられたのだから,辛抱人には違いないが,少し意地も悪い。これだけたたいておけば,少しは静かになるだろうという魂胆のようだ。
 ともかくこれでゆっくり休める。

前回の作品『宮島』

「おせっかいな」若さ

2009-11-12 17:01:04 | 私見
 

お元気な初老の女性の話
 この6月,「女子高生チヨ」というマンガが出版されたという(講談社,700円)。作者の母(バリバリの“大阪のおばちゃん”)千代江さん(68歳)が,還暦を迎えた'01年から4年間を過ごした定時制高校生活が主題。
 私も定時制高校,通信制高校に身を置いたことがあり,前者では50代の男性を入学させ,後者では83歳の女性に卒業証書を手渡した憶えがある。年齢差のあるものが共に学ぶことで,互いに力を与え,与えられて教室が活気づく。さて彼女は?


 女子高生チヨ(64)の青春 【毎日:11月11日から抜粋】
 子供3人は既に自立し,夫の譲さん(74歳)と自宅で写真館を経営していた。「普通に結婚して,子供を産んで育てて,夫婦2人だけになったら全然会話がない。中卒で社会に入ったし,何か達成感をもちたくて」入学。家族から反対の声はなかったが,譲さんはこうつぶやいたそうだ。「オレの晩ごはんどうなんねん」
 31人のクラスは男女半々,チヨさんは最年長で8割が10代だった。ほとんどが15歳で,うち9割は小中学校で登校拒否を経験していたという。同級生には,中国から来日し,働きながら通っていた23歳の女性や,両親が離婚して父親と住んでいる男子生徒らがいた。
 「私は異星人。世代の違いを面白がろう,こっちが仲よくしてもらわな」と,みんなの名前を覚えようと名前,住所などを書いてもらうカードを配ったり。
 授業に対するガッツはひとしおで,体育も必ず参加。スクール水着姿のチヨさんがピチピチの10代に囲まれて水泳に参加。クロールは泳いだことがなく,25㍍泳ぐところを20㍍でアップアップ。先生に「まけて!」と叫んだが「あかん!」としかられたという。

 初めは困惑気味だった同級生も徐々に心を開いた。「母の交際相手が恐い」と家でした女子生徒を家に泊めたり,男子生徒のあるバイト先の相談に乗ったり。卒業後もミクシィ(インターネットの会員制コミュニティサイト)で「ゆるーい」交際を続けているらしい。
 10代の生徒たちもチヨさんと机を並べ,人生観が変わったようだ。親に言われて何となく学校に来たけど,チヨさんの勉強する姿をみて『なんで勉強するか分かった』という子も。

 チヨさんが高校に通い始めて最大の収穫は,夕食を心配していた夫の譲さんが料理に目覚めたことだという。揚げたての天ぷらと冷えたビールを用意してチヨさんを出迎えたり。最初はご飯を用意していたが,『材料切ってくれたら後やるで』に変わり,『材料買うといたから』と。
 途絶えがちだった食卓の会話も,豊富な話題に事欠かなくなった。
「高校へ行くと自分の15歳を思い出す。そんな話をしていたら主人も15歳の頃を想い出し,夫婦仲が柔らかくなった」

 チヨさんは10月末から,母親が赤ちゃんに,“自分たち夫婦と祖父母,曽祖父母4代の写真集をプレゼントしょう”という運動を始めた。高校で「自分を粗末にしている子が多い」と感じたのがきっかけだ。
「命のつながりを見て,自分が愛されていると感じてくれれば」という。
 著者で娘のひうらさんは,
「前はイライラする普通のおばちゃんやったけど,考え方がすごく柔らかくなった。ミクシィとか表現の場が与えられたのもよかった」

 サークルでも学校でも「第二の人生」は,様々な価値観と出会うチャンス。そんな時,何かと皮肉られる“大阪のおばちゃん”の「がめつさ」は大いに結構!。それに何でも楽しむ「しなやかさ」をひとさじ加えれば,無敵なおばちゃんの完成だ。(毎日新聞学芸部・反橋記者)
  

ついでにもう一つ,気持ちのいいおせっかい



 産経オピニオン (11月10日)
 転勤で大阪市内のマンションに引っ越してきた日,隣室に挨拶に行くと奥さんに「大阪は初めてですか」と聞かれた。「はい」と応じておいて,自室に戻り,30分ほど過ぎただろうか。その奥さんが訪ねてきた。近所のスーパーや病院,雑貨店などの位置を書き込んだ地図を手にしている。
 「町に慣れるまで困るでしょ?」。
一瞬,戸惑ったものの,昭和の人情ドラマの世界に入ったような懐かしい気分になった。
 大阪を「おせっかいの町」といった人がいる。悪い意味ではない。相手の気持ちを推察し,先回りして世話する。一歩間違うと嫌な顔をされるので,潤いのある人間関係ができていなければ難しい。他人の生活に介入したがらない現代社会では美徳とさえいえる。
 ・・・・ (大阪特派員:小林毅)

老いを生きる

2009-11-11 23:48:51 | 私見
 新聞から

「老いの壁」と向き合う 【毎日:11月11日,養老孟司×中川恵一対談から抜粋】

・ 100歳以上の長寿者が今年9月現在で4万人を超えた。そのうち86%が女性。
・ がんの死亡は男性が女性より1.5倍ほど多い。
  乳がんや子宮がんなど女性特有のがんがあるにもかかわらず男性が多いのは生活態度が原因
・ 年を取り,独り暮らしになった時,圧倒的に女性が長生き。
  男性は家事をせず,身体を動かすことが少ない。若い頃は脳だけあればそれでよいと考えていたが,ようやく身体が大事だと考えるようになった。
・ 日常生活が普通にできる健康寿命は女性が79歳,男性は73歳。その後は介護の問題が生じる。
・ 日本の寝たきり人口は約400万人。65歳以上の認知症が約200万人。
・ 寝たきりにならない秘訣は,身体を動かすこと。
  脳を支えているのは身体であり,それをおろそかにするとまともなことが考えられなくなる。
・ 介護と同時に,課題は,日本の自殺者の多さ。年間3.4万人。
  がん志望者は年間34万人。その1割にあたる人が自殺している。
・ 高齢者は,以前は大家族の中で自分の生き方を家族に示すことができた。
  病院で亡くなる人が85%という時代で,子供たちが老いや死を間近でみることが少なくなった
・ がんで死なないためには検診が特効薬
  欧米では8割近くが受診するが,日本では2~3割
・ 私たちの身体では毎日,がん細胞が生まれ,それを免疫が殺している。
・ たった1個,見のがされた乳がんの細胞が1㌢になるまで15年。
・ 1~2㌢ までが早期がんだが,この間の2年間に定期検診を受ければ発見される。
・ 近代医学は病気を何とか治すと言ってきたが,年(年齢)は治せない。
  高齢になれば,がんになる確率が高まるのは仕方がないこと。
・ 親が年を取って病気になるのは仕方のないことなのだ。これを問題と考えないこと。介護もだ。
                 (共に東京大学医学部卒,現,名誉教授と准教授)

※ 見習いたい最期の姿 
      【毎日:11月11日,「がんから死生を見つめる」から抜粋】:中川恵一
 先日亡くなった50歳の患者さん。膵臓がん。学生時代に起業した上場企業のオーナー。
別の病院で手術を受けたが再発。がんが神経を圧迫し,みぞおちに痛み。膵臓がんには,ジェムザールという抗がん剤が特効薬だが,「(倦怠感などの)副作用が仕事に差し支える可能性がある」と,拒否された。自ら主治医に放射線治療を提案,東大病院の中川Drにかかる。
 放射線の治療で痛みは軽くなったが,肝臓への転移を確認。がんは転移すると,窓から出ていった小鳥が捕まえられないのと同じように,治癒はほぼ不可能で,本人もそのことはよく知っていた。
 日本では,まず家族に病状を説明するのが普通だが,この人の場合,すべて,本人とだけ話をしてきた。「奥さんにも説明した方がよいのでは」との提案にこう答えた。
 「腫瘍マーカー(がんによって作られる血液中の物質)の上昇が緩やかになっただけで,女房がすごく喜ぶ。来年までもたないかもしれない,なんていうと,『そんなこと言わないで』って泣くんです。女房のことを考えると,少しでも頑張らなきゃなって思います。女房をがっかりさせたくない」
 彼は,自分の死を恐れるのではなく,家族や友人が,自分の死を嘆くことを恐れていたのだ。そして,亡くなる前日まで自宅で過ごし,まだ小学生のお子さん,一人ひとりとお話をして,来客とも会われたそうだ。
翌朝,容体が急変し,救急車で東大病院まで搬送され,そのまま亡くなった。
 自分もがんで死にたいと思っている。見習いたい死の姿があった。

新人教員の退職最多-2

2009-11-10 23:14:16 | 私見
 問題は現職教員に・・・

 「新人教員の退職最多【11月5日:毎日,産経など】」の記事をどう読むか。
23,920人の採用者の内1.3%にあたる315人が正式採用を待たずして辞めたという。公務員一般職の数字がないので比較のしようもないが,
「このごろの若者は簡単に辞める」
という企業の声を耳にすると,少ないように見える。

 しかし,「教職をめざして精進を重ね,教育実習も済ませて難関を突破した」ことを考えると,この数字は多いようにも思われる。
 昭和40年代には作文教育に誘われて,敢えて小規模校や分校教育に携わることを希望した教職員が,厳しい現実との差で自死や辞職につながることもあった。
 現在は中規模校以上の学校に配属され,指導教員のもとで教科指導,校務運営に携わっているはずだから,単に「現実とのギャップ」でと片付けずにしっかりと原因を調査して教育現場や大学にもフィードバックしてもらいたい。

 ところで気になるのは,校長や副校長,主幹教諭から一般教員などに自ら希望して降任したのは179人という数字。この半数ずつを主幹教諭と副校長・教頭が占めている。
 校長は(一時は教育委員会への提出物をすべて自分で処理しなければならないという特異な学校もあったが),文書処理等は副校長以下に下命し,最終責任は自分がとるという仕組みができている。悲哀を託つのは彼らであって,雑務に追われ,この間まで同僚であった教職員の人事評価にまで加わらなければならない。
 真剣に児童・生徒の指導に取り組んできた教員ほど,「こういうことなら教諭として職責を全うしたい」ということになる。

 さて問題は,「指導力不足」と認定された教員が306人を数えたことだ。しかもその8割は40~50代のベテラン教員が占めている。306人は新人教員が職を辞した数に相当するが,彼らは現実とのギャップから自ら身を引いた。一方で『ベテラン』教員は,何も悩むことなくのうのうと20年以上もただ飯を食ってきたことになる。
 保護者は,中高年教員に当たると“ラッキー”と思うが,悲劇はその『ベテラン』教員の指導を受けることになる児童生徒で,その後遺症は,下手をすれば生涯を支配することもあるだろう。
 どこの世界にもこうした輩は存在すると思われるが,教育界では,しっかりこうした『ベテラン』教員をあぶり出してほしいものだ。
 その中心となるのが,主幹教諭と副校長・教頭であるから,彼らが働きやすいように配慮するのが,校長,教委の役目ということになるだろうか。