Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「蜂の旅人」テオ・アンゲロプロス

2016-03-19 03:19:42 | cinema
蜂の旅人 [DVD]
クリエーター情報なし
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)


蜂の旅人O MELISSOKOMOS
1986ギリシャ/フランス/イタリア
監督:テオ・アンゲロプロス
製作:ニコス・アンゲロプロス
脚本:テオ・アンゲロプロス、ディミトラス・ノラス、トニーノ・グエッラ
撮影:ヨルゴス・アルヴァニティス
音楽:エレニ・カラインドロウ
出演:マルチェロ・マストロヤンニ、ナディア・ムルージ ほか


アンゲロプロスとしてはいつものスケール感や
圧倒的な霊感、歴史の重み、などなどをあまり感じさせない作品でした。

主題はいろいろ過去を背負った老齢に達する男に訪れたメランコリーということになるだろう。
メランコリーをもたらしたいろいろなもの、ではなくて
メランコリーとはなにか、でもなくて
メランコリーな状態そのものが主題。
つまり徹底的に内向きなのですね。

マストロヤンニのスピロさんは映画の冒頭
娘の結婚パーティーのシーンからとにかくメランコリック。
いきなり。説明もなしに。
動作はにぶく、パーティーを楽しんでもいない。
ひとり別室にいって水道の蛇口から水を飲んだりしている。

スピロさんはメランコリーを充実?させるために
職も辞し、ひとり養蜂の旅に出るらしい。
どっぷりひたりこむつもりなのだ。それがメランコリーの特徴よね。

ところがそのひたりこみを阻害する要因が現れる
変に人懐こい若い女。
女だからいいじゃんと思わないこともないけれど、
最初はそれはひどく気分を害する存在なのだよね。メランコリーの人にとっては。
場違いというか異世界すぎる。

ウツのときに宴会に引っ張り出される気分かな。

そういう無理やりのぶつかりあいと混合がこの映画をけん引する力になっていくのだけど。
メランコリーなのにだんだん女にひかれていく自分もいるわけで
そういう両義的なありかたがまた愚かしくはらだたしい
ということで、憂鬱と劣情のあいだをゆっくり行き来しながら
二人の旅は行きつくところにいきつくのです。


いきつくところが閉館した映画館だというところは面白いですが
なんで映画館なんだろう。

あと肝心な養蜂のお仕事はあまり描かれないのがちょっと残念。
養蜂に打ち込む姿はメランコリックサイドに深みを与えたかもしれない。
でも仕事が観念的な扱いになっているところはアンゲロプロスらしいところかもしれない。
『エレニの帰郷』の彼の映画仕事みたいな扱いだ。
そういうふうにモチーフの具体性をさりげなく失わせることで
リアリズムっぽいのに実はファンタジーという彼の作風のトーンを生み出しているのかもしれないな。



マストロヤンニは動きがぎこちない印象
どの作品をみてもなにかぎくしゃくしていると思う。
動きが印象を支配するという点でジャック・タチっぽい(強引)


@自宅DVD
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