Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「ゴダール・ソシアリスム」ジャン=リュック・ゴダール

2010-12-31 22:01:29 | cinema
「ゴダール・ソシアリスム」FILM SOCIALISME
2010スイス/フランス
監督:ジャン=リュック・ゴダール
監督部:ファブリス・アラーニョ、ポール・グリヴァス、ルーマ・サンヴァール、アンヌ=マリー・ミエヴィル、ジャン=ポール・バタジア
撮影:ファブリス・アラーニョ、ポール・グリヴァス
サウンド:フランソワ・ミュジー、ガブリエル・アフネール


映画納めはゴダールでした。

初のデジタル撮影という話でありましたが、
これまでのどの作品とも違うむき出しの荒々しさ(画像が荒いということではなく)が驚きの映画。
基本自然光で撮った時のデジタルカメラの特性を
よくも悪くもそのままさらけ出してしまう、
そういうところが、批評性という距離感すら超えてしまうゴダールの映画との関わりを想像させて、なにやらぞっとしたりもする。

よりによってそうした映像を、水=海原で始めてしまう大胆さも
驚きでした。
曇天でもなくしかし凪でもない、
降り注ぐ陽光から逃げ場のないあの海辺の厳しさを
そのままカメラに写し取った導入部は
この映画のこれからの80分あまりの困難さ、険しさを伝えて余ある。

はたして、実に険しい三部構成の映画でありました。
常に逆光も露光不足もモノともしない画像で
シルエットと成り果てた人物が語る、そのかたわらでは
自然らしさということを微塵も意識していないであろうサウンドが
時には右チャンネル、時には左チャンネルと耳障りなノイズを重ねて来る。

見苦しく聞き苦しい時間のなか、
思念は常に妨害されながら、ヨーロッパの(禍々しい)来し方行く末を必死に考えている。
辛い辛い思念の第1楽章と第2楽章のあとは
前作『アワーミュージック』にも通じるマッシュアップされたイメージの応酬で挑むのは「人類史」だ。

ここまで来てしまったか。。と思う。
それはもはや自然の色彩さえも大胆な編集の対象としてしまう
デジタルの技術の傍若無人な手つきによって感覚的に訴えられる
終末感。

もはや名作とも必見作とも言いがたい
劇映画とも言いがたい
あらゆる位階を虚しく感じさせる作品
もしこれが本だったら
すり切れて手あかにまみれぼろぼろになり
あげくに惜しげもなく捨てられるような
そういう作品だと思う。

*****

パンフで知ったのだが
この映画の題材となっているスペインの黄金の話は
なんとジャック・タチが生前ゴダールに語った話がもとになってるとのこと!!
こんな形でタチの影が落ちるなんて
意外だねーー


あと、サウンドやばすよ。
フランソワさんのワザさらに極まれり。
ゴダールよりも彼が凶暴なんじゃないか?w
オープニングのピーってのからしてありえん。


もういっかい行くかも。


2010.12.31 16:50 TOHOシネマズシャンテ4F



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