Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「悲劇のロシア」亀山郁夫

2008-03-04 03:10:58 | book
この人この世界 2008年2-3月 (NHK知るを楽しむ/月)
亀山 郁夫
日本放送出版協会

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ロシアの現代芸術史を「悲劇」という切り口で眺めてみるというスタンスになにか非常に惹かれたので手に取る。
著者はロシア文学の研究家であり、話題の「カラマーゾフの兄弟」新訳の訳者である。著者は19世紀末から20世紀前半のロシアの代表的な芸術家(ドストエフスキー、マヤコフスキー、ブルガーコフ、エイゼンシテイン、ショスタコーヴィチ)について論じ、この時代のロシアの悲劇とはどのようなものであったのかを説き起こす。

その時期のロシアは、過酷な権力支配が民衆の生活に大きな影響をおよぼした時代であって、権力との関わりを考えずにその時代の芸術を捉えることはできない。著者は巨大なイデオロギーや権力者へのすりよりの一方で、個としての真実を求めざるを得ないという芸術家のアンビバレンツな在り方にロシア芸術の悲劇の源泉をみる。
芸術家におけるこのせめぎあいは、特にスターリン政権下においては文字通り「命を賭けた」せめぎあいであり、一歩間違えれば奈落が待っている。その緊張のなかで具体的に作品の形が定まっていったことを忘れて彼らの作品を鑑賞することはできない、と読んだワタシは実感する。

たとえばショスタコーヴィチの作品について、「二枚舌」と著者が形容する特質を考えることは重要であるようだ。ロシア・アヴァンギャルドの流れを汲み自由で革新的であると同時に、ロシアの気分である「不意の暴力」を表現した初期の作風は、オペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」批判を契機にスターリン政権下では「形式主義的」として強い批判にあう。
ショスタコーヴィチはそれに対して、表面的には革命賛美的な作品を書き名誉を回復するが、その一方で、密かに個の上に存立するような作品を書く、あるいは作品中に密かに個の痕跡をしのばせるという、二枚舌路線を歩む。
たとえば名誉回復作として有名な交響曲第5番第4楽章で執拗に繰り返されるA音はなにをあらわすのか??第7番第1楽章のレハールのオペレッタとの引用関係は?などという謎を考えながら聴くならば、スターリン期の作品を「政権と迎合した作風」と分類して済ませてはいけないのだ。そこにこそこの作曲家のロシア的悲劇が内在しているのだ。


・・ということでなんかショスタコのことばかりが印象に残ってしまったが、冒頭多くの章を割いているのはドストエフスキーについて。
スターリン時代に限らず権力による鬱屈というのがロシア的血であること・・は、ドストエフスキー作品の持つ一面なのであって、ドストさん理解には4つのレイヤーで理解していくのがいいと筆者は提案するのが面白かった。表象層・歴史層・自伝層・象徴層。それぞれの要素が重層的に融合しているのがドストさんの作品だという。この重層性によってその作品は深く多様な問題を現在にいたるまで放射しつづけるのだ。
なるほど~

そして、現代の日本でドストエフスキーやショスタコーヴィチの受容が進んでいるとすると、それは現代人が目の当たりにする「不意の暴力」的世相で受ける傷からの回復の体験なのだ、という主旨の筆者の指摘も、なるほど~


というわけで、軽く読めて面白い本でした。

****

ここに挙げられている人たちが、いずれもスターリンの大粛清を免れた人々であるところも選択の妙である。(ドストエフスキーとマヤコフスキーはそもそもその前に没しているのだが)
エイゼンシテインやブルガーコフが明確に反スターリン的資質を持ちつつも当のスターリンによって庇護されたという事実も、また権力者の不気味な嗅覚を感じさせて恐ろしい。

しかし、ロシアの社会主義国家というのはなんだったのだろうか。今の我々はそれを総括しきれているだろうか。200年後くらいの歴史家はどういう風にそれを位置づけるだろうか。知りたい。



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4 コメント

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Unknown (しばた)
2008-03-04 23:56:08
このテーマをもっとじっくり読みたければ、亀山氏の『磔のロシア スターリンと芸術家たち』(岩波書店)をおすすめします。取り上げられている芸術家は、ブルガーコフ、マンデリシターム、マヤコフスキー、ゴーリキー、ショスタコーヴィチ、エイゼンシテインの6人です。
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どうも (manimani)
2008-03-05 01:35:01
☆しばたさま☆
ありがとうございます。
それ、ぜひ読んでみたいと思います。

しかし、しばたさんがここを読まれるというのはなんとなく想定外で、急に恥ずかしくなってしまいました(汗・笑)。
もっと気を入れて書かねば・・・
(名前の表記とかね・・「ドストエフスキイ」のほうがよいかしらん??)
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Unknown (しばた)
2008-03-05 17:15:48
しばしば拝読しておりますよ。

亀山先生はドストエフスキー、マヤコフスキーなど、音引きを使っていますね。一般的には音引き表記が多いようです。
「○○スキイ」表記は工藤幸雄氏推奨でした。
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わたしは (manimani)
2008-03-05 20:00:48
☆しばたさま☆
コメントありがとうございます。

わたしも基本的には読んだ本等で用いられている表記を使うようにしているのですが、たとえばソヴィエト文学専門?の群像社ではストルガツキイのようにスキイ表記ですね。早川書房ではストルガツキーになってますけど。ドストエフスキーはスキー表記が多いと思いますし。

自分のなかに確たる基準がないので、原典尊重ということでいきたいとは思いますが、ご指摘のあったポーランド人名の表記などは原典(和訳)の信憑性も怪しいとあっては、どうしたもんか悩みます。

まあ、わたしは勝手に悩んでいればすむんですが、翻訳をやられる方には大問題ですね。
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