小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

世界遺産・宮島

2009-11-24 18:11:57 | 広島の生活

 秋の宮島は人,人,人,人の波

 23日(月)は,世間では“勤労感謝”の日だというのに,前日は雨中での作業(小雨になって雨合羽があることに気付いたが),夜間広島にとって返し早朝からトマトの作業。
 22日(日)は,“いい夫婦”の日だったそうだが,私ども二人は離ればなれ,かみさんは山に登って,帰宅時間は私よりゆっくり。

 帰宅を待っていたように,母を連れてどこか温泉にでもという。母は遠慮したわけでも無かろうが,体調が優れないのでまたという。逆に娘家族に誘われて宮島に行くことにする。
 世界遺産に指定されたが,久しく訪ねたことがない。孫たちもロープウエーに乗るのを楽しみにしていたが・・・。
 広島市内はすんなり抜けたが,廿日市市に入ると車は遅々として進まない。宮島口まで3時間。駐車場を探し,ロープウエー乗降口に着いたのが4時前。ここでも列を作って待つ状態であったから私ら二人は町並みを散策することに。

 もみじ谷の紅葉は終わりに近い。
途中,高台に「天皇陛下も景観を楽しまれた」茶屋という案内の看板につられて立ち寄ったのだが,半ば強引に抹茶を勧められて,抹茶はどうもと断ると,では引き返せという意味のことを仰る。飴を買わないのなら見るな,聞くなと紙芝居の小父さんにしかられたようで面白くもなかったが,引き返した。

 麓のもみじはまだ美しさが残っていた。
大聖院には初めてであったが,仁王門に圧倒され,様々なポーズと表情をなさっているお地蔵さんに心を和ませてもらった。
 時間が遅くなって,海に浮かぶ回廊を巡ることはできなかったが,灯の入った石灯籠とライトアップされた大鳥居が見るものの気持ちを温かくする。写真に納めたかったが,携帯電話では無理だった。

 子供たちが桟橋に帰ってきたのが7時過ぎ。下山の最終便は5時半の予定であったが,往きも帰りも行列だったそうだ。この時間になると食べ物屋も閉まり,かみさんはもみじ饅頭と肉まんを,私は冷酒を腹に入れたがちっとも温もらない。
 本土に渡って軽く食事を済ませて帰宅したのが9時。当方は行きはビール,帰りは酒と楽しんだが,往復とも運転の婿殿には悪いことをした。

 昨夜一杯聞こし召した勢いで投稿したが,すべてパー。独り良い思いをしたバチがあたったのか?