「ドリー・ベルを覚えてる?」
1981ユーゴスラヴィア
監督・脚本:エミール・クストリッツァ
脚本:アブドラ・シドラン
出演:スラヴコ・スティマチ、リリアナ・ブラゴエヴィチ
クストリッツァの長編第1作にして81年ヴェネツィア映画祭金獅子賞受賞作。
サラエヴォ郊外のムスリムの一家。父親は熱心な共産主義者。子供は主人公ディノに、兄と弟、それから小さい妹。
父は夜な夜な家族に共産主義的お説教をぶつ。それはひとつの会議であり、小さい弟が書記である。
しかしディノは、教義よりも個人の精神性に興味があり、催眠術や心理学を独学しているような十代の若者。離れの掘建て小屋の二階に、裸電球の下うさぎと暮らす。
あるときディノはイタリア製のドキュメンタリー映画を観るが、そこに登場するストリッパー、ドリー・ベルに心奪われてしまう。愛と性の理想型、聖と卑の混じり合った魅惑。
そんなとき、地域のワルであるポグ(だったっけ?)が若い女を連れてやってきて、ディノの小屋にしばらく住まわせろという。そして女はドリーベルと名乗るのだ。あのドリーベルなのか?
ドリー・ベルはどうやらポグのために娼婦として働くことになっているらしい。
小屋で暮らすうちに互いに心引かれ合うディノとドリーベルだが、彼女は結局地域のガキどもと次々と寝ることになり、ディノは心痛める・・・
***
思いがけないドリー・ベルとの出会いと同居。それがもたらす淡い心の交流と性の目覚めと、喪失の悲しみが少年を成長させる。
それを軸に、父親の権威との衝突、父親の死による意識の変容、地域の青年活動の一環で編成されるバンドの活動、悪いヤツとの交流、念願の公営住宅への移住などなどのエピソードが重層的にディノ少年の生活を織り成していく。
そういう描き方は実はこの監督は上手だ。生活とは重層的で矛盾をはらみながら総括的なものなのだ。
それはエピソードを並行して描くということだけではない。たとえば父の死のエピソードは、肉親との別れということのほかに、父が信奉した共産主義と出自であるイスラム世界とが矛盾しながらも同居する人間の関係の面白さを浮き彫りにもする。例えば日本でも過酷なまでの合理主義の波の一方でムラ社会的共同体も維持されているように(うえ~嫌な社会だよ?)、人の世は単純ではない。そのことをしっかり盛り込んでいる。
後年の作品も含めて考えるに、クストリッツァはおそらくは本当に人間が好きであり、興味津々なのだろうと思う。まなざしはひたすら人間とその生活と活力に注がれる。その注ぎ方に才能を感じる。これはこれでひとつの映画のあり方なのだと認めたい。(なんてワタシが認めてどうなるってもんではないす)
***
主人公Dinoを演じたスラヴコ君は、後に「アンダーグラウンド」でも印象的な動物園員を演じ、「ライフ・イズ・ミラクル」ではついに父親役を演じるようになる、クストリッツァとともに成長した役者である。
お抱え男優というと・・・?ティム・バートンとジョニー・デップとか?タルコフスキーとアナトリー・ソロニーツィン?
ああ、トリュフォーとレオがいたじゃない。
スラヴコ君は実はこの前年に「歌っているのは誰?」に若い花婿役で出ていたことにあとになって気づいた。この二つの映画はキャストがほかにもダブっていたりして関連が深い
あとドリー・ベルを演じたリリアナ・ブラゴエヴィチ(と読むのか?)はなかなかの美形で萌えるワタシ。娼婦っぽいというよりはもっと普通の清楚なひとりの女性像でした。この人の役者歴はくわしくはわからないが、現在に至るまでユーゴ圏で主にTV作品で活躍しているらしい。
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1981ユーゴスラヴィア
監督・脚本:エミール・クストリッツァ
脚本:アブドラ・シドラン
出演:スラヴコ・スティマチ、リリアナ・ブラゴエヴィチ
クストリッツァの長編第1作にして81年ヴェネツィア映画祭金獅子賞受賞作。
サラエヴォ郊外のムスリムの一家。父親は熱心な共産主義者。子供は主人公ディノに、兄と弟、それから小さい妹。
父は夜な夜な家族に共産主義的お説教をぶつ。それはひとつの会議であり、小さい弟が書記である。
しかしディノは、教義よりも個人の精神性に興味があり、催眠術や心理学を独学しているような十代の若者。離れの掘建て小屋の二階に、裸電球の下うさぎと暮らす。
あるときディノはイタリア製のドキュメンタリー映画を観るが、そこに登場するストリッパー、ドリー・ベルに心奪われてしまう。愛と性の理想型、聖と卑の混じり合った魅惑。
そんなとき、地域のワルであるポグ(だったっけ?)が若い女を連れてやってきて、ディノの小屋にしばらく住まわせろという。そして女はドリーベルと名乗るのだ。あのドリーベルなのか?
ドリー・ベルはどうやらポグのために娼婦として働くことになっているらしい。
小屋で暮らすうちに互いに心引かれ合うディノとドリーベルだが、彼女は結局地域のガキどもと次々と寝ることになり、ディノは心痛める・・・
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思いがけないドリー・ベルとの出会いと同居。それがもたらす淡い心の交流と性の目覚めと、喪失の悲しみが少年を成長させる。
それを軸に、父親の権威との衝突、父親の死による意識の変容、地域の青年活動の一環で編成されるバンドの活動、悪いヤツとの交流、念願の公営住宅への移住などなどのエピソードが重層的にディノ少年の生活を織り成していく。
そういう描き方は実はこの監督は上手だ。生活とは重層的で矛盾をはらみながら総括的なものなのだ。
それはエピソードを並行して描くということだけではない。たとえば父の死のエピソードは、肉親との別れということのほかに、父が信奉した共産主義と出自であるイスラム世界とが矛盾しながらも同居する人間の関係の面白さを浮き彫りにもする。例えば日本でも過酷なまでの合理主義の波の一方でムラ社会的共同体も維持されているように(うえ~嫌な社会だよ?)、人の世は単純ではない。そのことをしっかり盛り込んでいる。
後年の作品も含めて考えるに、クストリッツァはおそらくは本当に人間が好きであり、興味津々なのだろうと思う。まなざしはひたすら人間とその生活と活力に注がれる。その注ぎ方に才能を感じる。これはこれでひとつの映画のあり方なのだと認めたい。(なんてワタシが認めてどうなるってもんではないす)
***
主人公Dinoを演じたスラヴコ君は、後に「アンダーグラウンド」でも印象的な動物園員を演じ、「ライフ・イズ・ミラクル」ではついに父親役を演じるようになる、クストリッツァとともに成長した役者である。
お抱え男優というと・・・?ティム・バートンとジョニー・デップとか?タルコフスキーとアナトリー・ソロニーツィン?
ああ、トリュフォーとレオがいたじゃない。
スラヴコ君は実はこの前年に「歌っているのは誰?」に若い花婿役で出ていたことにあとになって気づいた。この二つの映画はキャストがほかにもダブっていたりして関連が深い
あとドリー・ベルを演じたリリアナ・ブラゴエヴィチ(と読むのか?)はなかなかの美形で萌えるワタシ。娼婦っぽいというよりはもっと普通の清楚なひとりの女性像でした。この人の役者歴はくわしくはわからないが、現在に至るまでユーゴ圏で主にTV作品で活躍しているらしい。
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私はクストリッツァ作品を結構収集したつもりでいたのですが、不覚にも「ドリー・ベル…」は知りませんでした; そうか、これが長編第1作なんですね。
ところで、クストリッツァが人間好きというのは同感です。ほとばしるような興味と愛着がなければ、ああいう映画はできないですよね~(多分)。
このあいだの「歌っているのはだれ」ともども、とっても観てみたいのですが、入手困難ですよね? 近所のツタヤには絶対なさそうだし~。
こんばんは♪
「歌っているのは誰?」は日本版がかつてVHSで出ていたようですが、amazonで中古が妙に高値で出ていますね。
ユーゴ映画としては結構代表作らしいので、ことによるとツタヤの片隅にひっそり眠っていたりしないですかね~
「ドリー・ベル・・」のほうは日本版があったかどうかちょっとわかりませんでした。英語字幕版は普通に買えるようです。なぜかこの作品はall cinema onlineでもフィルモグラフィーに載っていないのですよね。
映画祭で賞もとっているのに冷遇されてます。
クストリッツァは、わたしはあと「ジプシーのとき」を観ていないのです。。
こんにちは~
かわいそうな子供を見るのはつらいなあ^^;
まあ、観たいですけど。
クストリッツァ作品は全般的に「ちょっと長い」という感じがしますね。
念のためこちらのURL↑にもリンクをー
ありがとうございます~~!!
もりあがりますね~っ