Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「ソラニン」 三木孝浩

2010-05-03 01:46:31 | cinema
ソラニン
2010日本
監督:三木孝浩
原作:浅野いにお
脚本:高橋泉
音楽:ent、ASIAN KUNG-FU GENERATION
出演:宮崎あおい、高良健吾、桐谷健太、近藤洋一、伊藤歩、ARATA、永山絢斗、岩田さゆり、美保純、財津和夫



基本センチメンタルな人間なんですけど
映画の日だし、宮崎あおいちゃんの姿を大画面でみてやるか的気分
「ソラニン」を観に行ったのです。渋谷のシネクイントに。

そしたらもう冒頭河川敷からなんか涙腺がゆるみ
中盤からはワンカットごとに、どー、と涙が流れ
終盤は号泣になるところを必死にがまんしてたというていたらく。

さすがにひとりで観に来ている中高年メタボとしては
嗚咽号泣うえっうえっ!という事態だけは避けなければならん
左右に座る推定ワタシマイナス20歳な若者たちにしめしがつかん!と
全身筋肉を緊張させて嗚咽だけは避けることができたのだが、
観終わった後文字通りムネが苦しく全身ぐったり状態に。
こんな疲れた映画は近年ないね



バンドやってて、時の経過とともに現実に向き合っていかざるを得ないときの
あのぼんやりとした無力感というか居場所なし感ていうのは
もはやどこにでもある普遍的な物語でもあり
自分にとっては20年前にとうに過ぎ去ったドラマでもあるのだが、
この映画がなんの解決も導かないのと同様に
その20年前のドラマにしたって実はまったく解決などしておらず
号泣の原因はその蛍火のように残り続けている無力感にあるのだなと思ったりする。
それがノスタルジックな既視感によって涙腺刺激要素が増幅されているとはいえ、
若者には不思議に思えるかも知れないが、
バンドオヤジでさえもいまだひっかかりのある話なのである。


が、一方では若い時期の強烈なドラマ直面を、すでにこちとらは乗り越えてしまったのであって、
いわば生き延びたあとの物語をこそワタシは生きているのである。

蛍火の無力感は、裏返せばイコール情熱とも置き換えられるのであって、
生き延びた後の世界のありようの中でも、それなりに形を変えて情熱を形にしていくことだって実は可能なのだということが、今ならばわかる。

ソラニンのリアルタイムな者たちよ。
ここはなんとか生き延びて、その後の生を蛍火に導かれて生きよ。
炎の大きさではない、炎を契機として開かれる深淵を知りながら生きることが出来るのが重要だ。
大丈夫だ。
それを形にする手だてはなお存在し、その手段も多様化し変化しているではないか。
生きる道はこれから開かれるのだ。

***

燃え尽きかけた青春を、最期にはなばなしく燃え上がらせてカタルシスを得る的な
ありがちなドラマではなくて、ここでは仮に音楽に身も心も吸い上げられた者が経験する、
一種の脱構築、世界の枠組みからどうしようもなく逸脱してしまうこと、その厳しさをとらえている。
それが『ソラニン』の優れたところであり、浅野いにおの力量であって、その核心ををしっかり映画でもつかんでいるのがすばらしい。

アイドルの「アーティストデビュー」のためのバックバンドになってデビューへの足がかりを作っていくのが例えば、構造の外に逃れつつも外側にある別の構造に組み込まれるという形の脱構築だとするならば、
種田や芽衣子たちの感じていることは、本当の脱構築?どこまでも構造にとらえられまいとするなにか内なる衝動なのだ。
それは前者に対して言えば、はるかに過酷で堪え難いポジション(というか非ポジション性)なのであり、
その過酷で堪え難いさまをこそ浅野と映画は知っているのだ。

そこに愛と暴力と死と怠惰があるのももちろん偶然や飾りではないわけだな。

****

しかし、宮崎あおい(て、ただしい崎の字がないんだけど~ことえり~)ちゃんは、実にかわいいね。
ちょっとあざとい感じもしないでもないが許す。
あんなのが近くにいたら種田じゃなくても人生狂う。犯罪的ですらある。

ただし彼女がビール?飲むところはどうしたってウメッシュな感じがしてしまうのが難点だw



サンボマスターの彼(加藤=近藤洋一)は、ほんとは俳優じゃねえのか?というくらいにすばらしい動きをしていた。
ありえない。

「ルーキーズ」にもでてたドラムの彼(ビリー=桐谷健太)だって、あんだけドラム叩けるんかよ、すげえな!

種田の高良くんのギターだってすごいし。
若い連中の才能ってすごいんだな。

あおいちゃんもあんだけ短期間にギターあれだけマスターできればすごいよな。
ついったーでソラニンのアカウントがつぶやいていたところによると
彼らのライブシーンなどでの汗は、もう本物の汗だっていうしさ。
そういう映画ならではの身体性を見事に与えているところもいいよな。


とにかく号泣よ号泣。嗚咽号泣滂沱。
泣きゃあいいってもんじゃないけど、このワタシを号泣決壊寸前にまでもっていきやがった映画の記念として、買う予定のなかったパンフを帰りに買いました。

終わり。




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