Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

アンドレイ・タルコフスキー「ストーカー」

2006-01-18 15:49:55 | cinema
ストーカー

アイ・ヴィー・シー

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1979ソ連
監督:アンドレイ・タルコフスキー
原作・脚本:アルカージー・ストルガツキー、ボリス・ストルガツキー
音楽:エドゥアルド・アルテミエフ
出演:アレクサンドル・カイダノフスキー、アナトリー・ソロニーツィン、ニコライ・グリニコ

隕石の墜落にともなってできた「ゾーン」
軍隊が調査に入ったが戻らなかった。現在は非常線が張られ、進入禁止となっている。
しかし「ゾーン」に行けば、あらゆる望みが叶うという。
「作家」と「教授」は「ゾーン」の案内人「ストーカー」に依頼し、ゾーンへの侵入を試みる。

「ゾーン」内部は外界の法則、合理主義や経験則の通用しない世界として描かれているが、映画では、ゾーン内部でなにか外的な現象が起こるわけではない。あるのは、廃墟とそこに流れ横溢する水、そしてそこをさまよい歩く3人の織りなす果てしない会話だ。

特に「作家」の言葉が印象に残った。表向きは新たなインスピレーションを得るためにゾーンに赴くが、内実は、作家としての自己のありように悩み、すっかり目的や信念を見失っている。何のためにゾーンにいくのかわからない、とひとりごちる。
最初に酒と銃を持ってゾーンに入るが、途中ストーカーとのやりとりで酒を捨て、銃を捨てる。
そしていよいよ望みが叶うというゾーンのなかの「部屋」の直前にきて、こう悟る。「ゾーンで叶うのは無意識の願望なのだ。自分の本性に出会うくらいなら家で飲んだくれていた方がましだ」

ストーカーの先輩「ヤマアラシ」の逸話もそこへ繋がる重要だ。彼は弟を連れてゾーンに入るが、弟を死なせてしまう。その後自らゾーンの部屋に入るが、帰還後に自殺してしまう。弟を帰して欲しいという望みを抱きながら部屋に入ったが、叶ったのは大金持ちになることだったという。後悔も憐れみもすべて見せかけにすぎなかったことに苦しみヤマアラシは自殺したのではないか?

しかし、大切なことはすべてをさらけ出し、その先にあるものを信じることだとストーカーは本能的に理解している。結局「作家」と「教授」は部屋を前にして無私の信仰へ踏み出すことを怖れ、苦悩と不安に満ちた俗界へと帰還してしまう。
この勇気のなさにストーカーは絶望する。
この絶望をわれわれ観るものへの問いとして、この映画は終わるのだ。

ただ最後にストーカーの娘が見せる不思議な能力。知らず知らず神秘の力が息づいていることに希望と畏敬を見ると考えるべきなのだろうか。
よくわからない。
(ベートーヴェンの歓喜の歌が流れるし・・・)



**

経験則の支配する外界のシーンは、重苦しいダークセピアで撮られ、ゾーンの内部は緑溢れるカラーで撮られているのが象徴的だ。
(でも「オズの魔法使」を思い出したりして・・・)

ラストシーン遠景に見える原子力発電所(だと思う)が文明の行き着く先の象徴だと思うのはちょっと「偏った」見方?

ラスト近く、ストーカーの妻がいきなりカメラ目線で観客に語りかけるのも非常にビックリする。

ストルガツキイの「路傍のピクニック」が原作だけれど、この作品をSFとして期待するととんでもない肩すかしをくうだろう。
脚本もストルガツキイとなっているけれど、これは間違いなくタルコフスキーが「書かせた」内容だと思う。(笑)

しかし映像の様式美という点ではかなり徹底していると思う。あのトロッコで延々ゾーンに入っていくシーンなど、タルコ好きにはたまらないシーン多数。



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10 コメント

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Unknown (piaa)
2006-01-18 23:20:13
原作のファンなのでタルコフスキーの映画には見事に煙に巻かれました。

もちろん原作の、そして主人公レドリック・シュハルトの、戦後の闇市を連想させるパワフルさが、タルコフスキー向けでないことなど初めからわかり切っていましたが。



「ソラリス」よりもはるかに原作より遠い世界になっています。

 原作ファンの私としては気に入らないところもかなり多いのですが、それでもなにか心に引っ掛っている魅力的な映画です。

 トロッコでゾーンに入っていくときの、トロッコの単調な音が強烈な印象になって頭の中に残っています
返信する
確か1ヶ所 (st/ST)
2006-01-19 01:48:48
ゾーンの砂のある部屋(だったか?)で

鳥(カラス?)が飛ぶ所、

コマ飛ばしっぽいトリック撮影で

空間が尋常で無いことを表わした場面がありませんでしたっけ?



『惑星ソラリス』を含め、

多様に受け取れるような要素が入り混じったタルコフスキー映画が

好きなので、この映画でもラストの告白場面からが苦手です。

その前はかな~り好きですね。

特に前半は登場人物の3人それぞれに

タルコフスキーが思い入れているように感じられ、

その分裂した有り様が好みです。

『惑星ソラリス』もそのような意味で妻(のようなモノ)が

扉を破る場面や自殺後息を吹き返すところなど、

そんじょそこらのホラー映画も

負けそうな画面の迫力が感じられるし、

主人公の同僚にも『ストーカー』同様、

複雑な監督の自己投影が感じられます。

『ノスタルジア』にもありますが、

どうも私はアンバランスなタルコフスキーが好みのようです。

ということで、

とても一貫した雰囲気を感じる『鏡』が

苦手だったのかもしれませんね...。
返信する
ストーカー (めるつばう)
2006-01-19 16:58:35
すっかり有名な言葉になってしまって

「ストーカー」というとかなりの人はタルを

思い出さないのではないでしょうか?

以前は「ストーカー」と言って”知っている!”

と言う反応があれば”ああ、タル好きね”とすぐ

解ったのに。



見たのがずいぶん前で記憶からかなり抜け落ちています。

重苦しいモノトーンは私的には「イレイザー・ヘッド」を

思い出させました。どちらがさきなのかしらん??



ラストでコップがかたかた動くところが私には

未来と、絶望を感じてしまった。

怖かったです。
返信する
原作読みたいです (manimani)
2006-01-20 03:52:21
☆piaaさま☆

原作を未読なのですが、どう考えてもこれはタルコ映画ですね(笑)レムの原作書評を読むと、まったく違う雰囲気のようですし。原作は図書館で借りてやろうと狙っております。



トロッコのシーンの音は、最初はトロッコの音なんですが、だんだんトロッコの音を模した電子音に変わってゆくのです。そこらへんもいい感じなのです。
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空間が・・・ (manimani)
2006-01-20 04:10:15
☆st/STさま☆

砂がうねになっていて、鳥が飛ぶシーンは、私にはちょっとしたインサートによるコラージュなのかなと思えました。あれを「尋常でない空間」と見ると面白いですね。



あと書きませんでしたが、最後にゾーンから犬が着いてきちゃった、なんて設定もあって、動物が結構実は意味ありげではないでしょうか。



「ソラリス」と「ストーカー」は私的には中期2部作という趣きで、仰るような強烈な表現やサイコSFちっくな手触りにまずは惹かれたところがありますね。

でも繰り返し見ると、やっぱりタルコフスキーらしい文明批判や精神性回帰の主題が底にあるのがわかります。まあ鼻につくっちゃつくですね(笑)

「ソラリス」で液体酸素だか窒素だかでの自殺後の復活場面は、実はストーカーでの妻の嘆き~サクリファイスでの妻の狂乱につながる、「身もだえる女性」の系譜上の表現なのだと思っています。

タルコ深読み大会など開くと面白そうですね。



「鏡」も人物の時制設定が実はかなり複雑で、なかなか一筋縄ではいかんところが私は気にいっています。
返信する
確かに・・・ (manimani)
2006-01-20 04:23:26
☆めるつばうさま☆

映画データベースで「ストーカー」で検索すると、昔はタルコにすぐ行き当たったのに、いまはすごい数の映画が出てきますもんね(笑)今じゃ「ストーカー」観たっていうとちょっと怪しい感じすらしますね・・・



「イレイザーヘッド」は76年。こっちの方が早いですね。「イレイザーヘッド」の方はセピアでなくモノクロですが、あの独特の閉塞感に一役かっていますね。



絶望の中に未来への希望をつないでゆくというのもタルコらしいスタンスなのかもしれません。そこらへんが見えないと、なんでタルコ映画の人物はあんなに絶望しちゃうの?って気分になります(笑)
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ネタバレのコメントです (とらねこ)
2008-09-28 13:05:18
manimaniさん、こんにちは!
ラストの少女の力、あそこで愕然としますね。
おっしゃる通り、いつの間にか人知の及ばない力が芽生えている、もしくは芽生えつつある、
そういった可能性もあるかもしれない・・・と勝手に解釈してみました。

告白シーンは、突然くると、これ本気で信じていいの?良くないの?なんて思いながら、おそるおそる見る自分がいます(笑)
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告白 (manimani)
2008-09-28 22:50:15
☆とらねこさま☆
こんばんは~

ワタシは実はあの少女のシーン、能力ではない説をとっているんですよね~あれは、「鏡」で草原を渡る風のように、タルコが繰り返し表現する自然の力への畏敬の念のシーンだと思っているのです。
単に超能力としてだけ観てしまうと、タルコらしいメッセージを見落としてしまうと。

うむむ、語ると長くなる。。


先日やっと原作を読んだんですが、妻が鬱屈を語るシーンていうのがちゃんとあるんですよね~
まあ映画とは大分違う雰囲気でしたけど。
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自然の力 (とらねこ)
2008-10-01 11:42:17
へえ、あの机が動くシーンは、自然の現象“とは決して言えない”もののように映りますが、
だからこそこれが能力ではなしに、自然の不可解なまでの力への畏敬、と言えるのでしょうか
うんなるほど、納得です。
語ると長くなりますか?フフ
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ふふふっ (manimani)
2008-10-01 23:14:39
☆とらねこさま☆
この映画、冒頭のどこかと、最後の少女のシーンに、列車の走る音がかすかに聞こえますね。
つまりあの現象を、列車の振動によるものと見ちゃうのです。
すると、やはりタルコさんの『サクリファイス』で、戦闘機の爆音とともにミルクの壺が床に落ちるというシーンと共通性が出てきますね。

ちゃんと因果はありつつも神秘的な物として我々の前に現れる現象というものへの鋭敏な感性を感じるほうが、ワタシは面白いと思っちゃうんですね~

まあうがち過ぎなのかもしれませんが
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