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サッドヴァケイション プレミアム・エディションジェネオン エンタテインメントこのアイテムの詳細を見る |
2007日本
監督・原作・脚本:青山真治
撮影:たむらまさき
音楽:長嶌寛幸
出演:浅野忠信(白石健次)石田えり(間宮千代子)宮崎あおい(田村梢)板谷由夏(椎名冴子)オダギリジョー(後藤)光石研(茂雄)斉藤陽一郎(秋彦)辻香緒里(松村ユリ)中村嘉葎雄(間宮繁輝)
青山真治「サッドヴァケイション」2007みました。
「Helpless」1996、「EUREKAユリイカ」2000の続編といえば言えるのだけれど、これは続編ではなくひとつできっと立つ作品に仕上がっています。
「ユリイカ」にあった、どこにも行き場の無いがゆえに永遠に感じる隔絶の中の再生というモチーフは影を潜め、行き場の無い者の現実の生の容赦なさが全面に立つ。
「ユリイカ」でおそらく回復の兆しを見せておわった梢がかろうじてその癒しの記憶を持って流れ着く「間宮運送」に、こんどは本当に行き場のない人間である健次がたどり着く。この二つの世界の混淆が、大きな橋を臨む道のどん詰まりに行き止まりのようにして存在する間宮運送であることが、もう脚本を越えてこの映画が映画であることをよく表していると思う。ロケ地を選んだときから映画ははじまっていただろう。
しかし、このどん詰まりにおいて生き抜こうとしているのは、唯一、実は健次の母親である千代子であるということは、ちょっと強引に思える。
彼女は自分の息子を失いながら(しかも二重に失いながら)、健次の女である冴子に子供が出来たことに理不尽なまでの希望を見いだす。この母性の無条件の勝利の理由がわからない。普遍的とはいえ決して現代的とは言えない勝利の構図に、中上健次的血縁的情念を求めるほど、この若い監督は歴史に/物語に囚われてはいないはずなのに。
もしかしたら、このどんづまりにおいてほとんど不可能な出口が必要だとするとそれを無理やりにでも開ける可能性のあるのは自分なのだという千代子の自覚もまた、一つの意思のどんづまりの姿なのではなかろうか。再生や解放がいっそう困難である男・地方都市・中小企業という世界における、希望の可能性としての消去法的選択の姿を示しているのかもしれない。
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もうひとつ感じるのは、世代交代の映画であるということ。他人のために生きるということができるだろうか?と自らに問い、梢を再生に導いたマコちゃんは死に、そのあとにやってくる健次は、しかしもはやそうした力はない・・いや、すでに彼には他人のために生きるという意志がない。それがゆえに、いつの間にか他人のために生きている自分が恐ろしくなり、そこから逃れるための復讐劇をおそらくは本人すら確たる自覚のないままに行き当たりばったりに画策するが、結局は母性の勝利に手を貸し、自らを解放することは出来ない。
自覚があるがゆえの癒しのマコちゃんから、無自覚故の恐怖の健次へという移行のなかで、自浄力すらない世代への交代が冷たく描かれているのだ。
しかしここにもうひとつの勝利をみることもできよう。それは梢の自立である。梢は登場人物のなかで唯一自分の居場所を自分自身で切り開き、他への依存を拒否している。それは母性の勝利という物語からも離れて自立している。真の勝利者は、世代の交代のなかをひとり静かに立ちつくす梢なのかもしれない。
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それから(まだあるんか)、光石研の再登用もなんか気になる。「Helpless」で二度にわたり死を暗示された安男はしかし死が明示されたわけでなく、それを演じた俳優がしゃあしゃあと別名で「ユリイカ」「サッド~」に登場する。死者の召喚がこの3作の中でなにを意味するのか?これはまだよくわからない。
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3作の中では「ユリイカ」がいちばん好きだなあ。
浅野忠信はちょっとかっこつけ~なかんじだし
「サッド~」での宮崎あおいはもうちょっと出番がほしいし。
そういや、このふたり以外はみんないい感じじゃない?
中村嘉葎雄なんかすごくいいし、オダジョーのコワい感じもいいし
ユリも冴子もとてもいい。
光石研とはすごく友だちになりたくない(笑)
>千代子の自覚もまた、一つの意思のどんづまりの姿なのでは
私もそう感じますね。全てを手中に収めた感のある千代子です。なおかつ、演出上でも彼女の不気味な微笑みがスクリーンを占めています。しかし。こんなやり方で未来が明るいとは到底思えませんもん。冴子は身ごもったがために、千代子に絡めとられてしまった。一方、梢は千代子の呪縛の外側にいる唯一の女性です。
梢を真の勝利者と見るmanimaniさんの意見に私も全く同感です。
コメントありがとうございます。
同じように観ている人がいらっしゃって、なんだか心強いです。別に孤独に自分だけで思っていてもいっこうに差し支えないのに、なぜか嬉しいもんですね(笑)
梢は希望でもあるけれど、ただこの先どうなるのかが全く未知数であるところも怖いところです。「希望を託す」などという楽観的なことは出来なかったのでしょう。きっと。そう思いたい。