Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「ファウスト」アレクサンドル・ソクーロフ

2012-06-30 02:41:49 | cinema
ファウストFAUST
2011ロシア
監督・脚本:アレクサンドル・ソクーロフ
脚本:マリーナ・コレノワ




物語仕立て、時々活劇調あり、
しかし思いのほかソクーロフ臭い映画だった。

実在した人物を静かな夢のように描いた監督は
ゲーテの虚構を騒々しい悪夢として描いた。
騒々しいというのはすこし違うかもしれない。
映像だけが激しくしかし音は遠い、分離した夢のような引き離された騒々しさ。
ときおり歪む画面
近景に木の葉がかぶり先がよく見えない視界
特撮映画チックな遠景からのズームイン
精巧なホムンクルス
不意に訪れるクロースアップと沈黙
こんな直接的な手法がいまどき自然にハマる映画を撮れる人なのだ。

ロケハンやセットも異様に凝っている。
あの彼らの住む環境は
果たして人の住むところなのか
暗く冷たく湿気を帯び
外に出ると黒褐色の岩肌に取り囲まれる。
ここなら悪魔も人間もたいして区別はつかないだろう。

メフィストフェレスとの血の契約も
ここではぼんやりした悪夢の背景のように描かれてしまう。
青銅色の光のなかでは
すべてが終わりのない夢だ。
全然線的でない物語の運びも
どこからともなく湧いてくる人物の言葉も
すべてが悪夢酔いに奉仕しているようだ。



ということで、すっかり悪夢酔いして
湿度と空気の薄さをぐったりと味わった140分。

ファウスト博士がマルガレーテに寄せる思いは
この悪夢の中では大変に醜悪で
どこかでそれを受け入れてしまうマルガレーテもまた
その美貌に関わらず絶妙に醜く
メフィストがかわいげのあるヤサオトコに見えてしょうがない。
この醜悪な感じは
人物たちの間の妙に近すぎる距離感によるように思われる。
男たちですらなぜここで?と思うようなところで異常に体を寄せあったりする。
この肉体の近さ。
肉の感覚。

冒頭の結構おぞましいシークエンスでの肉の扱われ方を思い出す。
腐臭はそこからただよっているのか。
腐臭を近接によって全編に引っ張っている。
こんな映画はあまり観たことがない。

これがこの世界の人間の姿なのだとしたら
それ自体がたとえようのないおぞましい悪夢。
そのなかを我々が生きているとでも?

きっとそうなんだろうとどこかで思っているからこその
さらに深い悪夢感。
これがこの映画の狙いなのか?

なぜファウストなんだ?


と疑問で終わることにする。


****

ハンナ・シグラが出ていると。
ぜーんぜん気がつかなかったぜっ!



@シネスイッチ銀座
コメント
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